「大きな物語の終焉」と「相対的な価値観」


夜麻みゆき刻の大地』の10巻が105円で叩き売られていたので保護してきたわ。
中の人が幼少の頃に姫巫女(姉の友人)に布教された懐かしの作品よ。
オッツキイム三部作は未完に終わったけど、夜麻みゆき女史は復活するらしいわね。
この作品の何が見所かっていえば「相対的な価値観」の衝突よ。





うっう〜。
別に漫画なんてムツカシイことなんて考えないで素直に楽しめばいいじゃないですか。
私はジェンドのツンデレっぷりとキャラのデフォルメだけでも十分楽しめますよ。
中の人が読んでいた当時は「ツンデレ」というコトバの概念もまだ確立されておらずですね。



「相対的な価値観」は今もっとも重要視されるべきものよ。
大きな物語の終焉」を迎えた現代にとって、全ての価値観は絶対的なものではなくなったの。
だから価値観同士が衝突することは良くあることなのね。
例えるならこんな感じよ。
鍵っ子「CLANNADはエロゲじゃないんだ。強いて言えば人生かな。何故ならうんぬんかんぬん」
型月厨「Fateは文学。あの神話をモチーフとした様相はフレーザーの『金枝篇』がどうたらこうたら」
鍵っ子「鍵作品サイコー。これは鍵の良さを分からない型月厨に教えてやって進歩させなきゃならんな」
型月厨「いたる絵きめぇ」
鍵っ子「よくも唯一神である樋上いたる絵師を馬鹿にしてくれたな!」




れぅ〜。
鍵信者には鍵信者の道理があるし、型月教徒に型月教徒なりの譲れないものがあるわけですね。
でもでも『刻の大地』では、僧侶側からはみだした魔法使いって感じで描かれてますよ。
それに魔法使い同士でも結構派閥があるみたいれす。



それは自分たちが受け入れられないものを異端扱いして数の論理で押してくるのと同じね。
ここではカイが、自分が信仰してきたものが絶対的なものではないと気がつくところがミソなのよ。
けど自分が信じてきたものはおいそれと捨て去ることはできないでしょ。
「何のための戦いか?」と問われた時に魔法使いのボス:マンフロイが言いこといってるのよ。

―さあな、ワシにも分からん。
ただ分かるコトと言えば
話せば戦はしずめられる―そんな単純なものではない
と、いうコトだ。