【解説】講義用 センター試験世界史B(2020年1月18日実施)

今年もセンター試験明けの最初の講義ではセンター世界史の解説をします。
高3では二次私大の為の知識の確認も兼ねて、教員が解説する一斉授業形式。
高2はグループごとに大問を割り振り解説作りと発表をさせるアクティブラーニングをやります。
週明け最初の授業の為に突貫工事で作っているので誤字脱字があったら申し訳ない次第。

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第1問 文化の繁栄・受容

【1】イタリア史(正文判定)

【2】交易史(正文判定)

  • ①【誤文】シャンパーニュ地方は遠隔地交易を結ぶ内陸のルートにあり海運とは無関係。
  • ②【正文】清朝乾隆帝は貿易統制として広州一港に外国貿易を制限した。その時に貿易を管理したのが、特権的商人である公行であった。
  • ③【誤文】GATT保護貿易ではなく自由貿易を促すことが目的。
  • ④【誤文】カルカッタを支配したのはスペインではなくイギリス。スペインのアジア植民地はフィリピンである。

【3】宮廷文化(正文判定)

  • ①【誤文】女史箴図を描いたのは顧愷之。王羲之は書家で蘭亭序を書いた。
  • ②【正文】中世ヨーロッパでは吟遊詩人が騎士の恋愛を叙情詩で歌った。フランスではトゥルバドゥール、ドイツではミンネジンガーと呼ばれる。
  • ③【誤文】モネは19世紀後半から20世紀前半の印象派の画家である。17世紀スペインの宮廷画家といえばベラスケスであろう。
  • ④【誤文】サンスーシ宮殿はロココ式。バロック式で有名なのはヴェルサイユ宮殿

【4】古代ギリシア世界(正文判定)

【5】制度・政策史(正文判定) ※出題ミスとされた

  • ①【正文の予定だった】魏の曹操は兵士や流民に土地を与えて耕作させる屯田制を実施した。出題ミスとされたのは、三国時代の魏ではなく、戦国時代の魏とすれば誤文となってしまうからという説明であった。
  • ②【誤文】プロノイア制はビザンツ帝国の軍事制度。土地の徴税権付与と引き換えに軍事奉仕をさせた。ムガル帝国の軍事制度は位階制と結びついたマンサブダール制。位禄としての土地徴税権(ジャーギール)付与の見返りに騎兵と騎馬を養い帝国の軍事力を担った。
  • ③【誤文】ベルンシュタインは議会による社会改良を目指す修正主義を唱えた社会民主党右派の人物。プロイセンにおける農民解放を行ったのはシュタインとハルデンベルク。
  • ④【誤文】アトリー政権はポルトガルではなくイギリス。ポルトガルでは1932年から68年までサラザール体制が敷かれ独裁が行われていた。

【6】文化受容(正誤組合せ)

【7】文化受容・技術伝播(誤文判定)

  • ①【誤文】授時暦は元の郭守敬が作った暦であり、唐代ではない。
  • ②【正文】イスラーム世界では偶像崇拝が禁止されていたためミニアチュールが発達したのであり、イル=ハン国のモンゴル人が中国絵画を伝えて発展した。
  • ③【正文】イスラーム世界ではスーフィズムの信者が儀式で眠りを覚ますためにコーヒーを飲むようになり、東方貿易でヨーロッパ世界にもたらされた。
  • ④【正文】宋代中国で火薬を用いる兵器が発明され、バトゥの遠征や十字軍でヨーロッパにもたらされたとされる。

【8】世界史における指導者(正文判定)

【9】南北アメリカ史(正文判定)

  • ①【誤文】棍棒外交を展開したのはセオドア=ルーズヴェルト。カーターが行ったのは人権外交。
  • ②【誤文】OASを結成したのはカナダではなく合衆国。反共政策の一環。
  • ③【誤文】マクシミリアンが皇帝となったのはブラジルではなくメキシコ。ナポレオン三世メキシコ出兵によって皇帝となったが、メキシコ内乱でフアレスに処刑された。
  • ④【正文】マヤ文明では天文学は発達し精密なマヤ暦が作られ、ニ十進法やゼロの概念なども知られていた。

第2問 戦争・対外関係

【10】英仏抗争史(正誤組合せ)

【11】領土拡大(正文判定)

【12】世界史における言語(正文判定)

【13】国家間の勢力争い(誤文判定)

【14】ロシア・ソ連史(正文判定)

【15】冷戦(時系列整序)

【16】外交史(正文判定)

  • ①【誤文】澶淵の盟で多額の銀を贈るようになったのは遼から宋ではなく、宋から遼。
  • ②【誤文】パレスチナ暫定自治協定を仲介したのはレーガンではなくクリントン
  • ③【正文】西ドイツ首相のブラントはソ連や東欧と積極的に交流する東方外交を展開、ポーランドの国境を画定し、東西ドイツがお互いに存在を認め合った。
  • ④【誤文】マリア=テレジアがシュレジエン奪回のために外交革命で同盟したのはフランス。フランスのポンパドゥール夫人、ロシアのエリザヴェータと結んだので三枚のペチコート同盟という。プロイセンのフリードリヒ2世はオーストリアの敵国である。

