受験生の方々におかれましては、こんな所を見ていないで、ちゃんとした予備校のサイトを見ましょう。
- はじめに
- 私の世界史の授業では毎年恒例の行事として生徒にセンターの解説作りをやらせています。今年は各班ごとに問題を振り分け解説動画を撮影しそれを流してコメントで討議します。勿論生徒だけにやらせるわけにもいかないので教員も解説動画を作っておき後で公開します。そんなわけで大学入学共通テストの「世界史B」の解説を作りました(昨年度までの解説はコチラ)。授業後、しばらく経ったらもう一度問題を解かせて知識の定着を図っていきます。問題解く→解説作る→生徒動画撮影→動画流してコメントで討議→フィードバック→もう1度問題解く。大学入学共通テスト「世界史B」の解説作りを通したアクティブラーニングの実践です。
- 従来のセンター世界史と共通テスト世界史の違い
- 史料をもとにして、それがどのように解釈されて歴史が書かれるのかということを示そうとしている。
- 資料読解が必要な設問が増えたが、逆に歴史知識が無くても解けるようになってしまった。
- 単に空欄補充させるのではなく、空欄に該当する事項を分かっているという前提でそれに関する事項を問う2段階設問が登場。
- 雑感
【目次】
第1問 資料と世界史上の出来事との関係
第2問 世界史上の貨幣について
A 1750年~1821年のイギリスにおける金貨鋳造量の推移
問1 【6】1776年以前の出来事
- グラフ読解&年代把握→グラフを見れば、金貨鋳造量が初めて500万ポンドに達するのは1776年だと分かる。1776年以前の出来事を選べばよい。
- ①誤文:ラテンアメリカの独立は環大西洋革命の流れで起こる。ナポレオン軍の侵入で宗主国(スペイン・ポルトガル)が崩壊したことを契機とするので19世紀以降の出来事。
- ②正答:茶法が制定されるのはイギリスがフランスとの植民地獲得競争に勝利し重商主義政策を強化したから。七年戦争からパリ条約の締結は「和む(1756)南無三(1763)」と覚える。受験世界史におけるパリ条約は3つあり、七年戦争(1763)、アメリカ独立戦争(1783)、クリミア戦争(1856)を覚える。よって、1776年以前の出来事は七年戦争終結(1763)からアメリカ独立(1783)までの間にある茶法(1773)と分かる。
- ③誤文:ロシアの南下政策が始まるのは19世紀からなので誤文と分かる。
- ④誤文:神聖同盟もウィーン体制なので19世紀と分かるので誤文。
B アジアの貨幣
問4 【9】16世紀における銀貿易による世界の一体化
問5 【10】半両銭と交鈔
問6 【11】ケマルの業績
- 空欄補充+誤文選択(空欄に当てはまる人物をケマルと判断した上でその人物の業績を選ぶ)
- 空欄補充:ケマルは1934年に大国民議会からアタテュルク(トルコ人の父)の称号を与えられた。よって空欄キの人物はケマル
- ①正文:第一次世界大戦に敗戦した後ケマルは1920年4月にアンカラに大国民議会を開設したので正しい
- ②正文:1920年8月、スルタン政府がセーヴル条約を甘受すると、ケマルは祖国解放戦争を起こしギリシア軍をアナトリアから放逐したので正しい。
- ③正文:1922年11月にスルタン制を廃止したケマルは1923年7月のローザンヌ条約で主権を回復し、11月に共和国を樹立して大統領に就任。1924年にカリフ制を廃止した。
- ④誤文:ケマルの文字改革ではアラビア文字を廃止してローマ字を導入した。
第3問 文学者やジャーナリストの作品
A 『デカメロン』
問1 【12】ルネサンス文化
- 作者名と文化背景の組み合わせ
- 作者名の選択肢はペトラルカ・ボッカチオ・エラスムス。ペトラルカは理想の恋人ラウラへの思慕を抒情詩集『カンツォニエーレ』で歌った。『デカメロン』はボッカチオの作品でフィレンツェ市内の黒死病を避けた3人の男性と7人の女性が、各人1日1話、10日間で100の小話を語り合う形式で人間的欲望を記した。個人的には3日目第10話がおススメ。エラスムスは『愚神礼賛』で教会と聖職者の腐敗と堕落に鋭い批判を浴びせた。
