装甲悪鬼村正の雑感

こま切れ時間の暇つぶしにチマチマやりながら半年かけてクリア。
わりと膨大なテキスト量なので、時間を潰すにはもってこい。
話のテーマは、「正義は自己の正当化の押し付けに過ぎない」というはなし。
政治・経済・歴史・伝統・文学・哲学・宗教・思想などの要素が背景に盛り込まれているので、読んでいて結構楽しいですが、一気にクリアするのは大変かと思われます。

概要

社会秩序の崩壊

主人公の湊景明は物腰が低く、口数が少ない、思慮深い青年。プレイヤーの自分としては、苦悩や煩悶を繰り返し人生に悩む様を見るのが好きなので、景明さんは高評価できる主人公さんです。この青年が、殺戮を繰り返す妹を、何とかして止めようとすることが、物語の根幹となります。妹の湊光(みなと=ひかる)はなぜ殺戮を繰り返すのでしょうか。それは、彼女の生い立ちに原因があります。湊家は地方の豪族で、過去におけるわずかな権威に縋って生きる典型的な封建遺制を残すおうちでした。その後継者たるが湊光だったのですが、二つ不幸なことがありました。一つは、婿養子であった父親が家の事情で追放されてしまい、父親も光のことを娘として認知してくれなくなってしまったことでした。二つ目は、公害によって水俣病のような化学物質汚染に光自身が汚染されてしまったことです。こうして光は人生という不条理に生きることになったのです。妹の病に苦しみ続ける景明さんでしたが、妹の光が、本家の意向により御神体として崇められていた甲冑を身につけると、状況は一変します。光は突如として健康状態を回復し、社会に対して「否」を唱えるように殺戮を志すのでした。光の目的は、「父親に自分の存在を認知してもらうこと」。そしてその目的は達成しえないので、「父親が自分を認めてくれないという社会の秩序を崩壊」させようとしてセカイを殺戮の渦に巻き込んでいくのでした。

万人の万人に対する闘争が自然状態

この作品は架空戦記よろしく、現代とは異なる歴史が時代設定の場面となっております。第二時世界大戦後の世界観ではあるものの、GHQに制圧された日本が大和として武力による幕藩体制を敷いていたりとか、パクス=ブリタニカが健在でアメリカが独立していなかったりとかとかそんな感じ。そのため、世界各地では紛争の種が尽きないわけですが、湊光は前述の通り既存の秩序の崩壊を目指し、人間の自然状態の構築を目指します。光が唱える自然状態とはホッブズの『リヴァイアサン』のような感じ。つまりは善や悪に囚われることなく、人々が本能のままに「万人の万人に対する闘争」状態であるのが良いとすることです。光は精神汚染能力によって人間の殺戮本能を強化し、人々に殺し合いをさせていきます。この状態を何とかして止めて光を救うのが、景明さんの役割なわけですね。しかしながら景明さんは、善悪相殺の呪いをかけられており、憎んだ人を1人殺したら、愛する誰かを1人殺さねばならないのでした。こうして景明さんは罪の意識を重ねながらも様々な共通イベントをこなしていきます。

最小限度の殺戮で戦争を撲滅する

このお話で主人公の景明さんは甲冑を装備して戦うわけですが、この甲冑はヒトとしての意思を有する存在で擬人化もできます。この甲冑が「村正」という名前でタイトルにもなっています。人生に煩悶する景明さんと村正は、時に対立しながらも、共通イベントこなしつつ、それぞれを認め合ようになり、殺戮を防止するだけの力を獲得していきます。そしてついに妹の光と対峙し、死闘を経た上で景明さんは善悪相殺の呪いを利用して、自分もろとも村正を殺すことで光の殺害に成功したのでした。光を殺した後の景明さんは何故か生き残ってしまい、その余生の使い方を持て余してしまいます。「和を以って貴しす」とかいいながら紛争の和解に幻想を抱くも、なぜ自分は生きているのかと。そんなウジウジする景明さん。そんな彼を甲冑であり女である村正が肯定し続ける。「女による男の自己肯定」というパターンが発動してしまうわけですね。しかしそんなチープには終わらないのがこの作品。嫌々ながら人殺しをして涙を流す景明さんに対して、嫌がりながらヒト殺して悲劇に浸ってんじゃねぇよとツッコミが入り、景明さんが見いだした女との幸せをぶっ潰す事件が発生。女を奪われた景明さんは、取り戻すためなら何でもするというエゴイズムを発動します。ここで景明さんは気付くわけです。自分は使命云々ではなく、積極的に人間を屠っていたのだと。こうして、景明さんは新興武力傭兵集団である「武帝」を結成し、依頼されれば殲滅した勢力と同じ数だけ犠牲を強いる戦争屋へと進化を遂げるのでした。争いというものは醜いものであるということを知らしめて、「最小限度の殺戮で戦争を撲滅する」ために。…と、いうところでtrue endを迎えます。