雑録

【日本史】政治史人物整理 明治初期 ~国内統一から帝国議会の成立まで~

【目次】

(1)西郷隆盛の留守政府(1871.11~1873.9)

1871年7月に廃藩置県を行い国内の統一が完了すると同年11月には岩倉使節団は欧米に出発。73年9月に帰国するまで西郷隆盛が留守政府を率いた。

  • 明治初期の三大改革(財政・軍事・教育)
    • 地租改正で近代税制確立
      • 1872 地券公布(土地所有権確立)
      • 1873 地租改正条例公布→地租;地価3%
    • 徴兵令で近代軍制確立
      • 1872 徴兵告諭
      • 1873 徴兵令公布→徴兵:満20歳、兵役:3年
    • 学制で義務教育制度構想
      • 1871 文部省新設
      • 1872 学制公布(功利主義的教育観)

(2)大久保政権(1873.10~1878.5)

征韓論争で政権を握った大久保利通が内戦に勝利したが、紀尾井坂の変で暗殺された。

明治六年の政変(征韓論争)(1873.10)

自由民権運動(士族民権)への対処

  • 1874
  • 1875
    • 愛国社(2月・大阪)設立
    • 大久保政権の懐柔策
      • 大阪会議(2月):大久保利通が木戸・板垣と会談。漸進的な国会開設を受け入れ木戸・板垣は政府復帰。
      • 漸次立憲政体樹立の詔
      • 元老院(立法諮問機関)
      • 大審院(司法機関)
      • 地方官会議(地方行政)
    • 大久保政権の弾圧策
      • 讒謗律
      • 新聞紙条例
  • 1876
  • 1877
  • 1878
    • 紀尾井坂の変(5月)で大久保利通暗殺。新政府は強力な指導者を欠く

(3)大久保政権崩壊~帝国議会の成立

大久保利通の死後、強力な指導者を欠いた明治政府は、内閣・憲法・議会の整備へ動いていく。

豪農民権(1870年代後半~1881)

「士族民権」衰退後、運動は地主・商工業者を取り込んだ「豪農民権」に移行。欧米の市民革命の影響を受け政治えの関与を要求する。

  • 1878
    • 愛国社再興大会(9月) 運動が地主、都市の商工業者、府県会議員に拡大
  • 1880
    • 国会期成同盟(3月)
      • 天皇宛の国会開設請願書を提出しようとするが政府に受理してもらえず。
    • 集会条例(4月)
      • 集会・結社の自由を規制。民権派による国会開設運動の昂揚に対処
  • 1881
    • (a)政府内対立:国会開設をめぐる明治政府内における大隈と伊藤の対立
    • (b)開拓使官有物払下げ事件
      • 内容:北海道の官営事業を政商に安値で払い下げようとした事件(薩摩閥)
      • 影響:民権派が政府攻撃を強める。
    • (c)明治十四年の政変
      • 大隈重信罷免(口実:開拓使官有物払下げ事件における世論の政府攻撃激化は大隈のせいとした)、払下げ中止
    • (d)国会開設の勅諭 1890年に国会開設することを公約
    • (e)松方財政(1881~92) 
      • 内容:増税による歳入の増加と緊縮財政(デフレ政策) 
      • 影響:松方財政の緊縮財政は米価下落をもたらし、深刻な不況が全国に広がった。
        • →農民の階層分化:自作農が没落・地主が土地集積・土地喪失者は小作化or低賃金労働者
        • →没落農民たちは地方の自由党と結んで次々と蜂起

農民民権(1882~1886)

自由民権運動の過激化。政府は議会開設のために憲法調査を行い内閣制度を発足させる。

大同団結運動(1886.10~)

  • 民権運動サイド
    • 大同団結運動…政党の対立をこえて団結することを提唱。
    • 三大建白運動…「地租軽減・言論集会の自由・外交失策の回復」
  • 政府の対応
    • 弾圧:保安条例(民権派追放)
    • 懐柔:大隈・後藤入閣

第1回帝国議会の招集