【全設問詳解】大学入学共通テスト「世界史B」(2024年1月13日実施)

歴史的思考力を問う問題や歴史学的な観点からの設問は減少し、リード文や資料を読めば解けてしまう国語的な問題が非常に多かったように思える。歴史的思考力系の問題は、複数回答可の【13】・【14】で、これは歴史事象の背景・原因とその結果を考察させるものであった。歴史観の変化・歴史認識の恣意性の問題については、歴史上の評価が時代により変化することを扱おうとする設問もあったが(【11】や【30】など)、本質に迫ることが出来ず知識や国語力で解けてしまうものであった。また目についたものとしては、空欄補充を前提とした上で、その語句に関する設問を作ると言う形式が多い様に感じた。歴史が暗記科目ではないことを示そうとする取り組みであろうとは思われるが、単発知識問題を避けるためだけに用意されたように感じられ、特に歴史的思考力の深みを増すものではなかった。

【目次】

第1問 体制・制度史

A 前近代中国における集権/分権

問1【1】 封建制/郡県制(純粋国語・資料読解)
  • 正文判定①
    • ①【正】李斯のセリフに「一族や功臣の多くに、封土を分け与えて諸侯としましたが、その後疎遠となって攻撃し合い、周王は制御できませんでした」とあるので正しい。
    • ②【誤】文章読解。李斯のセリフに「一族や功臣は制御しやすいように、国家に収められる租税によって手厚く手当てするのが、太平をもたらす方策です」とあるので、租税による保護は戦乱の原因ではない。
    • ③【誤】文章読解。博士の一人のセリフに「周王朝が長く続いたのは、一族や功臣に封土を分け与えて諸侯とし、王室を補佐する枝葉としたため」とあるので、一族に政治上の権力をもたせないことが利点というのは誤り。
    • ④【誤】資料1でも資料2でも周王朝は「封土を分け与えて諸侯とし」とあるので、その地方支配システムは封建制であり、郡県制ではないことが分かる。郡県制や封建制の用語の意味を知らなくても解けてしまう。
問2【2】西晋/明末清初
  • 空欄補充・名称組み合わせ④
    • 魏で帝位を奪ったのは司馬炎西晋で起こった内乱は八王の乱。よって④が正解となる。
    • 外れ選択肢の呉三桂は明末に李自成の乱が起こった際、清の順治帝に討伐の援助要請をした人物。平定後、呉三桂雲南藩王に任じられたが、康熙帝藩王の廃止を決定すると、広東の尚可喜、福建の耿継茂らと共に三藩の乱を起こした。
問3【3】中国反乱史
  • 正答組み合わせ⑥
    • 下線部aにおいて明初の官僚が挙げている事例は前漢西晋。選択肢を見てみると、黄巾の乱後漢末期、赤眉の乱は新、呉楚七国の乱は前漢なので、「う」と判定できる。
    • 「一族に対する分権の弊害が現れた」事例を選ぶ。Xの「朱元璋が頭角を現し、皇帝として即位するに至った争乱」は紅巾の乱であり元末に起こった農民反乱なので誤り。Yは靖難の役であり、北京一帯の王として封じられていた燕王朱棣が起こした反乱なので、これが該当する。

B ノルマン=コンクェスト

問4【4】中世ヨーロッパ史
問5【5】教皇権と王国支配の正統性の根拠
  • 人物判定・資料読解の正答組み合わせ②
    • ノルマンディー公とあるのでウィリアム。ハロルド2世をへースティングズの戦い(1066)で破ってイングランドを征服した。クヌートはデーン朝であり誤り。
    • X【誤】資料1に「ハロルドが、イングランド中の最有力の貴族たちによって国王に選ばれた。彼は、エドワード王が死の前に、王国の継承者として指名していた人物であった」とあるので証聖王に後継者に指名されていたし、王国の有力者によって選出されていた。
    • Y【正】資料2に「エドワードが彼(ノルマンディー公-引用者註)に与えた王国を譲らなかった。ハロルドもそのことを認めて宣誓していたにもかかわらず、である。それゆえ聖なる教会の見解に従って、この偽証者を罰する許可を与え給え。」とあるので、正しい。
    • Z【誤】歴史認識を問う問題であるのだが、国語の問題になり下がってしまっている残念な選択肢。資料1はハロルド2世の正統性を述べているのでイングランド側の歴史認識、資料2はハロルド2世を非難しているものなのでノルマンディー側の歴史認識
問6【6】イングランド国際関係史
  • 正文判定②
    • ①【誤】エリザベス1世の二つ名は処女王。フェリペ2世と結婚したのはメアリ1世である。
    • ②【正】フランドル地方は毛織物工業の中心地で英産羊毛の輸出先であった。
    • ③【誤】ジョンが争ったのはフィリップ4世ではなくフィリップ2世。ジョンは大陸の領土の大半を喪失した。
    • ④【誤】大陸封鎖はナポレオンが1806年にベルリン勅令で出した。イギリスとの通商を禁じてフランス産業に欧州市場を独占させようとした。英蘭戦争の原因となったのは1651年の航海法。中継貿易で繁栄するオランダに打撃を与え、イギリス貿易の保護・促進を目的とした。イギリスと植民地・ヨーロッパ間の貿易において、イギリスか相手国本国の船を利用することを定め、オランダ船の排除を狙った。

