冷戦期の国際政治に核兵器が果たした歴史的役割

期間:第二次世界大戦後の冷戦勃発から1989年のベルリンの壁の崩壊に至るまでの時期
条件:各国の核保有、各国間の核軍縮の経緯を押さえる

冷戦の勃発


冷戦というとアメリカの資本主義陣営とソ連社会主義陣営の対立というイメージがあるわ。
けど米ソってWW?の時って連合国で協力関係にあったわよね?
どうして対立するようになってしまったのかしらん?


米ソ対決の起源はポツダム会談にあります。
フランクリン=ルーズヴェルトが死に、大統領に昇格したトルーマン
ポツダム会談にのぞみましたがポーランド問題でスターリンとうまくいきませんでした。
トルーマン終戦後の世界においてイニシアチブを握るため戦争の終結方法に苦心します。
そこへポツダム会談中のトルーマンに原爆実験成功のお知らせ。
こうして原爆はヒロシマナガサキに投下され、冷戦の起源となったのでした。


その後、東欧へ影響力を拡大していったソ連に対し、チャーチルが「鉄のカーテン演説」。
バルト海のシュテッツィンからアドリア海トリエステまで鉄のカーテンが敷かれていると、
ソ連を公然と批判したのだわ。
そしてこれまたイギリスはギリシア・トルコ両国に対する援助を打ち切るのね。
両国の援助はアメリカが肩代わりするの。ソ連の地中海進出を防止するために。
こうしてトルーマン宣言が出され、マーシャル=プランが発表されるわ。
ついにアメリカの封じ込め政策が発動したのね。


こうして西側陣営と東側陣営は軍事同盟機構を形成していきます。
1948年に結ばれたブッリュッセル条約は1949年にNATOに発展しました。。
1955年には西ドイツの再軍備NATO加盟に対抗してワルシャワ条約機構が成立しました。

核兵器の開発・拡散


出題者の条件として各国の各保有を述べることが求められているわ。
第二次大戦の終結からキューバ危機の間、各国は盛んに核開発を行うの。
ここでは各国の核兵器の実験状況をまとめておくわね!

  • アメリ
    • 1945 最初の原爆実験 → 広島・長崎
    • 1952 最初の水爆実験
    • 1954 ビキニ水爆実験(第五福竜丸事件)
  • ソ連
    • 1949 最初の原爆実験
    • 1953 最初の水爆実験
  • イギリス
    • 1952 最初の原爆実験
  • フランス
    • 1960 最初の核実験
  • 中国
    • 1964 最初の原爆実験

核戦争の危機


上記をみると1950年代は核兵器開発ラッシュだったことが分かりますね。
このような状況の中、ついに核戦争の危機が訪れるのです。
キューバをめぐる米ソの対決が勃発するのです。
このキューバ危機はなぜ起こったのでしょうか?


発端はカストロによるバティスタの親米独裁政権の打倒からね。キューバ革命
この時はまだキューバ社会主義国家じゃなかったんだけど、アメリカがキューバを襲うのね。
アメリカは国交を断絶し、CIAによる侵攻作戦を発動するわ。
けどカストロはこれを退けることに成功し、ソ連に接近して1961年に社会主義宣言をするのね。
ソ連フルシチョフキューバの防衛と核戦力の均衡におけるソ連の劣勢の挽回を図るわ。
こうしてキューバに中距離核ミサイルの基地が建設されることになったの。
しかし!この基地は完成前にアメリカが察知されてしまったのだわ。
ケネディキューバ海上封鎖し、ミサイル基地の撤去を要求。
冷戦史上最大の危機となるのよ。


まぁ、最終的にフルシチョフが妥協するのだけれど。
ケネディが内密に示したトルコの米製中距離ミサイルの撤去を条件に要求を呑むのです。
このキューバ危機は米ソ両首脳に核戦争の危機を味あわせました。
故にこれを契機にホットラインが設置されます。
また部分的核実験禁止条約が結ばれ、大気圏内・宇宙空間・水中での実験が禁止されました。


こうして核兵器の開発が抑制されるようになった!と思いきやだわ。
フランスと中国は米英ソによる核の寡占であると批判し、参加しなかったの。
このため米英ソに仏中を加えた5カ国に核保有を独占させようと核拡散防止条約が結ばれたわ。
核兵器保有国には非保有国への核兵器の委譲を禁止。
保有国には核兵器の製造、取得を禁止し、IAEAの保障措置の受諾を義務づけたのよ。
冷戦後の96年には包括的核実験禁止条約が国連で採択されるの。
これは英仏露は批准したのだけど米中印パ、イスラエル北朝鮮は批准を渋ったわね。

冷戦終結


キューバ危機後、米ソはデタントへの道を辿るのですが、80年代になると新冷戦が始まります。
きっかけは1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻。親ソ政権が樹立されました。
これにアメリカは強く反発し「第二冷戦」の始まりとも言われました。
レーガンは1983年に戦略防衛構想を発表します。
なんと戦略核兵器の迎撃網を宇宙に配備する計画を打ち出すのです。


このようなアメリカの強硬路線はソ連ゴルバチョフが登場したことにより緩和されるの。
レーガン政権の二期目には対話路線に転換していったわ。
ゴルバチョフは新思考外交を展開し、核軍縮を提案するのね。
こうして1987年、中距離核戦力全廃条約が結ばれるわ。
すでに配備されていた中距離核兵器を廃棄するという画期的な条約だったとされるのよ。
1989年11月にはベルリンの壁が崩壊し、12月のマルタ会談で冷戦終結宣言が発表されたのね。


ちなみに冷戦終結後の展開としては
91年と93年の第一次・第二次戦略兵器削減条約や96年の包括的核実験禁止条約などがあります。
この問題の指定範囲はベルリンの壁崩壊に至るまでの時期だけどね。

冷戦期に核兵器が果たした歴史的役割


冷戦期に核兵器が果たした歴史的役割として挙げられるのが「核抑止論」です。
核戦力増強によって核戦争の危険性を増加させることを利用して、核兵器の保持によって相手の核の使用を抑止しようという考え方です。


また米ソの直接対決を回避させたという側面もあるわね。
米ソ両国はたがいに相手の覇権を妨げるために核軍拡競争を続ける一方で、
核兵器の超絶的な破壊力のゆえに全面核戦争は回避するという冷戦のルールを構築したのよ。