「冷戦の終結が世界史全体の転換点ではない」ことを、1970年代後半〜1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化から、論証せよ。

※出典:2016年東大世界史 第1問

第二次世界大戦後の世界秩序を特徴づけた冷戦は、一般に1989年のマルタ会談やベルリンの壁の崩壊で終結したとされ、それが現代史の分岐点とされることが少なくない。だが、米ソ、欧州以外の地域を見れば、冷戦の終結は必ずしも世界史全体の転換点とは言えないことに気づかされる。米ソ「新冷戦」と呼ばれた時代に、1990年代以降につながる変化が、世界各地で生まれつつあったのである。

以上のことを踏まえて、1970年代後半から1980年代にかけての、東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化について論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述(※引用者注:1行30字)し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。


アジアニーズ イラン=イスラーム共和国 グレナダ
光州事件 サダム=フセイン シナイ半島
訒小平 フォークランド紛争

事実の羅列ではなく文章を構成するテーマを


問題文の要求は「1970年代後半〜1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化」を論じることです。しかしいきなり書き始めてはいけません。ただ単に各地域の政治状況の変化を書いただけでは「論じる」のではなく「羅列」となってしまいます。


じゃあ、どうすればいいんですか?って話ね。論じるためには、文章を貫く「主題」が必要だわ。何をテーマにして論じればいいというのよ。


リード文から出題者の意図を察するに「冷戦終結≠世界史全体の転換点」ということをテーマにして欲しいことがうかがわれます。出題者自身が「米ソ新冷戦の時代に1990年代以降につながる変化が各地で生まれ」ていたからと答えを言ってるわけですし。その「各地の政治状況の変化」の例として「1970年代後半〜1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米」を挙げればいいわけです。


ふーん。つまりは「冷戦の終結が世界史全体の転換点ではない」ことをテーマにして、「1970年代後半〜1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化」を論じればいいわけね。「コレコレの地域のこのような政治的変化が1990年代以降につながったんですよ〜。だから冷戦の終結は世界史を転換させてませんよ〜」って書けばいいのね。


では1975年〜1989年における(1)東アジア、(2)中東、(3)中米、(4)南米の政治状況の変化が、いかに1990年代以降とつながっているかを見ていきましょう。

(1)東アジア(1975〜1989)の政治状況の変化が90年代以降に与えた影響


出題者から与えられているキーワードをピックアップすると、東アジアに関するものは、「アジアニーズ」、「光州事件」、「訒小平」があるわね。だから中国と韓国について書けばよさそうよね。


訒小平の政策が1990年代以降の中国の政策にも影響を与えていることはイメージしやすいと思います。「改革開放」と「民主化の弾圧」ですね。文革終結後、訒小平が実権を掌握し、経済の自由化を進めた一方で、政治的には第二次天安門事件民主化を弾圧したことはすぐに思いつきますよね。


一方韓国は朴正煕・全斗煥盧泰愚の政策がどのように1990年代以降と関わってくるかを書けるかどうかが勝負よね。朴正煕・全斗煥は「韓国の経済発展」、盧泰愚は「民主化」の点で1990年代以降の韓国に影響を与えたわ。


朴正煕は開発独裁を行い日韓関係の改善による日本資本の導入で韓国を経済発展に導きました(アジアニーズ)。しかし朴は第二次石油危機の経済混乱もあり79年10月に側近によって殺されてしまうのですね。すると民主化運動が高揚するのですが、軍部により武力で鎮圧されてしまいます(光州事件)。その後、軍人の全斗煥が実権を掌握し、順調に韓国経済を発展させていくことになります。現代に連なる1990年以降の韓国経済は朴正煕・全斗煥政権の経済政策が下地にあったのです。


けど、この全斗煥ってヒトも腐敗がひどいのよ。不正蓄財を暴露されることになるのだわ。1987年には大市民デモに発展し政権を追われることになるの。87年末の選挙では改革派の金泳三と金大中の二人が立ったので、軍人出身の盧泰愚が当選するのだけど。盧泰愚ソウルオリンピックを成功させたこともあるけど、政権下で「民主化」運動が進展したことが重要なのよね。この民主化によって次の大統領選挙では32年ぶりの文民政権が生まれることになるのだわ。金泳三政権ね。

