前回までのあらすじ
im@s架空戦記シリーズ『春閣下で世界征服』を見ていたら帝国主義について疑問を抱いた閣下たち。
帝国主義を原因論からアプローチしていくことになり、第1話では経済的な側面を見ました。
今回は「独占資本主義以外の側面」を見ていくことになります・・・
前回はホブソン・レーニンを見ていったわね。
今回はまず、社会心理的な側面を見ていくわ。
A・シュムペーター
代表的なのが米の経済学者A・シュムペーター『帝国主義と社会階級』(1919)
注目するところは、帝国主義と資本主義を切り離して考えたところね。
彼は「帝国主義は、資本主義とは無縁な、むしろ外からこの世界に持ち込まれた、近代生活の非資本主義的要因にもとづく諸要素として理解すべきだ」と述べたのよ。
どういうことなのかさっぱりわかりません。
「非資本主義的要因の諸要素」ってなんれすか?
つまり、近代社会に残存した封建的要素を担う好戦的な旧エリートが、対外膨張や国際対立という環境の変化に応じて息を吹き返した「隔世遺伝」というふうに説明したの。この見解によって、帝国主義は、他民族に対する暴力的な征服・膨張政策や政治支配をともなった「公式」の植民地化を意味するという考え方が出てきたのよ。つまりは、自由競争に基づく資本主義経済とは一切関係ありませんよ、と言ったの。
自由貿易帝国主義論
シュムペーターの理解をさらに進めたのが1950年代における英国のJ・ギャラハーとR・ロビンソンよ。
彼らは「公式」の帝国主義と「非公式」の帝国主義の2種を認め19Cイギリス帝国主義を2つの側面から説明したの。
「非公式」っていうのが、領土獲得より貿易の拡大を求める「自由貿易」帝国主義ってことれすね。
どんなものだったんれすか?
これまでの帝国主義論では19C最後の四半世紀始まり、それまでは植民地拡張に反対だったとされてきたの。けど、大英帝国が海外に広大な版図を築いたのはむしろ自由貿易時代であったことに注目したの。19世紀を通じてイギリスの膨張は連続的であったってね。それで、イギリスの膨張には「できる限り非公式な支配によって貿易をし、やむをえない場合に支配する」っていう転換可能な2つの帝国主義の方式が採用されていたっていうわけ。
れぅ〜。
えーっと、やむを得ない場合っていうのは、例えばインド支配とかれすかね。
19C前半では、ライヤットワーリー制とザミンダーリー制で現地社会秩序や伝統的統治システムを利用して間接支配をしてましたけど、シパーヒーの乱以後は直轄支配になりましたですぅ〜。
アラービーの反乱⇒エジプト保護国化もその一例ね。
この「非公式」「公式」の視点は、帝国主義=独占資本主義っていう段階論から抜け出し、帝国主義をより長期的な視野で見直すことを可能にしたのよ。
門戸開放帝国主義
帝国主義が植民地獲得を意味しないっていう「自由貿易帝国主義論」は合衆国に影響を及ぼしたの。
これまで、アメリカには帝国主義は存在しないって考えられてきたからね。
れぅれぅ。
1890のフロンティア消滅以後、対外膨張しまくってくせによく言いますよね。
米西戦争は「大いなる逸脱だ」とか逸脱じゃないれすぅ〜。
1960年代に台頭した「ニューレフト史家」たちは建国以来のアメリカ史を膨張、帝国の建設の歴史ととらえたの。
まず農業や商工業利害関係者が膨張し、世紀転換期における、カリブ海域の「棍棒外交」と中国に対する「門戸開放」となってあらわれたとしたの。この対外政策を市場拡大を目指す「非公式」の帝国主義として、ときには「公式」の帝国主義も採用する一貫した政策体系とみなしたのよ。これを「門戸開放帝国主義」と呼ぶようになったわ。
社会帝国主義論
社会帝国主義とは、帝国主義の成立を「国内資本主義のさまざまな矛盾を外に振り向ける」とい観点から説明したものよ。
一連のものは1960年代に登場したわね。
まぁ、対外膨張が国内の緊張緩和国民の統合統合に役立つという認識は古くからあったのだけどね。
セシル・ローズさんが、過剰人口の捌け口・商品市場輸出が不可欠として「帝国とは胃袋の問題である。我々が内乱を望まないなら、帝国主義者にならなければならない」っていったっていうのを授業で聞きましたね〜。
中でも、有名なのは英のB・セメルと独のH・U・ヴューラーよ。
セメルは世紀転換期のフェビアン社会主義の社会政策や社会改良の試みと帝国主義的対外政策の関係を明らかにしたの。
ヴューラーは、19C80年代以降のドイツが、保護関税と社会主義者鎮圧法をてこに体制の保守的再編を進め、社会政策と活発な植民地の獲得、ついで大海軍の建設によって大衆の支持を集め、社会の関心と不満を外に振り向けることに成功した、としたの。