2015年センター試験 日本史 解説

センター解説日本史個人用メモ。
高2の授業で「センターの解説を自分で作ろう!」をやるので、教員も自分で作った。
(ジグゾー学習。自分の担当箇所の解説を作って各班員が説明し全体の解説を作る。)
細かい知識としては【21】の佐竹義和と【31】の安井曽太郎くらいか。
巷で誤植として指摘されているのが【9】。
たまたま正文組合せ問題の判定文「c」が外れだったので出題ミスを免れることとなった。
あと【17】で「ソウル=漢城」と出てきており、世界史【30】の選択肢3が外れだと分かってしまう。

大問1 人口移動に関する会話文

リード文A 日本からの人口流出
  • 【1】日本人の海外移住者数(グラフの読み取り)
    • 正解は選択肢3.満州事変は1931年。敗戦は1945年。この期間に該当する棒グラフは3つ。31年〜35年の満州国移住者は少ないけれども、36年〜40年、41年〜50年の二つの期間の棒グラフでは大幅な人口を占めているので、明らかにこの期間の累計では全体の半分以上であることが分かる。
      • 選択肢1;北米・その他の移住者は1920年代までのグラフで半分以上を占めている。
      • 選択肢2;中南米への移住者は増えている。グラフを読むまでもなくリード文の会話の中でも「北米では日本人移民排斥運動が起きた。ブラジルやペルーなど南米への移民はその後に増えたんだ」と解説されている。
      • 選択肢4;英米との開戦は1941年。36〜40年のグラフと41年〜45年のグラフを比較すると、その数は大幅に減少している。
  • 【2】近代の日米間系(正文判定)
    • 正解は選択肢2。日露戦争後の欧米では黄禍論が巻き起こり、1906年にサンフランシスコで日本人学童が入学を拒否された事件をはじめ、カリフォルニアを中心に移民排斥運動が激化した。満州情勢では、1905年にアメリカの鉄道企業家ハリマンが日本に満鉄共同経営を提案して断られると、1909年にアメリカ政府は満鉄の中立化を列国に提唱するなどして日本の南満州権益独占に反対した。こうして日米関係は急速に悪化していった。
      • 選択肢1;桂・タフト協定では日本の韓国指導権とアメリカのフィリピン統治を相互に承認した。「日本が朝鮮半島から撤兵する」というのは誤り。
      • 選択肢3;石井・ランシング協定では米が日本の「特殊権益」を、日が米の「門戸開放」を認め合った。1923年の九か国条約で石井・ランシング協定は破棄され、中国権益を放棄して青島は返還された。
      • 選択肢4;ワシントン軍縮を思い出せれば「日本はアメリカと同量の主力艦保有」は間違いだと気づく。日露戦争後の1907年、日本は帝国国防方針により戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻を目標とする八・八艦隊の実現を目指した。1920年の原内閣では27年までに八・八艦隊を完成する案を確定した。しかし1922年のワシントン海軍軍縮条約により英米日仏伊の五か国間で主力艦の総トン数比率が5:5:3:1.67:1.67と規定されてしまう。これにより八・八艦隊計画は挫折した。さらに1930年のロンドン海軍軍縮条約では補助艦(巡洋艦駆逐艦・潜水艦)の総保有比率を英米日で10:10:7と決定され、主力艦の建造停止を1936年までと延長された。ワシントン海軍軍縮条約は日本側が34年12月に廃棄を通告して36年12月に失効、ロンドン海軍軍縮条約も36年1月における日本の条約からの脱退で失効した。こうして無制限建艦競争の時代に入った。
  • 【3】朱印船貿易(図版資料・正誤組合せ)
    • 正解は選択肢3.
      • X 誤り。朱印状は戦国〜江戸期の支配者の朱印を押した公文書。朱印船貿易は秀吉に始まり家光に終わった。天皇は朱印状を出していない。
      • Y 正しい。史料から呂宋(ルソン)と読み取れるので、フィリピンのルソンだということかが分かる。
リード文B 日本への人口流入
  • 【4】中国僧・平安中後期の港(空欄補充)
    • 正解は選択肢1.
      • 空欄(ア)には鎌倉時代に北条氏の帰依をうけた中国僧が入る。「(ア)とか無学祖元ね」と言っているので、北条時頼×蘭渓道隆×建長寺のセットを思い出そう。ちなみに北条時宗×無学祖元×円覚寺のセットも覚えておこう。外れ選択肢の桂庵玄樹は室町文化の人物。肥後菊池氏の招きで隈府に孔子廟を建て、さらに島津氏の城下町鹿児島に移って『大学章句』を刊行した。薩南学派の祖でもある。
      • 空欄(イ)には平安中後期に宋の商人が来航した港が入るので博多。日本は朝貢関係を避けるために正式な国交を結ばなかったが、宋の商人は博多に盛んに来航した。平清盛は宋の商人を畿内に招来するために大輪田泊を整備していることを想起できれば、選択肢「堺」は外れだと識別できる。堺が繁栄したのは15世紀後半からで勘合貿易南蛮貿易による。
  • 【5】鎌倉・室町時代禅宗とその文化(誤文判定)
    • 正解は選択肢1.濃絵は室町文化。障壁画のうち紺碧濃彩画を指し、余白を金銀地で仕立て、緑青や朱などの濃彩を用いた。狩野派画人がよく描いた。雪舟は水墨山水画の完成者。
      • 選択肢2;禅宗様は宋から導入された建築様式で禅院に用いられたのが名称の由来。急傾斜の屋根、強い軒反りが特徴で細かい材木を用いて整然とした美しさを出す。円覚寺舎利殿はその代表的建築物で、細部に曲線的手法を用い、花頭窓や桟唐戸など大陸的意匠が強く、大瓶束、扇垂木なども特徴的。
      • 選択肢3;村田珠光は侘び茶の創始者足利義政同朋衆能阿弥に師事する一方で、大徳寺一休さんに参じて茶禅一味の精神を身に着けた。侘び茶は村田珠光から武野紹鴎を経て千利休によって完成された。
      • 選択肢4;大徳寺大仙院庭園は1513年ごろの作庭。多数の石組と白砂で構成された枯山水の庭園である。上下の庭は深山幽谷から水がほとばしる様、下石の庭はゆるやかに峡谷を流れる様を示す。