- 文化的特徴の選択肢は「ダーウィンの進化論」or「人文主義」。ルネサンスの基調となったのは知性と感性の調和する豊かなヒューマニティの追求なので選択肢Tが正解。ダーウィンの進化論は19世紀後半で、これがスペンサーの社会進化論につながり欧米列強の帝国主義支配を正当化した。
問2 【13】ペストとその影響
問3 【14】修道院・修道会
- 正文選択
- ①誤文:モンテ=カッシーノに修道院を作ったのは、インノケンティウス3世ではなくベネディクトゥス。労働と勉学を重んじ「祈り、働け」を標語とした。インノケンティウス3世は13世紀初めの教皇権絶頂期の教皇。ジョン、フィリップ2世を破門し「教皇は太陽、皇帝は月」と豪語した。
- ②正文:シトー修道会は12~13世紀に全西欧に勢威を誇った修道会。聖ベネディクトゥスの戒律の精神に則った厳格な生活を実践し清貧と労働を実行する。このため司牧はせず、荒野の開墾に従事した。
- ③誤文:クローヴィスは全フランクを統一したメロヴィング朝の創始者。クリュニー修道院は910年アキテーヌ公ギョームがブルゴーニュに創立したもの。11~12世紀に全西欧に広がった修道院改革運動で叙任権闘争の地盤となった。
- ④誤文:イギリスで修道院を解散したのはテューダー朝のヘンリ8世。兄の寡婦キャサリンとの間には男子が生まれずアン・ブーリンと恋に落ちたため離婚を決意したがローマ教皇の許可が得られなかったので国を挙げてローマ教会から独立し1534年の国王至上法でみずから教会の頭となりイギリス国教会をつくった。ヘンリ3世は失政の為シモン・ド・モンフォールの反抗を招いたプランタジネット朝4代の王。
B 19世紀以降のロシアにおける革命運動の展開について
問4 【15】世界史における宗教と教育・政治との関係について
- 誤文選択
- ①正文:政教分離法は1905年のフランスで国家の宗教的中立を定めた法律。信教の自由の保障、1801年のコンコルダートの破棄、公共団体による宗教予算の廃止、教会財産の信徒会への無償譲渡などを内容とし、教会との積年の争いに共和派が勝利した。
- ②正文:神学はキリスト教の真理を解明、弁証する学問。キリスト教が異端との対決の過程にその必要が生じ、アウグスティヌスが体系づけて中世にはトマス=アクィナスがスコラ哲学として大成した。中世では「哲学は神学の婢」といわれ哲学は神学に奉仕するものであttあ。
- ③正文:マドラサはイスラームの高等教育機関。ウラマーを養成するイスラーム世界の教育制度の根幹で11世紀頃から各地に広まった。
- ④誤文:科挙で問われるのは仏教ではなく儒教。
問5 【16】ナロードニキ運動
C イギリス人作家ジョージ=オーウェル(1903~1950)
問7 【18】1950年以前の社会主義体制による抑圧
- 正文選択(『1984年』はオーウェル晩年の作品とリード文にあるので作品が書かれた歴史的背景として1950年以前の社会主義体制による抑圧を選べばよい)
- ①正答:スターリンは1930年代半ばに日独挟撃の恐怖のなかで大粛清を発動し、個人独裁に進んだ。
- ②誤答:プロレタリア文化大革命は1966年から76年にかけて中国で展開された政治権力闘争。毛沢東が大躍進に失敗した結果、劉少奇らの実務型指導者が実権を握った。毛沢東は巻き返しを図るため「修正主義」「資本主義の復活」として1966年に文化大革命を発動し実権派から政治権力を取り戻そうとした。
- ③誤答:開発独裁とは、戦後のアジアで生じた強権支配によって反対派の運動を抑圧して、工業化や近代化を強行しつつ、近隣の社会主義勢力に対抗する政権のこと。韓国において反共イデオロギーと反日意識を利用して独裁体制を築いた李承晩、日韓基本条約により日本から無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を得て強権体制を維持し朴正煕、インドネシアにおいて9.30事件で実権を握り反共親米路線により経済発展を図ったスハルトなどがいる。