C イギリスにおける福祉制度の改革の歴史

問7【7】ドイツにおける老齢年金制度の導入時期
  • 年表挿入③
    • 実質的には国語の問題であり出題者は老齢年金制度の成立年代を受験生に求めているのではない。リード文5行目「ドイツの先例を踏まえて、イギリスでは1908年に老齢年金法が成立した」とあるので、1908年よりも前の出来事であるが分かり、1912年以降のdは切れる。また下線部dの下に世界政策の名の下に海軍を増強した皇帝の治世下で老齢年金制度が導入されたとあるのでヴィルヘルム2世の統治時期を答えればよい。ヴィルヘルム2世がビスマルクと対立したことを覚えていればビスマルクの内政以後のことだと分かるのでおのずから答えは「c」となる。
問8【8】イギリス自由党
問9【9】新自由主義
  • 資料読解+首相選択+実施政策の組み合わせ⑥

第2問 世界史における諸勢力の支配や拡大

A アレクサンドロス大王のアジア支配

問1【10】古代オリエントギリシア・ペルシア史
問2【11】マニ教/共和政ローマ/帝国主義
  • 正誤組み合わせ③
    • 単なる見せかけの問題。歴史上の人物の評価と時代背景を問う意欲的な問題かと思わせておいて、単なる正誤組み合わせの問題。テーマが独り歩きしてしまった感がある。もっといい問題作れたんじゃない?
    • あ【誤】マニ教が創始されたのは3世紀。共和政ローマは紀元前なので年代が全く異なる。
    • い【正】「文明化の使命」論とは、帝国主義下の植民地支配により経済開発が進み先住民は生活が向上して医療や教育で恩恵を受けるというもの。帝国主義を正当化した。

B 19世紀におけるアメリカ合衆国の領土

問3【12】アメリカ西漸運動
  • 一問一答・空欄補充④
    • ミシシッピ以西のルイジアナは1803年にジェファソン政権がフランスから買収した。ナポレオンはハイチの独立運動を鎮圧する戦費のために売却した。
    • 資料1はミズーリ協定の説明である。ミズーリ州を奴隷州とする代わりに、自由州のメイン州をつくり、以降は北緯36度30分以北に生まれる新しい州は自由州、それ以南は奴隷州になることが決められた。
問4【13】インディアン強制移住法/カンザスネブラスカ法の背景・原因
  • 正誤組み合わせ(複数回答)②もしくは④
    • X:ミズーリ協定を否定するものなのでカンザスネブラスカ法だと分かる
    • Y:西部出身のジャクソンは西部開拓を進展させるため先住民を排除したのでインディアン強制移住法だと分かる。
    • Z:おそらくホームステッド法とのひっかけで用意された選択肢。南北戦争中、北部は劣勢を覆すために様々な政策を行うがこれもその一つ。西部の支持獲得のため、5年間西部に定住しただけで、160エーカーの土地を無償で提供するというもの。
問5【14】インディアン強制移住法/カンザスネブラスカ法の施行結果
  • 正文判定 上記【13】で②を選んだ者は①、④を選んだものは⑤
    • ①上記【13】で②を選んだ者の答え。インディアン強制移住法の結果、移動が過酷であったので、涙の道と称された。
    • ②ホームステッド法。解説は上記【13】-Z参照。解答【13】で選択肢Zを選んでしまった受験生用のダミー。
    • ③AFLが結成されたのは南北戦争後のアメリカで工業化が進展し賃金労働者が増大して労使問題が発生したから。
    • 棍棒外交が展開されたのはセオドア=ルーズヴェルトの政策による。「大きな棍棒を携えて、穏やかに話せ」と軍事力を背景に外交政策を展開。コロンビアからパナマを独立させて、パナマ運河を建設(1914開通)。
    • ⑤上記【13】で④を選んだ者の答え。カンザスネブラスカ法の成立を受け、奴隷制反対論者たちがフィラデルフィアで結成大会を開催し、共和党を組織した。
    • ⑥連邦派と反連邦派が対立したのは、18世紀アメリカで連邦国家の権限強化をねらった産業資本家層と州の権限の確保を優先した地主層が対立したから。