大問2 原始古代 農業と社会の変化

リード文A 獲得経済から生産経済への移行と余剰生産物の蓄積による国家の誕生
  • 【7】更新世から完新世への自然環境変化による生産形態の変化
    • 正解は選択肢4.地球の温暖化とともに縄文海進が起こって漁撈が活発化し、網が使われた。網を水中に沈めるおもりが石錘や土錘。
      • 選択肢1.更新世から完新世になると大型獣から中小獣へと変化したのですばしっこい獲物を狩るために弓矢が使われた。
      • 選択肢2.木の実をすりつぶすのは石皿。細石器は旧石器時代の大型獣に大ダメージを与えるために槍に組み込んだ細かい石器。
      • 選択肢3.食物を煮炊き・貯蔵するのは土器。日本において金属器は青銅器と鉄器が同時期に入ってきたため、鉄器は実用的なものに使われた一方で青銅器は祭祀に使われた。
  • 【8】弥生時代に普及した農具(図版資料)
    • 正解は選択肢4.
      • Xは竪杵であり脱穀をするのに使われた。開墾に使うのは鋤とか鍬。
      • Yは石包丁であり収穫の際に穂首刈りを行った。田植えに用いるのは水田面を平たんにする「えぶり」である。
  • 【9】ヤマト政権(正文組合せ)
    • 正解は選択肢2.いわゆる「誤植」によって世間を騒がせることとなった有名な問題。たまたま判定文「c」が外れだったので出題ミスを免れた。センター日本史の正文組合せは判定文a,b,c,dのうち必ず「a,bどちらか」と「c,dどちらか」が正文となる。しかし選択肢の組み合わせを見てみると「a・b」「a・d」「b・c」「b・d」となっている。つまり「a・c」が正解だった場合が選択肢にないのである。たまたま判定文「c」が外れだったので答えは「a・d」となったが、あわや出題ミスとなるところだった。ちなみに選択肢2の「a・d」以外「b」が入っているので、「b」が外れだと分かれば正解が出てしまうことになる。
      • a:正しい。氏姓制度に関する説明。ヤマト政権は豪族を「氏」と呼ばれる組織に編成し「氏」単位にヤマト政権の職務を分担させて「姓」を与えて支配した。
      • b:誤り。ヤマト政権の土地・人民シリーズの土地編。ヤマト政権の直轄地は「屯倉」。「田荘」は豪族の私有地。
      • c:誤り。倭の五王朝貢が記されているのは『宋書』。しかも北朝ではなく南朝朝貢した。
      • d:正しい。ヤマト政権の土地・人民シリーズの人民編。直轄民は「名代・子代の部」。豪族の私有民は「部曲」。
リード文B 国家と農業
  • 【10】奈良時代の灌漑施設(正誤組合せ)
    • 正解は選択肢1.
      • X:正しい。三世一身法は三代所有できるかと思いきやそれは新たに灌漑施設を作った場合で、旧来の施設を利用した場合は本人一代なんだぜという有名な問題。
      • Y:正しい。当時は国家仏教だったので用水地や橋の設置など社会事業を行いながら庶民への布教を行った行基は弾圧されたのだが、大仏を作るときに利用されて大僧正にまでなっている。
  • 【11】郡司について(時系列整序)
    • 正解は選択肢3
      • 大宝律令は701年。健児は桓武朝。国司が暴政を行うのは負名体制(10世紀)以後。
      • 律令制では旧来の国造などの豪族は郡司として国司の下で民政や裁判をおこなった。
      • 8世紀末に即位した桓武天皇律令制度の立て直しを迫られた。班田農民を兵士として扱うことは軍事力の弱体化を招いていたので一部地域を除き豪族の子弟や有力農民など少数精鋭の健児を採用した。
      • 律令制は立て直すことはできず財源不足に直面した結果、10世紀以後は一国の支配を国司にまかせるようにした。国司は徴税権を強化し収奪したので暴政を訴えられた。
  • 【12】寄進地系荘園(史料・誤文判定)
    • 正解は選択肢1.
      • 寄進地系荘園ではそれはもう有名すぎる鹿子木荘の史料。別に今まで読んだことが無くても、史料を読めば分かる問題。藤原実政に土地を寄進したのは中原高方。寿妙は中原高方の祖父で鹿子木荘の祖。

