歴史的思考力を問う問題や歴史学的な観点からの設問は減少し、リード文や資料を読めば解けてしまう国語的な問題が非常に多かったように思える。歴史的思考力系の問題は、複数回答可の【13】・【14】で、これは歴史事象の背景・原因とその結果を考察させるものであった。歴史観の変化・歴史認識の恣意性の問題については、歴史上の評価が時代により変化することを扱おうとする設問もあったが(【11】や【30】など)、本質に迫ることが出来ず知識や国語力で解けてしまうものであった。また目についたものとしては、空欄補充を前提とした上で、その語句に関する設問を作ると言う形式が多い様に感じた。歴史が暗記科目ではないことを示そうとする取り組みであろうとは思われるが、単発知識問題を避けるためだけに用意されたように感じられ、特に歴史的思考力の深みを増すものではなかった。
【目次】
第1問 体制・制度史
A 前近代中国における集権/分権
問1【1】 封建制/郡県制(純粋国語・資料読解)
- 正文判定①
- ①【正】李斯のセリフに「一族や功臣の多くに、封土を分け与えて諸侯としましたが、その後疎遠となって攻撃し合い、周王は制御できませんでした」とあるので正しい。
- ②【誤】文章読解。李斯のセリフに「一族や功臣は制御しやすいように、国家に収められる租税によって手厚く手当てするのが、太平をもたらす方策です」とあるので、租税による保護は戦乱の原因ではない。
- ③【誤】文章読解。博士の一人のセリフに「周王朝が長く続いたのは、一族や功臣に封土を分け与えて諸侯とし、王室を補佐する枝葉としたため」とあるので、一族に政治上の権力をもたせないことが利点というのは誤り。
- ④【誤】資料1でも資料2でも周王朝は「封土を分け与えて諸侯とし」とあるので、その地方支配システムは封建制であり、郡県制ではないことが分かる。郡県制や封建制の用語の意味を知らなくても解けてしまう。
問2【2】西晋/明末清初
B ノルマン=コンクェスト
問4【4】中世ヨーロッパ史
問5【5】教皇権と王国支配の正統性の根拠
- 人物判定・資料読解の正答組み合わせ②
- ノルマンディー公とあるのでウィリアム。ハロルド2世をへースティングズの戦い(1066)で破ってイングランドを征服した。クヌートはデーン朝であり誤り。
- X【誤】資料1に「ハロルドが、イングランド中の最有力の貴族たちによって国王に選ばれた。彼は、エドワード王が死の前に、王国の継承者として指名していた人物であった」とあるので証聖王に後継者に指名されていたし、王国の有力者によって選出されていた。
- Y【正】資料2に「エドワードが彼(ノルマンディー公-引用者註)に与えた王国を譲らなかった。ハロルドもそのことを認めて宣誓していたにもかかわらず、である。それゆえ聖なる教会の見解に従って、この偽証者を罰する許可を与え給え。」とあるので、正しい。
- Z【誤】歴史認識を問う問題であるのだが、国語の問題になり下がってしまっている残念な選択肢。資料1はハロルド2世の正統性を述べているのでイングランド側の歴史認識、資料2はハロルド2世を非難しているものなのでノルマンディー側の歴史認識。
問6【6】イングランド国際関係史
- 正文判定②
- ①【誤】エリザベス1世の二つ名は処女王。フェリペ2世と結婚したのはメアリ1世である。
- ②【正】フランドル地方は毛織物工業の中心地で英産羊毛の輸出先であった。
- ③【誤】ジョンが争ったのはフィリップ4世ではなくフィリップ2世。ジョンは大陸の領土の大半を喪失した。
- ④【誤】大陸封鎖はナポレオンが1806年にベルリン勅令で出した。イギリスとの通商を禁じてフランス産業に欧州市場を独占させようとした。英蘭戦争の原因となったのは1651年の航海法。中継貿易で繁栄するオランダに打撃を与え、イギリス貿易の保護・促進を目的とした。イギリスと植民地・ヨーロッパ間の貿易において、イギリスか相手国本国の船を利用することを定め、オランダ船の排除を狙った。
C イギリスにおける福祉制度の改革の歴史
問7【7】ドイツにおける老齢年金制度の導入時期
問8【8】イギリス自由党
- 国語+正文判定①
- まずイギリスで公的な年金制度の導入を主導した政党であるがリード文に「年金制度の導入を主導したのは、かつて首相グラッドストンが率いた政党であった」とあるので、自由党の政策を問うていることが分かる。