- ④誤答:北朝鮮で最高指導者の地位が世襲されたのは金日成→金正日。1994年に金日成が死去したのち、1997年に金正日が朝鮮労働党総書記に、98年に新憲法のもとで改めて国防委員会委員長に就任した。
第4問 世界史上における国家・官僚の文書
B パンダ外交
問5 【24】戦後東アジア国際関係史
問6 【25】1950年代の中国をめぐる国際環境
- 正文選択
- ①誤文 ソ連の支援を受けて国共合作したのは1924年なので戦前。1919年にカラ=ハン宣言で旧帝政ロシアが中国に有していた一切の帝国主義特権を放棄すると宣言されると、1921年にコミンテルンの指導で陳独秀が中国共産党を設立。1923年に孫文=ヨッフェ会談で知識人だけでなく国民大衆との協調を目指すようになり、1924年にボロディンを顧問として国民党を改組し、第1次国共合作が成立した。
- ②正文 冷戦下においてアメリカは蔣介石を支援した。実際に1971年まで台湾が中国の代表権を持っていた。
- ③誤文 朝鮮戦争で中国が支援したのは韓国ではなく北朝鮮。
- ④誤文 第二次天安門事件は1989年6月。ソ連の自由化を背景に中国でも自由化を求める気運が高まり天安門広場での100万人デモに発展。李鵬らの保守派は軍隊を使って弾圧。マスコミを通じて全世界に伝えられ強い非難と経済制裁を受けるが、鄧小平はこれを乗り切り共産党独裁体制を守った。
C 英領インドの統治
問7 【26】リード文読解(インド文化史・言語政策)
- インド文化史
- 言語政策
- リード文に書いてあるので日本語の問題。リード文7行目でアラビア語が推されているのでWは正しい。リード文13~15行目「すぐれたヨーロッパの図書館のたったひと棚分の書物が、インドやアラビアの言語で書かれたすべての文献に相当することを否定する人を、私は彼ら(※解説者註:東洋の諸言語にすぐれて堪能な人々)の中に一人として見出せませんでした」とあるので西洋の文献の優勢を否定しているものはいないためXは誤り。
問8 【27】リード文読解(インドにおける英語教育の導入)とイギリスの植民地政策
- リード文読解(英語教育)
- う 誤文:リード文の先生の発言の3つ目。英語はイギリス統治以前に用いられてはいないので誤り。
- え 正文:リード文の先生の発言の4つ目。「植民地政府は英語も使えるインド人役人を必要としており」とあるので正しい。
- イギリスの植民地政策
問9 【28】ムガル帝国
- 正文判定
- ①誤文:タミル語は南インドに分布するドラヴィダ諸語のひとつ。西暦紀元初頭には恋愛や武勇を主題としたサンガム文学が成立していたので誤り。
- ②正文:ムガル帝国皇帝シャー=ジャハーンは愛する妃ムムターズ=マハルのための廟としてタージ=マハルを建てたので正しい。
- ③誤文:ワヤン文化はジャワ地域のクディリ朝(928頃~1222)。独自のヒンドゥー=ジャワ文化が栄え、ワヤンと呼ばれる影絵芝居において『マハーバーラタ』をジャワ語に翻訳した。
- ④誤文:ウルグ=ベクが天文台を作ったのはティムール朝。ウルグ=ベクはティムール帝国第4代君主でティムールの孫。学芸を奨励し、学院や天文台を建設したが、子のアブドゥル=ラティーフに背かれ殺害された。
第5問 旅と歴史
A ヨーロッパ
問1 【29】シチリア島史
- 地名当てクイズ
- 誤文判定
- ①誤文:12世紀ルネサンスはアラビア語からラテン語への翻訳。
- ②正文:ルッジェーロ2世は、1105年に9歳でシチリア伯位を継承し、1130年の教皇庁分裂の際にシチリア王位を授けられ、ノルマン・シチリア王国初代の王となった。
- ③正文:1943年9月米英がシチリア・南イタリアに上陸しイタリア国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世(在位1900~46)がムッソリーニを解任して逮捕した。ムッソリーニはドイツ軍に救出されて北イタリアにイタリア共和国を建てたが、パルチザンに捕らわれ銃殺された。
- ④正文:ギリシア人は植民活動を展開し、地中海貿易で活躍していたフェニキア人と各地で衝突するようになる。ギリシア人のシチリアにおける有名な植民市はシラクサ。