C 朝鮮戦争と東西冷戦

問6【15】朝鮮戦争における派兵軍/アメリカのアジア太平洋地域における安全保障体制
  • 空欄補充・一問一答②
    • 空欄イは中国・北朝鮮にとっての相手側なので「国連軍」、空欄ウは中国側なので「人民義勇軍」、下線部B「アジア・太平洋地域においても安全保障体制の構築を目指した」とあるので東南アジア条約機構。というか空欄補充は実質読解問題だし、外れ選択肢がASEANとか中学知識で解けてしまう問題。
問7【16】チェコスロヴァキア
  • 空欄補充前提の正文判定④
    • ①【誤】ポズナニ暴動はポーランドでの出来事。1956年6月、ポズナニで生活改善と民主化を要求する民衆と、軍・警察とが衝突。政府はソ連の介入を恐れてゴムウカを起用。自主路線を約束して事態を収拾し、ソ連軍の直接介入を免れた。
    • ②【誤】チャウシェスク処刑はルーマニアでの出来事。チャウシェスクソ連と距離をとり西側からは評価されていたが国内的には極端な独裁を敷いたため89年に処刑された。
    • ③【誤】社会党のブルム政権はフランス。1936年、フランス総選挙で社会党のブルムを首班とする人民戦線内閣が成立したが翌年、倒れた。
    • ④【正】プラハの春の説明。1968年1月から東欧最大の工業国チェコスロヴァキアで爆発的に自由化運動が広まる。ノヴォトニー大統領は失脚し、ドプチェク政権が誕生して自由化・民主化が進められた。しかし8月にソ連・東欧5カ国が軍事介入し、自由化運動は潰された。
問8【17】中ソの第一次五か年計画
  • グラフ読解・正文判定⑤
    • グラフ:見ただけで何も頭を使わずに判断できる。出題者は何を考えてこの問題を出したのか謎である。投資額の割合を見て政策を考察させるとかいう問題にしなければならないのでは?とボブは訝しんだ。
      • あ【誤】農業・水利と運輸への投資額を合わせても5割未満。
      • い【正】農業・水利と工業への投資額を合わせると5割を超える。
    • 正文判定

第3問 交通史

A インド史

問1【18】アショーカ王の治世
  • 空欄補充前提での正文判定③
    • ①【誤】サータヴァーハナ朝は前1~後3世紀であり、マウリヤ朝 (前317頃~前180頃)とは存立時代が異なる。
    • ②【誤】エフタルの侵入を受けたのはグプタ朝であり、550年頃滅亡した。
    • ③【正】アショーカ王時代には第三回仏典結集が行われた。仏教は口伝だったので教説の整理・統一を図る必要があり教典を編纂した。
    • ④【誤】法顕の旅行年代は399~412とされ当時のインドはグプタ朝のチャンドラグプタ2世の時代である。
問2【19】デリー
問3【20】インド史
  • 正誤組み合わせ②
    • メモ1【誤】図1を見てもインド南端まで至っていない
    • メモ2【正】図2の地図を見ると沿岸の都市としてボンベイマドラスカルカッタを繋いでいることが分かる。これらはイギリス植民地の拠点であった。

B 近現代アメリカ史

問4【21】 1912年~1970年のアメリ
問5【22】グラフの読み取り
  • 挿入問題③
      • グラフの1940年代後半~1960年代後半を見ると、貨物輸送量は減少していない。よってXが正解と判断できる。

C ロシアの歴史と文化

問6【23】三帝同盟
  • 空欄補充+資料読解①
    • エ:三帝同盟なのでイタリアではなくドイツ。1873年、独・墺・露でフランスの孤立化をねらって結成したが、1878年ベルリン会議に不満を持ったロシアが中断。1881年ビスマルクが再びバルカン問題を調停して復活した。
    • 下線部B:資料1の7行目で「フランスと仲良くした方が良いのは確かです」とあるが、資料2ではフランスがロシアの政策に反対していることが分かるのでXが妥当だと判断できる。
問7【24】19世紀後半ロシア史
  • 正文判定②
    • 藤井【誤】クリミア戦争では黒海が中立化されロシアの南下政策は失敗している。クリミア戦争でロシアが黒海北岸を得たというのは誤り。
    • 西原【正】リード文の先生の最後のセリフで1860年代後半に領土の一部を売却し、得た資金を鉄道建設に使ったことが述べられている。これを1867年のアラスカ売却と考えるのは妥当である。ピョートル1世はベーリングにシベリアを調査させていたが、皇帝没後の1741年にアラスカを領有。1867年に財政難に苦しむアレクサンドル2世がわずか720万ドルで売却した。また1890年代の鉄道建設を支えた外資導入のきっかけを露仏同盟に求めるのも妥当である。露仏同盟でフランス資本が導入されシベリア鉄道の建設が進んだ。