【17】鄧小平(正文判定)

  • ①【誤文】新生活運動を行ったのは蔣介石。儒教理念に基づく総動員運動だった。
  • ②【誤文】ネルーと会談して平和五原則の発表したのは周恩来
  • ③【誤文】大躍進に失敗した毛沢東国家主席を辞任したため、それに代わったのは劉少奇。その後、文化大革命における毛沢東の巻き返しにより劉少奇は逮捕され死亡した。
  • ④【正文】鄧小平は文化大革命により2度の失脚を受けるが復活し、改革開放を実施し、中国が経済大国となる契機となった。

【18】中国の対外関係(空欄補充)

第3問 図書館と書物

【19】カリフについて(年表挿入)

【20】文字・記録媒体(正文判定)

【21】翻訳(正文判定)

【22】欧米列強の植民地支配(正文判定)

【23】旅行記・地理書(正誤組合せ)

【24】1848年革命(正文判定)

【25】未成年者の労働条件の改善(空欄補充)

  • ア 産業革命期のイギリスで労働者の待遇改善を訴えたのはロバート=オーウェンフーリエはフランスの空想的社会主義者でファランジュのもとで農業中心社会を作ろうとした。
  • イ 1833年に労働者を保護するために聖帝されたのは工場法。人身保護法は王政復古のイギリスでチャールズ2世に対抗するために出された令状なしでの逮捕拘禁を禁止する法律。

【26】ナチス=ドイツの拡大(地図)

【27】書物(正文判定)

第4問 人やモノの移動について

【28】漢代武帝の治世(正文判定)

  • ①【正文】漢代武帝は南越征討でこれを滅ぼし海南9郡を設置、ベトナム北部には日南郡はじめ3郡が置かれ漢人が派遣された。
  • ②【誤文】党錮の禁後漢末期に官僚(党人)が宦官に弾圧された事件であり武帝とは関係がない。
  • ③【誤文】府兵制の実施は西魏で実施され、隋・唐に継承されたのであり武帝とは関係がない。
  • ④【誤文】武帝の専売制は塩・鉄・酒の専売であり茶ではない。

【29】中国歴代王朝の都(正文判定)

  • ①【誤文】東周の都は洛邑であり建康は東晋及び南朝の都。
  • ②【正文】唐代長安では則天武后の時代にマニ教の布教が許された。
  • ③【誤文】北宋の都開封を占領したのは金の靖康の変。
  • ④【誤文】元の大都でカトリックの布教をしたのはモンテ=コルヴィノ。プラノ=カルピニはバトゥのヨーロッパ侵攻後にローマ教皇から派遣された修道士でグユク=ハンに面会した。

【30】ユーラシアの東西交渉(正文判定)

【31】移民・移住(正文判定)

【32】船(正文判定)

  • ①【正文】重装歩兵民主制および戦争と社会契約。ギリシャでは国防を担う重装歩兵が政治参加できたが、サラミスの海戦で漕ぎ手として戦争協力をした無産市民の発言権が高まった。戦争と社会契約の更新として、戦争動員された社会階層の地位が向上する。
  • ②【誤文】李舜臣が亀甲船で打撃を与えたのが明軍ではなく日本軍。
  • ③【誤文】アロー号はオランダ船籍ではなくイギリス船籍。アロー戦争の口実になった。
  • ④【誤文】第五福竜丸事件はフランスではなくアメリカの水爆実験。

【33】芸能・文芸(誤文判定)

  • ①【正文】グプタ朝のチャンドラグプタ2世に仕えたカーリダーサは仙人の養女を主人公とする『シャクンタラー』を書いた。
  • ②【正文】モリエールラシーヌコルネイユでフランス古典主義3大作家。後ろの二人が悲劇を書いたのに対し、モリエールは喜劇で活躍した。
  • ③【正文】インドネシアのジャワ島では民族芸能として影絵芝居であるワヤンが発達した。
  • ④【誤文】漢文唐詩宋詞元曲。詞が流行したのは隋ではなく宋である。

【34】ハンガリー史(正文判定)

【35】人の移動(正文判定)

  • ①【誤文】フン人の移動を受けてイベリア半島に建国したのは西ゴート族
  • ②【誤文】ヒクソスの侵入を受けたのは古王国ではなく中王国。
  • ③【正文】バルトロメウ=ディアスは南アフリカの南端に達し「嵐の岬」と名付けたが、ジョアン2世によって喜望峰と名称変更されてしまった。
  • ④【誤文】第一次世界大戦時にスイスから帰国したのはブレジネフではなくレーニン。敵国ドイツとの秘密交渉で封印列車によってドイツを通過しロシアに帰った。

【36】セルビア史(グラフ)

  • a【誤文】グラフでは年間死亡者がはじめて6万人を超えたのは1876年である。しかしセルビアオスマン帝国から独立したのは露土戦争後のサン=ステファノ条約・ベルリン条約であり、両者とも1878年の出来事なので誤文となる。
  • b【正文】サラエボ事件の翌年は1915年。年間死亡者数20万人超えと同じ年なので正文となる。

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