CLANNAD 第14話「Theory of Everything」 の感想

ココロに欠陥を持つ登校拒否児を友情パワーで復活させるの。
ポストセカイ系で公共性を取り戻せ!!
今回はことみシナリオ最終回。テレビの前で正座で待機。


ことみの誕生日に綺麗な庭を贈呈しようと頑張る朋也ファミリー。みんなの力を合わせて、ことみの庭はかつての趣を取り戻していく。ことみ恋愛ルートに入らないようにちょっとした描写で「朋也と渚のお互いのことを分かってる感」をだしてくるところがうまいぜ。そして庭が綺麗になったところで、ことみから持っていて欲しいと渡されたご本『たんぽぽ娘』を読み始める。人の情念が込められているモノには霊が宿るという付喪神信仰。自己防衛のため封じ込められていた朋也の記憶を蘇らせる。人は忘れちまわないもんなのさ、思い出せないだけで。


想起されるのは穏やかだった幼少の記憶。お外に出たからず庭で戯れることみの相手をしていた朋也はそこで様々な幼馴染体験をしていたのだった。そのときに読んだのが、ことみから渡された本。友達がいないことみのために誕生会に多くのトモダチを率いていこうとするも、知らない上流階級のおにゃのこの所に行こうなんていう物好きはひとりもおらず、意気消沈のままどの面下げて誕生会に行けって言うんだい?少年のちっぽけなプライド。嗚呼、ことみはただ朋也を待っていただけなのに、だけなのに。結局、謝りたい一心で深夜に家を抜け出すと、ことみの鳴き声が響き渡り書斎は燃えていた。セバスチャンらの活躍で火は消し止められるも、その後朋也がことみと会うことはなかった。


夢から覚めればそこにはことみの姿が。ことみは幼少の頃からずっと、再びことみの庭に朋也が来るのを待っていたのだ。だがアニメ版ではうまくことみルートからそれちゃいますよ。恋愛感情の原因を「初めてのお友達だったから」朋也が大好きだったと友情路線に求めちゃうの。ことみの友達はもう朋也だけじゃなくて渚も杏も椋もいるもん。みんなみんな大好きだから和姦・・・じゃなくて、朋也の幻影に固執するセカイからは解脱できちゃうの。ヴァイオリン引換券を手にしてみんなでお誕生日を祝おうじゃないか。


そこへおもむろにセバスチャンが面会の申し込み。ひとりで会うのが嫌ならみんなで会えばいいじゃない。朋也は不良のレッテルを貼られているわりには元バスケ部キャプテンで鍛えた社交能力を発揮し、セバスチャンに紳士的対応してる描写が細かくていいね。セバスチャンが渡したのはことみの父母の遺品のカバン。中には論文が入っているかと思いきや、幼少の時の誕生日プレゼント「くまのぬいぐるみ」が!!一ノ瀬夫妻が研究なんかよりも大切な娘を優先することは自明だったのだ。しかもことみが燃やした論文もくまさんのカタログだったことが判明。


Keyお家芸の「人の善意を信じます」が発動だ。拾った人たちはカバンを自分のものにできたかもしれない。だが、くまのぬいぐるみは世界各国を廻りながら手直しされ、ことみのところに届いたのだ。セカイにいるのは自分だけと思い込み、他者を排除し公共性が喪失した状態に陥っていても、それでも世界は廻っている。いわゆるひとつのポストセカイ系!?アイデンティティなんてものは他者関係の中の産物でしかないので、他者関係の喪失はアイデンティティの喪失。人々の善意と絆で、幼少の頃のトラウマを乗り越えたことみは、見事自分だけの孤立したセカイを打破したのであった。

他の方々の感想

2008-01-18

渚と藤林姉妹の協力も目立っていて、リセット方式にならないアニメの構成的には、やっぱり原作よりも友情物語寄りにせざるを得ないんですよね。恋愛要素を前面に押し出して、渚と藤林姉妹とことみで朋也を取り合う修羅場展開も見てみたい気はするけど、それはまた別のメディアで各自補完って感じか。大好きな朋也くん、と2度も告白されたのに、親が娘を見守るかの如く、まるで動揺しない朋也は大物すぎるぜ。

多分ことみの扱いは、朋也への執着を断ち切り外へ向かって開いていくって感じになるのかと思います。ことみが幼少の頃、ママンが言った「お外へ遊びにいったら?」を実践するような。演劇部に参加することは展開的にありえないだろうし、一度攻略したヒロインを絡ませるのは難しい。ここでことみを外しておかなかったら、朋也もことみも杏も椋も渚への好感度上がりまくりだし、もう演劇部が成立してしまのでは・・・
あ、顧問問題があったか。
ここは裏をかいて10年後の草野球http://www.geocities.jp/exo_w/enter.html)エンドだ。