- ①【正】自治獲得を目指すアイルランド国民党が自由党内閣を通じて議会に提出した。自治法案は1886年、1893年共に流産し、1914年にようやく成立したが、第一次世界大戦を理由に実施が延期された。これに対し1916年にイースター蜂起が起こるが鎮圧され、ついに1922年に自治領としてアイルランド自由国が成立した。その後のアイルランドはイギリス連邦内の独立国として1937年に共和政に移行しエールを名乗り、1949年にイギリス連邦から離脱しアイルランド共和国となった。
- ②【誤】マクドナルドは保守党ではなく労働党。1924年に労働党党首マクドナルドは自由党と連立内閣を組織するが短命に終わった(1924.1~11)
- ③【誤】スエズ運河会社の株を買収したのは保守党。1875年、財政難に陥ったエジプトはスエズ運河の持ち株をイギリスに売却。イギリスは保守党のディズレーリがユダヤ人財閥のロスチャイルド家の資金力を利用した。これ以後、イギリスのエジプトに対する介入が深まった。
- ④【誤】フェビアン協会は労働党の素地となった協会。ウェッブ夫妻とバーナード=ショウらが加盟し、忍耐強い社会改良を積み重ねることによって資本主義の欠陥を除去することを目指した。
第2問 世界史における諸勢力の支配や拡大
A アレクサンドロス大王のアジア支配
B 19世紀におけるアメリカ合衆国の領土
問3【12】アメリカ西漸運動
問5【14】インディアン強制移住法/カンザス=ネブラスカ法の施行結果
- 正文判定 上記【13】で②を選んだ者は①、④を選んだものは⑤
- ①上記【13】で②を選んだ者の答え。インディアン強制移住法の結果、移動が過酷であったので、涙の道と称された。
- ②ホームステッド法。解説は上記【13】-Z参照。解答【13】で選択肢Zを選んでしまった受験生用のダミー。
- ③AFLが結成されたのは南北戦争後のアメリカで工業化が進展し賃金労働者が増大して労使問題が発生したから。
- ④棍棒外交が展開されたのはセオドア=ルーズヴェルトの政策による。「大きな棍棒を携えて、穏やかに話せ」と軍事力を背景に外交政策を展開。コロンビアからパナマを独立させて、パナマ運河を建設(1914開通)。
- ⑤上記【13】で④を選んだ者の答え。カンザス=ネブラスカ法の成立を受け、奴隷制反対論者たちがフィラデルフィアで結成大会を開催し、共和党を組織した。
- ⑥連邦派と反連邦派が対立したのは、18世紀アメリカで連邦国家の権限強化をねらった産業資本家層と州の権限の確保を優先した地主層が対立したから。
C 朝鮮戦争と東西冷戦
問7【16】チェコスロヴァキア史
- 空欄補充前提の正文判定④
- ①【誤】ポズナニ暴動はポーランドでの出来事。1956年6月、ポズナニで生活改善と民主化を要求する民衆と、軍・警察とが衝突。政府はソ連の介入を恐れてゴムウカを起用。自主路線を約束して事態を収拾し、ソ連軍の直接介入を免れた。
- ②【誤】チャウシェスク処刑はルーマニアでの出来事。チャウシェスクはソ連と距離をとり西側からは評価されていたが国内的には極端な独裁を敷いたため89年に処刑された。
- ③【誤】社会党のブルム政権はフランス。1936年、フランス総選挙で社会党のブルムを首班とする人民戦線内閣が成立したが翌年、倒れた。
- ④【正】プラハの春の説明。1968年1月から東欧最大の工業国チェコスロヴァキアで爆発的に自由化運動が広まる。ノヴォトニー大統領は失脚し、ドプチェク政権が誕生して自由化・民主化が進められた。しかし8月にソ連・東欧5カ国が軍事介入し、自由化運動は潰された。
問8【17】中ソの第一次五か年計画
- グラフ読解・正文判定⑤
- グラフ:見ただけで何も頭を使わずに判断できる。出題者は何を考えてこの問題を出したのか謎である。投資額の割合を見て政策を考察させるとかいう問題にしなければならないのでは?とボブは訝しんだ。
- あ【誤】農業・水利と運輸への投資額を合わせても5割未満。
- い【正】農業・水利と工業への投資額を合わせると5割を超える。
- 正文判定
- グラフ:見ただけで何も頭を使わずに判断できる。出題者は何を考えてこの問題を出したのか謎である。投資額の割合を見て政策を考察させるとかいう問題にしなければならないのでは?とボブは訝しんだ。
第3問 交通史
A インド史
問1【18】アショーカ王の治世
問2【19】デリー
- 正文判定④