大問3 中世から近世初期までの政治・社会

リード文A 北条泰時の治世
  • 【13】御成敗式目制定のねらい(史料・空欄補充)
    • 正解は選択肢4.
      • 式目制定のねらいとして有名な北条泰時書状。御成敗式目は「頼朝公以来の先例や武家社会の道理」を基準とした。適用は「武家社会に限られ」、朝廷の支配下では「律令の系統を引く公家法」や荘園領主のもとでは「本所法」が生きていた。故に資料文には(ア)には道理、(イ)には武家、(ウ)には律令が入る。
  • 【15】中世の京都(正誤組合せ)
    • 正解は2
      • X:正しい。京都や奈良の商工業者たちはすでに平安時代の後期頃から、大寺社や天皇家に属して販売や製造についての特権を認められていたが、同業者団体である座を結成するようになった。
      • Y:誤り。天文法華の乱で延暦寺と衝突し焼き討ちを受けて一時京都を追われたのは、一向一揆ではなく法華一揆法華一揆一向一揆と対決し、町政を自治的に運営した。
リード文B 戦国時代の四国と長宗我部氏について
  • 【16】戦国期の主なイベント(リード文空欄補充)
    • 正解は選択肢3.小学生でも解けそうな問題だ・・・。信長が光秀に敗死したのは本能寺の変。秀吉の関東征伐は対北条氏。
      • 嘉吉の変は足利義教が暗殺された事件。「鴨の赤ちゃんを見に来てね!!」に釣られて暗殺されたことで有名な事件である。義教は天台座主であったが、くじ引きにより将軍に選ばれた。故に「万人恐怖」と呼ばれる恐怖政治を展開、関東を永享の乱結城合戦で討伐した。結城合戦後、赤松満祐の「鴨の赤ちゃん」に誘われて暗殺された。
      • 伊達氏は小田原攻め中に参陣して服従した。
  • 【17】朝鮮出兵(正文選択)
    • 正解は選択肢1.文禄慶長の役は朝鮮では壬申・丁酉の倭乱と呼ばれる。秀吉の対外侵略に関しては、明の国力衰退に対して日本を東アジアの国際秩序の中心にしようとしただとか、大名の領土要求を大陸に向けさせるとか色々と解釈されている。
      • 選択肢2:日本が漢城(ソウル)を占領したのは1回目の文禄の役の時。第2回目は最初から苦戦した。ちなみに世界史【30】の正誤判定で「ソウルは慶州と呼ばれた」という選択肢が登場するが日本史を選んでいればこれを外れと特定できてしまうのであった。
      • 選択肢3:朝鮮に援軍を送ったのは清ではなく明。明はこの援軍派兵が国力を疲弊させる一因ともなった。
      • 選択肢4:朝鮮水軍を率いたのは李舜臣李成桂李氏朝鮮の建国者。
  • 【18】戦国大名や豊臣政権の法や政策(誤文判定)
    • 正解は選択肢4.秀吉は太閤検地を行う際にそれまでまちまちであった枡の容量を京枡に統一した。
      • 選択肢1は正しい。喧嘩両成敗法は理非にかかわらず喧嘩の当事者双方を処罰すること。私闘を禁止し紛争を公議としての大名の裁定で決着させたことで、領国内の司法権を確立した。具体例としては『甲州法度之次第』や『長宗我部氏掟書』などに規定がある。
      • 選択肢2は正しい。戦国大名は指出検地を行った。指出検地とは申告方式による検地。家臣である領主に支配地の面積、収入額を自己申告させるものと農民に耕作地の面積、収入額を自己申告させるものがあった。必ずしも統一した基準で行われたわけではない点で、後の太閤検地などの丈量検地と異なる。
      • 選択肢3は正しい。小学生が習ういわゆる楽市楽座とかいうもの。市の閉鎖性や、特権的な販売座席である市座を廃し、商品取引の拡大・円滑化を図った。