(2)中東(1975〜1989)の政治状況の変化が90年代以降に与えた影響


中東に関するキーワードに関しては、「シナイ半島」、「イラン=イスラーム共和国」、「サダム=フセイン」が出題者から与えられています。


これ、どうみても第4次中東戦争後の「アラブ世界の分裂」フラグじゃない。エジプトがアラブ世界の盟主だったのにサダトはさっさとイスラエルと和解しちゃってアラブ連盟から脱退(サダト暗殺後ムバラクの時にシナイ半島返還)。盟主いなくなって中東情勢は大混乱!イランで革命起こる(イラン=イスラーム共和国)とその隙にペルシャ湾の覇権を確立しようとイラクのサダム=フセインがイランに侵攻。米帝はイランの親米政権倒されたからイラクを支援って流れよね。そして90年代の影響としては、この米帝支援によってイラクが強大化が90年代の湾岸戦争を招くのよねー。さらに9.11や現代イラクの混乱にもつながっていくわ。

(3)中米(1975〜1989)の政治状況の変化が90年代以降に与えた影響


出題者から与えられている中米に関するキーワードは「グレナダ」です。受験生のみんなは「グレナダ?何それおいしいの?」状態になった人も多かったのでは?


ここでは慌てず騒がずレーガン政権(任1981〜89)を思い出す必要があるわね。出題者も「新冷戦」を取り上げているのだから中米への介入といたらレーガンでしょ。


それではレーガン政権が行った反米ナショナリズムを抑えるための強硬策をご覧ください。


レーガンやりたい放題。ちなみに次のブッシュ政権も89年末にパナマに侵攻してノリエガ政権を打倒し、運河地帯に対する利権を確保しようとしているわ。


90年代以降への影響としては、「自由主義的な市場経済の建設を目指す動き」が挙げられます。メキシコでは国営企業の民営化やNAFTAへの加盟が行われました。ニカラグアでも親米チャモロ政権のもとで平和がよみがえりました。


(4)南米(1975〜1989)の政治状況の変化が90年代以降に与えた影響


ラストは南米です。南米に関して出題者から附与されているキーワードは「フォークランド紛争」。


まぁ「フォークランド紛争」は説明できるわ。アルゼンチン軍事政権が経済政策に失敗、さらに人権・言論を抑圧したことから反対世論に直面したので、フォークランド諸島の領有権問題に転嫁させようとしたのだけど、イギリスのサッチャー政権と戦争になって敗北したのよね。けど、これって90年代以降とどのような関係があるのかしら。


フォークランド紛争後のアルゼンチンでは軍部の権威が失墜し民政移管が進みます。これを南米の民主化へ影響を与えたと処理しましょう。85年に民政移管したブラジルも例に挙げ、MERCOSURの結成の動きにつながったことも指摘できます。

一応自分の解答的な文章

1970年代後半から1980年代までの東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化は1990年以降と深くつながっている。東アジアでは文革後の中国で実権を掌握した訒小平の改革開放と第二次天安門事件に代表される民主化の弾圧が今日の中国共産党の政策に受け継がれている。韓国では開発独裁の朴正煕と光州事件で政権を掌握した全斗煥が経済成長をもたらしアジアニーズと呼称される程となった。盧泰愚政権では民主化が進み、金泳三文民政権の誕生につながった。中東ではアラブ世界が分裂し今日の混乱をもたらした。アラブ連盟の盟主であったエジプトはイスラエルと和解しシナイ半島の返還に成功したが、連盟からは脱退した。イランで反米のイラン=イスラーム共和国が成立するとサダム=フセインはこれに乗じてペルシャ湾岸の覇権を狙いイランに侵攻したが米国はこれを支援したのでイラクの軍事力が増した。これは湾岸戦争の原因にもなり9. 11やイラク戦争にも影響している。中米ではレーガン政権が反米ナショナリズムを弾圧していく。カリブ海の小国グレナダに親社会主義政権が誕生すると侵攻して親米政権を樹立した。このような中米の動きは90年代以降自由経済を志向する動きにつながっていく。南米ではアルゼンチンがイギリスにフォークランド紛争に敗れたことから民政への移管が進み、MERCOSURの結成など経済統合に関係していく。以上により冷戦終結が世界史全体の転換点ではない。(598字)