- ①【誤】インド国民会議はデリーでは開かれていない。開催地はボンベイ(1885)→カルカッタ(1906)→ラホール(1929)。
- ②【誤】デリーでは国民会議は開かれていない。4綱領はカルカッタ大会。英貨排斥、スワデーシ(国産品愛用)、スワラージ(自治・独立)、民族教育。
- ③【誤】タージ=マハルはインド北部アーグラにある。建築したのはムガル帝国のシャー=ジャハーン(位1628~58)。タージ=マハルに眠る愛妃ムムターズ=マハルは18年間に14人の子どもを産んだことで有名。
- ④【正】デリー=スルタン朝。デリーを首都に奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝の5つのイスラーム王朝が興亡した。
C ロシアの歴史と文化
問6【23】三帝同盟
問7【24】19世紀後半ロシア史
- 正文判定②
- 藤井【誤】クリミア戦争では黒海が中立化されロシアの南下政策は失敗している。クリミア戦争でロシアが黒海北岸を得たというのは誤り。
- 西原【正】リード文の先生の最後のセリフで1860年代後半に領土の一部を売却し、得た資金を鉄道建設に使ったことが述べられている。これを1867年のアラスカ売却と考えるのは妥当である。ピョートル1世はベーリングにシベリアを調査させていたが、皇帝没後の1741年にアラスカを領有。1867年に財政難に苦しむアレクサンドル2世がわずか720万ドルで売却した。また1890年代の鉄道建設を支えた外資導入のきっかけを露仏同盟に求めるのも妥当である。露仏同盟でフランス資本が導入されシベリア鉄道の建設が進んだ。
第4問 世界史上の様々な言語や文字
A シリア語
問2【26】地域や王朝を超えて伝えられた文化や制度
- 正文判定③
- ①【誤】ゼロの概念はローマではなくインド
- ②【誤】ミニアチュールに影響を与えたのはアマルナ美術ではなく元代の画法。アマルナ美術が栄えたのはエジプト新王国のアメンホテップ4世の時。
- ③【正】マドラサはイスラームの高等教育機関。ウラマーを養成するイスラーム世界の教育制度の根幹で11世紀頃から各地に広まった。
- ④【誤】イクター制が開始されたのはブワイフ朝。イクター制は軍人や官僚に俸給の代わりに国家所有の分与地(イクター)の徴税権を与えた制度。その代償として軍事奉仕が義務づけられていた。ブワイフ朝に始まりセルジューク朝を経てアイユーブ朝やマムルーク朝ではその体系化が進んで、軍人集団が国家を支配する体制の基礎となった。
問3【27】シリア語
- 正文判定③
- ①【誤】シュメール人が用いたのは楔形文字
- ②【誤】ジズヤはイスラームの人頭税。アルサケス朝パルティアは前248ころ~後224の王朝でありイスラーム世界成立以前。
- ③【正】アッバース朝の知恵の館ではギリシア語文献のアラビア語翻訳が行われた。主任翻訳官であったフナイン=ブン=イスハークは、ギリシア語、シリア語、アラビア語に堪能なネストリウス派キリスト教徒であり、彼は同派の学者を招いて翻訳活動を推進した。
- ④【誤】リード文の読解。下から2番目の先生のセリフで「シリア語はその後も使われ続け、逆にアラビア語による学術的成果を取り入れるようになりました。11世紀から13世紀には、シリア語でも再び多くの書物が記されるようになり〔……〕」とある。第1回十字軍は1096年開始なので、11世紀でありシリア語の学術言語としての地位は失われていたというのは不適当。
B 国家における「国語」の成立
問4【28】言語と作品
- 誤文判定①
- ①【誤】ルターは新約聖書をフランス語ではなくドイツ語訳した。聖書の一部特権階層の独占を解放。教会や司祭によって救済にあずかるという中世的な宗教観を覆した。
- ②【正】ダンテは『神曲』をトスカナ語で記した。ダンテは少女ベアトリーチェに生涯にわたる精神的な恋を抱き、それを宗教的に高めた。永遠の少女への愛が人間の魂を浄化し高める。『神曲』では皇帝や教皇を批判し当時のイタリアの腐敗を描いた。また天国への導き手としてベアトリーチェを登場させることで、信仰や正義や善を通して人間の魂を浄化する救済の道を説く。
- ③【正】プルタルコスはローマ帝国時代のギリシア人の歴史家。『対比列伝』でギリシア・ローマの有力者を対比して記述した。
- ④【正】カエサルの『ガリア戦記』は簡潔・明瞭な文章でラテン文学の最高傑作の一つとされる。戦争の経過及びガリア事情やゲルマン社会が記され当時を知る貴重な史料である。