木畑洋一『チャーチル』山川出版社,2016年

イギリス帝国護持をはかったチャーチルだが、帝国の変容と解体を目にしながら死んでいく。
♰「イギリス帝国の落日と、それを支えようとし続けてきた老政治家の落日とが、シンクロナイズしたときであった」

  • この本の趣旨
    • イギリス帝国の展開と解体の軌跡をチャーチルを通して考えること
  • 軍人チャーチルの帝国支配肯定観
    • 「戦う諸部族に平和をもたらすこと、暴力のはびこるところで公正な統治をおこなうこと、奴隷から鎖を断ち切ること、土地から豊かさを引き出すこと、商いと学びの最初の種をまくこと、彼らが楽しむ力を全体として増し、苦しみの機会を減らすこと――人間の努力を引き出すうえでこれよりも美しい理想やこれよりも貴重な報酬があるだろうか。その行為は徳に満ち、その実践は人を力づけ、その結果はしばしばきわめて有益である」
  • 保護貿易政策(チェンバレン・キャンペーン)とチャーチルの保守党離脱
    • チャーチル保護貿易に反対。理由は帝国特恵制度が実施されるとイギリス帝国を世界に対して経済的に閉ざしていくから。チャーチルは社会帝国主義(帝国の強さが人々の繁栄と密接に結びついている)の考えを持つ。帝国の繁栄と帝国の人々の自由とが結びついているという信念。イギリス帝国がまとまりをもつのは「高貴で進歩的な原則によってたがいに結びついている自由な人々の同意に基づいてるからである」とし、自由貿易の放棄はそうした帝国の姿を損なうものと考えた。チャーチルは保守党から自由党へ移籍。(その後、保守党が保護貿易を捨てると保守党へ戻る)。
  • 帝国の変容に対して帝国護持をはかる
    • 1929年の下院選挙で保守党は労働党に次ぐ第二党に転落。チャーチルは当選するが野党議員。保守党は世界恐慌後、連立政府の軸となるがチャーチルは政府の外交政策や帝国政策について激しく批判。インド独立の動きや対独融和政策に反対。
  • 第二次世界大戦後のチャーチル
    • 保守党は野党となり、チャーチルは野党党首。鉄のカーテン演説やヨーロッパ統合を主張。チャーチルは国際政治に対し、英連邦・英帝国、英語世界、統一されたヨーロッパの3つに関わることで、イギリスの発言権を増そうとした。チャーチルにとって一番重要なのは英連邦・英帝国であった。
    • 1951年の選挙で保守党が勝利。チャーチルは首相となるが十分なリーダーシップをふるうことのないまま首相の座に固執。55年4月に辞任しイーデンを後継とする。その後、2度の選挙で議席を保つが政治活動はせず。1956年スエズ戦争が勃発するが世界各国に非難されアメリカ・ソ連が批判姿勢をとるなかで、すぐに停戦。帝国主義時代には当たり前だった帝国支配の行動がまったく当たり前でなくなった時代が到来。チャーチルはエジプトに強行姿勢を見せていたが、スエズ戦争開始直前に右半身マヒ。「イギリス帝国の落日と、それを支えようとし続けてきた老政治家の落日とが、シンクロナイズしたときであった」。
    • イギリス帝国解体の動きは加速し、57年にはマラヤとガーナが独立。60年代には次々とアフリカが独立し、イーデンを継いだマクミラン首相が「変化の風」を受け入れなけれなならないと演説。チャーチルは嫌悪感を示し、この風についていけないことが明確化。1965年1月にチャーチル死去。