橋本進吉と国語教育

現在全ての中学校国語科教科書で採用されている橋本文法。では、橋本進吉は国語教育に対してどのような思想を抱いていただろうか。橋本進吉は国語教育を国民融合として捉えているばかりだけでなく、文法は国民としての思考様式を身につけるものだと考えていたようだ。また、様々な文法学説から橋本文法についての批判があるが、橋本進吉は学校教育における国語文法の欠点を自覚しており、それにも関わらず「伝統」を重視して国語教育の文法はそれでよいと見なしていた。つまり、現在の国語教科書の学校文法記述において様々な欠点の指摘がなされているにもかかわらず、橋本文法で画一化された学校文法が使わ続けているのは、日本国民の思考様式を身につけさせようとする意図が背後に隠れているのであろう。

国語と国民的精神情操の体得

国語は所謂文化財の一種であって、過去の国民の経験や思想感情が之に宿って次の世代に伝わり次の世代の人々は、国語を学ぶことによって伝統的思想感情を自己のものとしてその生活を営むものである。されば一の事物の名づけようにもかような国民の思想感情が見られ、一の語の意味の変化の上にも、国民の思想感情を見ることができるのである。又、文法は或学者が之を社会的論理又は民衆論理と呼んでいるように、その国民の思考様式がその中にあらわれているのである。

文法と国民の思考法

広く国語教育の立場から見れば、文法の知識は、我が国語の構造を明らかにし、国語の特色を知らしめ、又、文法の上にあらわれた国民の思考法を自覚せしめる。(中略)以上のように、我々が我々自身の心理的現象を観察してその如何なるものであるかを知ることや、我々の生活に取っては有用なことである。しかるに、この種の観察法を修練するに適当な学科としては普通教育の課目の中では国文法の外には見出し難いのではあるまいか。果たしてそうであるならば、国文法には容易に他の学科では得られない特別の教育上の効果があるといつてよいのである。(中略)かようにすれば、文法の知識が徹底するばかりでなく、精神や文化的現象の観察法の一端をも会得することが出来るのである。