大問4 近世の政治・経済・社会

リード文A 近世の飢饉
  • 【19】近世の飢饉への対応・対策について (正文判定)
    • 正解は選択肢3。寛政の改革における都市政策のひとつ七分積金に関する記述。町々に町費節約を命じ、節約分の7割を積み立てさせ、新たに設けた江戸町会所によってこれを運営させて、米・金を蓄え、飢饉・災害時に困窮した貧民を救済する体制に整えた。
      • 選択肢1は誤文。寛政の改革の農村政策は出稼ぎ制限・公金貸付・囲米。田旗永代売買の禁令が解かれたのは明治時代の地租改正の時。地券が地主・自作農に交付され土地所有権が確立した。
      • 選択肢2は誤文。上米は農村から余った米を買い上げるのではなく、参勤交代の緩和を代償に石高1万石について100石を臨時に上納させた制度。参勤交代は主従関係を確立するため行われていたので、その緩和は将軍側からは「恥辱」と認識されたので財政再建に見通しがつくと上米の制は廃止された。
      • 選択肢4は誤文。天保の飢饉の時、富裕な商人は米を買い占めて暴利をむさぼった。大坂町奉行も窮民救済策をとらず大坂の米を大量に江戸へ回送していたので大塩平八郎の乱が起こった。
  • 【20】近世の西日本の流通(出来事と人物の組み合わせ)
    • 正解は選択肢2.大坂と東北地方を結ぶ西回り航路を整備したのは河村瑞賢であり、高瀬川の開削は角倉了以である。
      • b:紀伊国屋文左衛門は小学校社会科歴史でみかんのエピソードで有名な人物。小学生たちは紀伊国屋文左衛門の話がでると狂喜乱舞しながら興奮する。紀州のみかんを江戸に廻送して利益を上げ、材木商に進出。「成金の2代目はおバカ」の法則でも有名で、2代目は紀文大尽と呼ばれ遊里での豪遊が有名である。2代目がおバカで有名な人物としては日光東照宮修理で富を得た奈良屋茂左衛門も覚えておこう。
      • c:田中勝介は前ルソン総督ドン=ロドリゴを送ってノビスパンに渡った人物。最初にアメリカ大陸に渡った日本人だとされている。
  • 【21】近世の東北諸藩(正誤組合せ)
    • X:正しい。慶長遣欧使節に関する文章。1613年、仙台藩伊達政宗は家臣の支倉常長をスペインに派遣してメキシコと直接貿易を開こうとした。しかし通商貿易を結ぶ目的は果たせず。
    • Y:正しい。佐竹義和は秋田藩主。天明の飢饉後、藩政改革に努め、農・鉱・林業の奨励、織物・製紙・醸造などを保護・育成した。人材の登用や藩校明徳館を設立して教学の刷新を図る。
リード文B 天保の改革
  • 【23】近世後期の対外問題への幕府の対応(時系列整序)
    • 正解は選択肢2。
  • 【24】農村の階層分化による貧民の都市流入(史料・正文組み合わせ)
    • 正解は選択肢3.
      • a;誤り。天保の改革の「人返しの法」を思い出せれば、江戸に流入した貧民を帰郷させるための努力がうかがわれる。「近年御府内え入込、裏店等借請居候者の内には、妻子等も之無く、一期住同様のものも之有るべし。」
      • d;誤り。天保期に人口政策として行われたのは「宗門改め」ではなく「人別改め」。「宗門改め」は島原の乱後の禁教目的の宗教調査。

