ビザンツ帝国に対するトルコ系諸国家の攻撃

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はいはい世界史講義のお時間です。
今回は「ビザンツ帝国に対するトルコ系諸国家の攻撃」をお話しします。



ビザンツ帝国に大きな影響を与えたトルコ系諸国家の攻撃?
トルコとかいきなり言われましても・・・
ケマルとかケパブくらいしか思い出せないわ。



とりあえずブレインストーミングで知ってる知識を挙げてみよう。
ビザンツ-トルコ関係だと何を思い出せる?



え〜っと、セルジュークトルコの膨張が十字軍の影響となったとか。
ビザンツ皇帝が救援を求めたため、ウルバヌス2世がクレルモンの公会議で十字軍だったわね。
確かマンジケルトの戦いの覚え方が卑猥な響きだったことが印象に残っているわ。
(「入れないマン〇。アナルに入れて」1071年マンジケルトの戦いでアナトリアセルジューク朝に奪われる)



救援を求めた皇帝はアレクシオス1世。アレクシオスはプロノイア制度で有名ですよねー。軍事奉仕の見返りの条件として公有地の管理を任せたため、帝国の封建化が進んじゃうやつ。いや、俸給制度から土地の徴税権への推移は中央集権体制から封建制への移行的な意味で世界史やってると大興奮できる分野です。



今はビザンツ帝国の話でしょ?
ビザンツ帝国滅亡のきっかけとなったのもトルコだったことを思い出したわ。
オスマントルコのメフメト2世が軍艦で山越えをする写真が資料集に載っていた気がする。
そうそうメフメト2世以前にもムラト1世のコソヴォの戦いやバヤジット1世のニコポリスの戦いなどでバルカン半島に侵入しているわね。



セルジュークトルコとオスマントルコが書ければ良いと思いますが・・・山川の教科書詳説世界史ではブルガール人もまたトルコ系であり、ビザンツ帝国の支配権縮小の一例となったことが言及されている!!「ユスティニアヌスの死後……北方ではトルコ系のブルガール人がブルガリア帝国を建国するなど、ビザンツ帝国はしだいに支配権を縮小させていった」



ブルガール人とか盲点すぎるわね・・・。整理すると次のような感じかしら?

元ネタ

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は6世紀のユスティニアヌス帝の時代に地中海をとりまく多くの地域を支配したが、彼の死後、次第にその支配地を失っていった。その過程で、ビザンツ帝国の歴史に大きな影響を与えたのが、トルコ系の人々が打ち立てた諸国家による攻撃であった。この経緯について4行(=120字)で記述しなさい。(東大-2014-大問2-問1)