Summer Pockets Alternative (神様になった日 第5話「大魔法の日」)の感想・レビュー

母と死別し冷え切った父子家庭となったメインヒロインの家族を再生する話。
佐藤ひなの導きで伊座並(父)の心を癒し、娘に母が残したビデオメッセージの存在を知らしめる。
父が遺言ビデオをひた隠しにしていたのは、母の記憶を忘れると示唆されていたからであった。
娘は自分が支えとなることで父と最後までビデオを見ることに成功し壁を乗り越える。
ソファーで娘が父に寄り添う場面は鍵っ子にとっては涙が止まらない家族ゲー描写!!
サマポケでは描かれなかった崩壊した父子家庭における父娘関係の再生をここで達成したのだ。
(※サマポケは冷え切った関係に耐えきれなかった娘が父の若き日に過去跳躍する話だが和解は無い)
今回の話は完全に『Summer Pockets Alternative』であったように思われます。

なぜ『神様になった日』第5話は『Summer Pockets Alternative』なのか!?

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  • 父子家庭における冷え切った関係性からの家族再生
    • 母親の死により伊座並杏子の性格は一変し、活発で明るい性格から引っ込み思案で内向的な性格に変わってしまいました。その要因として、母の死そのものだけでなく、それにより家族関係が冷え切ったこともありました。鍵っ子にとってはお馴染みの「渚が死んだ後の朋也」や「しろはが死んだ後の羽依里」と同じ構図です。伊座並(父)もまた朋也や羽依里と同じように、愛する妻が死んだことで娘との関係が崩壊します。伊座並(父)は娘から墓参りの約束を持ち掛けられては、毎年実現されることはないという結果になっていたのです。CLANNADでは途中で朋也が覚醒し汐の子育てに挑むことになりますが、サマポケでは和解が実現せずプレイヤーたちが発狂する結果になりました。サマポケは冷え切った父子家庭に晒された娘が、母親の13回忌に自分だけ置いて行かれたことを契機に、ついに現実が耐えきれなくなって、父親と母親が出会った時代に過去跳躍する話です。冷たい父親が実は義理人情に溢れるステキな人物像であることを知るのですが、元の時代に戻って和解するシーンは描かれなかったのです。終局部は娘がその身を犠牲に過去改変し、最後は親子三人ハッピーエンドになるというオチになります。元の時代の世界線における根本的な問題解決は捨象されてしまったのです。FDのリフレクションブルーにおいては、うみ個別ルートまで用意されていたのにも関わらず、元居た世界線での父娘関係の和解は無視されたのです。今回、伊座並(父)と伊座並さんが和解できたことは完全にサマポケへの意趣返しであったように感じられました。【娘が父の支えとなることで愛する妻を失った悲しみを乗り越える】シーンは、サマポケを凌駕するクライマックスであり、鍵っ子(鍵おじや鍵爺)にとっては涙腺を決壊させたことでしょう。何気ない描写ですが、伊座並さんがソファーで父親に寄り添うところはもう既に感動の嵐!まさにサマポケオルタナティブ

 

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  • 伊座並(母)のビデオメッセージはサマポケしろはの弱さの克服
    • 今回の神様になった日は「羽依里-うみ問題」だけでなく「しろはの弱さ問題」もカバーしていました。サマポケの根本問題として、しろはが自分一人だけで問題を抱え込み周囲に相談できなかったという悲劇がありました。しろはが主人公に相談できていれば、死後の父子家庭も冷え切ったものにはならなかったかもしれません。しかもしろはの個別ルートにおいて、しろはは心を開く大切さを学んでいたのです。それにも拘わらず個別ルートのテーマに泥を塗る結果となったため、何のためにしろは個別ルートをやったんじゃい!?とこれまたプレイヤーを発狂させたのでした。今回の神様になった日は「しろは個別ルートのテーマ踏みにじり問題」を見事に乗り越えていたのです。それが今回のサブタイトルにもある「大魔法」。伊座並(母)は、きっと自分の夫と娘なら自分が死んだ後の世界を乗り越えていけるだろうと信じ、思いを込めてビデオメッセージを残しました。それが「自分のことを忘れて新しい人生に向かって歩み始めて欲しい」という願い。妻のことを忘れてしまうことを恐怖した伊座並(父)の弱さを、伊座並さんがフォローしたことに今回の最大のポイントがあったわけですが、伊座並(母)が娘だけでなく愛する夫のためにもメッセージを残していたからこそ、この和解が演出されることになったことも忘れてはいけない事項だと言えるでしょう。伊座並(母)としろははその性格やキャラ設定が大きく異なるとはいえ、死期を意識した際に取る行動という点を鑑みると、神様になった日はサマポケオルタという位置づけになっているという事ができるかと思います。

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佐藤ひなの感情の揺らぎ

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  • 神様になった日は伊座並さんルートではなく佐藤ひなルートっぽい
    • 神様になった日の現在の放送時点での周回では伊座並家問題を解決することに成功しました。結果として主人公は伊座並さんとフラグを立てることは無かったのですが、佐藤ひなが主人公のフラグ形成に際して感情を動かしている所に注目です。「じゃが、なんじゃろうな。この心のざわめきは」からの「もしかして、ホッとしてる?」の流れは佐藤ひなグランドエンドの伏線待った無しかもしれません。多分あと1~2話で世界滅亡?。次回は「祭の日」であり、OPでは佐藤ひなが花火の場面で一人で取り残されるシーンなので、それをどう滅亡に繋げるかに注目が集まります。

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