1.戦後国際秩序の形成
(1)国際連合の発足までの歴史的経緯
(3)アメリカの経済的覇権 ~戦後の国際金融・経済協力体制の構築~
(4)戦後処理
- ①ドイツ
- ④日本
- a) 民主的改革
- b)極東国際軍事裁判所…1946年5月~48年11月。連合国が日本の中心的な戦争指導者を裁くために行った裁判。天皇と財閥関係者は不起訴とされた。
- c)日本国憲法…1946年11月3日公布、47年5月3日施行。GHQ草案に基づき吉田内閣時代に議会審議に付され、制定。主権在民・象徴天皇制・平和主義・基本的人権の尊重などが特徴。
2.東西陣営の対立
①1947年
- 【西】対ソ封じ込め政策
③1949年
4.冷戦と核兵器
- ②核の上での均衡
- 核戦争による共倒れを恐れて、直接対決や相手側陣営への介入を避け、自陣営の結束を固め、同盟国の獲得による勢力拡大、中立諸国への支援などにより対抗。 →冷戦体制
5.ヨーロッパ統合の始まり
- 1948 ヨーロッパ経済協力機構(OEEC):西欧18カ国によるマーシャル=プラン受け入れ機関
- ※両大戦の反省に立って経済を復興させるために、エネルギー資源や工業資源を共同で管理し、相互の対立を防止しようとする構想があらわれた。
- 1950 シューマン=プラン →1952 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
- 1957 ローマ条約 →1958 ヨーロッパ経済共同体(EEC)/ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)
- 1967 ヨーロッパ共同体(EC)
- 原加盟国
- インナー・シックス:フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクスセンブルク)
- 政策
- ①関税同盟の形成
- ②商品・資本・労働力の自由移動
- ③共通の農業政策
- 原加盟国
6.国際経済体制と戦後政治のゆき詰まり
(1)ブレトン=ウッズ体制崩壊
- ②ドル=ショック
- 金兌換停止
- 10%の輸入課徴金の導入
- ③ブレトン=ウッズ体制崩壊
- 1971年の金兌換停止以降、米ドルの価値の下落が明らかになり固定相場制を維持できなくなる。
- →世界経済は変動相場制に移行し、ブレトン=ウッズ体制は崩壊した。
- 1971年の金兌換停止以降、米ドルの価値の下落が明らかになり固定相場制を維持できなくなる。
7.軍縮と緊張緩和の進展
(1)軍縮の展開
- ①パグウォッシュ会議(1957)…ラッセル・アインシュタイン宣言に基づき核実験禁止・核兵器廃絶を要求
- ②部分的核実験停止条約(1963)…キューバ危機による核戦争の恐怖体験後に成立。中仏不参加。
- ③核拡散防止条約(1968)…核兵器保有国を米ソ英仏中に限定。譲渡・開発援助を禁止。
- ④戦略兵器制限交渉 SALT(1969~72)…主として戦略ミサイルの数量の制限による軍縮を目指す。
- ⑤核兵器の現状凍結協定(1972)
- ⑥核戦争防止協定(1973)
- ⑦戦略兵器削減交渉 START(1982~91)…米ソ双方が核弾頭6000発運搬手段を1600基以下に削減
- ⑧中距離核戦力全廃条約(1987)…核兵器搭載可能な中距離ミサイルを廃棄しその後も製造しない
(2)全欧安全保障協力会議(CSCE)
(3)ニクソン=ドクトリン
8.冷戦の終結
レーガン政権の末期には「双子の赤字」で経済が弱体化し、対ソ協調に応じるようになっていた。レーガンの後継者であるブッシュ(父)は、新思考外交を展開するソ連のゴルバチョフと地中海のマルタ島で冷戦終結を宣言した。
9.先進経済地域の統合化
(1)サミット(先進国首脳会議)
- ①背景:一国では解決できない国際問題の増加…73年以降の変動相場制、オイル=ショックや経済成長の鈍化、多国籍企業、環境汚染など
- ②1975年:フランスのジスカールデスタン政権下のパリで第1回が開催。以降、ほぼ毎年開催され経済政策の相互協力と調整を協議することになった。