第5問 明治期の立法機関

リード文 帝国議会以前の立法機関と帝国議会
  • 【25】リード文空欄補充
    • 正解は選択肢4。空欄(ア)は太政官の下に設置された機関と空欄(イ)は元老院が設置された根拠を答えればよい。外れ選択肢がザルなので消去法でも解けるが正攻法で解くと以下の通り。空欄(ア)は内閣制度成立までの中央官制の変遷をおさえておく必要がある=三職→太政官制太政官制(二官八省)→太政官制(三院制)→内閣制度。このうち要求されているのは太政官制(三院制)であり、答えとなる「左院」は立法の諮問機関であり、憲法草案・刑法・治財法・商法の起草に着手した。空欄(イ)については大阪会議後に出された「漸次立憲政体樹立の詔」において、元老院大審院を設け、地方官議会を招集して国会開設の準備を進め、「漸次二国家立憲ノ政体ヲ立」てる旨を示した。
      • 枢密院は1888年明治憲法草案を審議するために設置された。憲法制定後も天皇の最高諮問機関として憲法(第56条)で規定され、重要な国事を審議した。
      • 立志社建白は1877年立志社社長片岡健吉が中心となって、国会開設・地租軽減・条約改正など失政8条を要求し、天皇に提出した建白書。すぐに却下された。
  • 【26】明治期において海外における当時の先進的な知識などを日本に導入した人物(人物と出来事の組み合わせ)
    • 正解は選択肢3.
      • X;地方自治制の助言を行ったのはモッセ。モッセはドイツの法学者で憲法調査に渡欧した伊藤博文にドイツ法を教授した。後に政府顧問として来日し、明治憲法の制定、市町村制など地方自治制の成立に尽力した。
      • Y;フランスに留学して印象派の画法を持ち帰ったのは黒田清輝。黒田はパリ留学から帰国後、白馬会を結成。その画法は外光派と呼ばれ明るい色調は美術界に影響を与えた。「朝妝」で裸体画事件を起こす。
    • 外れ選択肢
  • 【27】明治期の経済(正文判定)
    • 正解は選択肢4。官営事業払い下げに関する記述。1880年の工場払い下げ概則の規定により実施。松方正義が大蔵卿に就任して推進。軍事・造幣・通信などの官営事業を除き、主に工部省関係の工場施設を大政商に払い下げた。当初は条件が厳しく進展しなかったが、84年に払い下げ概則を廃止すると軌道にのった。
      • 選択肢1:八幡製鉄所は三井・三菱などの出資ではなく官営。日清戦争後の軍備拡張・鉄鋼業振興政策による。
      • 選択肢2:松方デフレに関する問題。小作地率は低下したのではなく増加した。地主は小作から効率の現物小作料を取り立て、そのかたわらで貸金業を営み貸金のかたに土地集積を進めたので、自作農の小作化が生じた。
      • 選択肢3:地主は株式投資に消極的になっていない。会社設立ブームを思い出せ。松方デフレが収束し官営事業払い下げが進み、銀兌換制が確立して貨幣価格が安定して金利が低下すると、株式取引も活発となった。
  • 【28】鉄道(正誤組合せ・史料)
    • 正解は選択肢3
      • X:誤り。幹線鉄道は唯一の鉄道会社によって経営されていたのではない。史料文「北海道より九州に至る僅々二千哩にも足らぬ主要なる幹線すら尚且つ数箇の管理に分かれて居るという有様でございます」とある。主要幹線の民営鉄道17社が買収されて国有化された。
      • Y:正しい。史料文中に「……軍事に経済に国家はいかなる不利を被っている居りまするか、理の見やすきことと考えます」とある。