第4問 世界史上の様々な言語や文字

A シリア語

問1【25】コンスタンティヌス
問2【26】地域や王朝を超えて伝えられた文化や制度
問3【27】シリア語

B 国家における「国語」の成立

問4【28】言語と作品
  • 誤文判定①
    • ①【誤】ルターは新約聖書をフランス語ではなくドイツ語訳した。聖書の一部特権階層の独占を解放。教会や司祭によって救済にあずかるという中世的な宗教観を覆した。
    • ②【正】ダンテは『神曲』をトスカナ語で記した。ダンテは少女ベアトリーチェに生涯にわたる精神的な恋を抱き、それを宗教的に高めた。永遠の少女への愛が人間の魂を浄化し高める。『神曲』では皇帝や教皇を批判し当時のイタリアの腐敗を描いた。また天国への導き手としてベアトリーチェを登場させることで、信仰や正義や善を通して人間の魂を浄化する救済の道を説く。
    • ③【正】プルタルコスローマ帝国時代のギリシア人の歴史家。『対比列伝』でギリシア・ローマの有力者を対比して記述した。
    • ④【正】カエサルの『ガリア戦記』は簡潔・明瞭な文章でラテン文学の最高傑作の一つとされる。戦争の経過及びガリア事情やゲルマン社会が記され当時を知る貴重な史料である。
問5【29】ポルトガルコロンブスを支援しなかった理由
  • 正文判定④
    • ①【誤】ポルトガルは13世紀までにレコンキスタを完了した。コロンブス(1451年-1506年)の時代にはもう既に完了していたのでレコンキスタによる財政的余裕の欠如は妥当ではない。
    • ②【誤】時系列と因果関係が妥当ではない。1492年のコロンブスの新大陸到達の後、スペインとポルトガルで海外領土をめぐる抗争が生じた。そのため1493年に教皇子午線が定められ、1494年にトルデシリャス条約が結ばれ、分割された。
    • ③【誤】スペインによるポルトガル併合は1580-1640年であり、コロンブス死後の出来事なので関係が無い。
    • ④【正】1488年、バルトロメウ=ディアスがアフリカ最南端に到達していた。
問6【30】国民国家における国語の役割
  • 読解問題①
    • 思い込みの内容
      • リード文3行目~4行目「コロンブスがほとんどの文書をスペイン語で書いていたことを根拠に、彼が「スペイン人」だと思い込んでいたのである」と述べられていることから、正答は「あ」の「スペイン語で書く者はスペイン人である」。
    • 思い込みの背景にある価値観
      • リード文9行目~10行目「コロンブスが生きていた時代には「国語」が成立しておらず、多言語使用が普通であった」とあることから、正答はXの「国家は同一の言語・文化を共有する均質な国民によって構成されるべきだという国民国家の価値観」

C 書道史

問7【31】安史の乱
  • 空欄補充前提での正文判定④
    • イ:リード文中に安禄山とあるため安史の乱と判断できる
    • ①【誤】塩の密売商人が起こしたのは黄巣の乱(875~884)。塩の密売商人の挙兵から始まった唐末の大農民反乱。
    • ②【誤】安史の乱後、藩鎮の勢力は減退したのではなく強まった。安史の乱から節度使は国内にも置かれるようになり、行政・財政権を握って独立勢力と化した。
    • ③【誤】節度使で新たな王朝を創設したのは朱全忠。彼は唐を滅ぼし後梁を建国した節度使
    • ④【正】安史の乱ウイグルの援軍を得て鎮圧されたので正答。
問8【32】韓愈/顔真卿
  • 語句挿入・文挿入③
    • 【ウ】を推奨したのは韓愈とあるので「古文」が正答。韓愈は四六駢儷体を批判して古文復興に努めた。儒教を学び、仏教・儒教を排撃して左遷されるが召還される。
    • リード文では王羲之の書が表面的な美しさを追い求めた「俗書」であると批判され、顔真卿の楷書が力強く画期的とあるため【エ】には「貴族的な形式美を否定的に捉え、力強さや個性を尊重する」のXが正答となる。
問9【33】清代乾隆帝北魏孝文帝
  • 正文判定④
    • メモ1【誤】乾隆帝は文字の獄を行っており言論弾圧している。
    • メモ2【誤】北魏孝文帝の漢化政策は自文化を維持するものではない。胡服の禁止、中国語の使用、胡族と漢族の通婚、南朝風の貴族制度の採用などが行われたため武人たちの反発を生んだ。