雑録

『風立ちぬ』の感想・レビュー

映画『風立ちぬ』は零戦を作った男を主人公に1930年代を舞台にした青春物語。
自分の命を漠然と長らえさせるよりも夢や希望に挑戦する熱い姿勢を描き出す。
ヒロインの菜穂子の力を後押しとして飛行機に情熱をかける姿は胸が熱くなるな
自分はミーハーな人間なので、見た後では触発されかけ「何かやらねば」と思った。

里見菜穂子のキャラクター表現とフラグ生成過程

里見菜穂子はブルジョワ階級の結核少女。サナトリウム文学しちゃうけど明るく一途な女の子。関東大震災で主人公くんに助けて貰った恩義を忘れておらず10年後の再会を経て恋へと至る。この作品の舞台は1930年代で、菜穂子は主人公くんが夢を実現するための装置としての役割を担わされている。そのため私のような封建的な家で育った持てない男には女神のような存在として認識されるのだが、男の欲望を具現化した存在と言うことができ、三次元にはこのような女性は存在しないだろーねと思う。主人公くんは新型飛行機の開発を任ぜられるも失敗し、打ちひしがれて軽井沢へとやってくる。この時に菜穂子と再会し、飛行機作りのモチベーションを取り戻すのだ。「女による自己肯定」のパターンですな。そして菜穂子と主人公くんは、10年前の想い出補正による好感度蓄積に加え、結核の自分を受け入れてもらえたことにより、見事フラグが成立するのであった。

そして菜穂子は主人公くんの飛行機作りを支え続ける。当初は結核を治すことに専念するつもりだったらしく、高原病院へ行ったりもしたが、ある時主人公くんから手紙を貰ったことを契機に「きちゃた」をする。この手紙の内容が解釈の分かれ目で、単に「恋する結核少女はせつなくて主人公くんのお側にいたいから来ちゃったをするの」が表面的な解釈。だが、この主人公くんの手紙が仕事に対する苦悩の吐露だったとしたら、主人公くんを励まそうと病気を押して現地入りしたことになる。後者の解釈の方が「女による自己肯定」のパターンとして私は好きですよ。そんなわけで、結核少女は何をすることもできないけれど、仕事に打ち込む主人公くんの精神的支柱として励まし続けるのである。仕事を持ち帰ってきた主人公くんのお手々を握って情交を育む描写はぐっとくるものがあった。

菜穂子のおかげで飛行機の設計が完成すると、主人公くんは試験飛行に立ち会いに行くが、菜穂子はその隙に去っていく。自分の使命は主人公くんが飛行機を作るための精神的支柱であるという役割を認識していたからであったと考えられる。そうすると、菜穂子はただ単に切ないから「きちゃった」をしたのではないと捉えるほうがロマンチックだとは思わんかね?こうして主人公くんは飛行機の設計者としての地位を確立していくのであろうがそこは描かれず、墜落し残骸となった零戦を背景にした夢の中を歩いて行くシーンに場面転換。ここで菜穂子と再会するのだが、ここの描写は終戦を意味しているのでしょう。パンフレットには「これは、明治以来西洋に追いつき追い越せで、急ごしらえに作った富国強兵国家日本が、富国にも強兵にも失敗し、大破綻をきたした物語だ」と書かれていますが・・・。私は「時代閉塞の状況下の中でも自分の目標を目指して尽力する人間の肯定」を描いた作品のように感じられました。