大問6 昭和戦前・戦後初期に活躍した作家林芙美子について

リード文A 1903年〜1928年
  • 【29】大正から昭和初期の社会運動やそれへの対応について(正文判定)
    • 正解は選択肢4.1911年、大逆事件の翌年に警視庁に思想犯・政治犯を取り締まる特別高等課が置かれ、28年に全国都道府県の警察にも設置された。
      • 選択肢1;集会条例は1880年。自由民権派による国会開設運動の高揚に対処した。メーデーとは関係ない。
      • 選択肢2;戒厳令天皇大権のひとつ(第14条)。非常事態に際し、軍隊に治安権限を与えた。1905年の日比谷焼打ち事件、23年の関東大震災、36年の2.26事件などで出された。
      • 選択肢3;北一輝が殺害されたのは2.26事件後。首謀者として銃殺されたためであり、関東大震災がきっかけではない。
  • 【30】大正から昭和初期の文学や出版(誤文判定)
    • 正解は選択肢3.『太陽』はインテリゲンツィア向けの総合雑誌で大衆娯楽誌ではない。大衆娯楽誌は『キング』。
      • 選択肢1は正しい。中里介山は『都新聞』に長編大衆小説『大菩薩峠』を発表、大衆文学興隆の元となる。剣客机竜之介が幕末を舞台に人を斬りつつ旅する波瀾の時代小説。
      • 選択肢2は正しい。小林多喜二はプロレタリア作家として活躍。『蟹工船』ではカムチャッカカニを取り加工する蟹工船の労働者を描く。
      • 選択肢4は正しい。円本は関東大震災後の不況を打開するため、改造社が1冊1円という安価な『現代日本文学全集』を刊行して成功。二匹目のどじょうを狙う新潮社の『世界文学全集』など円本がブームになった。
リード文B 1933〜1944年
  • 【32】リード文空欄補充
    • 正解は選択肢1.
      • 空欄(ア)には1942年〜43年当時における内閣総理大臣が入る。1941年10月〜44年7月の間に成立していたのは東条内閣。第三次近衛内閣後に組閣され太平洋戦争に突入。東条英機は首相・陸相参謀総長を併任した。サイパン陥落の責任を取って総辞職した。
      • 空欄(イ)には空襲の危険がある東京を離れ田舎に逃れることが入る。よって疎開
    • 外れ選択肢
    • 鈴木貫太郎内閣は1945年4月〜8月に戦争終結を図るために成立した。主戦派をおさえてポツダム宣言受諾を決定。玉音放送後総辞職。
    • 復員とは陸海軍人が動員を解除されて各自の家庭に戻ること。
  • 【33】日中戦争勃発前後の政治・文学(正文組み合わせ)
    • 正解は選択肢4
      • a:宣戦布告をするとアメリカの中立法(戦争状態にある国への武器・弾薬の禁輸条項を含む)の適用を受けるので、日本・中国とも宣戦布告をしなかったので、日華事変とかシナ事変と呼ばれた。
      • c:小説も検閲を受けた。石川達三の『生きてゐる兵隊』は日本軍兵士の生態を写実的に描いたので発禁となった。
  • 【34】日本軍が占領した都市(地図選択)
    • 正解は選択肢1
    • 外れ選択肢
    • bはたぶん重慶じゃね?中華民国国民政府が首都を移転させて援蒋ルートに支えられながら抗戦した。戦時モノが好きな人には重慶爆撃とか有名なはず。
    • dはジャワ。蘭領東インド
リード文C 戦後
  • 【36】占領期の社会状況について(正文判定)
    • 正解は選択肢2.中国残留孤児の文章。1945年のソ連参戦で、満蒙開拓団の人々は、満州各地に取り残された。厳しい状況の中、子どもを中国人に託して帰国せざるを得なかった。中国人に育てられた日本人の子が中国残留孤児。
      • 選択肢1;シベリア抑留者の帰国が実現したのは日ソ共同宣言。日ソ中立宣言は1941年4月に松岡洋右モロトフ外相で調印。中立友好と領土保全・不可侵を約す。有効期限は5年。2か月後の1941年6月には独ソ戦が開戦されてしまったり、ソ連側に破られて対日参戦されたりした。
      • 選択肢3;国民徴用令は1939年7月、国家総動員法に基づく勅令。GHQがだしたものではない。国民を強制的に徴発して、重要産業に就労させた。
      • 選択肢4;朝鮮戦争では米軍は大量の物資を「供出」したのではない。米軍により膨大な「特需」が発生したため経済が活発化した。