左な感じっぽい視点で戦後日本の経済発展を分析し、これからの未来における日本の役割を提唱している。
戦後日本の企業経営により培われた良い点と失われた30年で淘汰された悪い点を指摘。
現段階の新日本型システムを提示したうえで多角的なアジア外交において日本がイニシアチブとれる点を挙げる。
アジアにおける社会経済システムの構築・日本企業の企業文化と、市場の規範のアジアへの浸透・人材育成。
印象深かったとことか書き抜き
- 社会の不平等性とその不満の捌け口としてのナショナリズム
- 社会に貧困や格差・差別が存在することは、しばしば戦争のおこる原因になります。好戦派は、このような社会的不満のはけ口としてナショナリズムや敵愾心をあおり、人々をやすやすと戦争の道へといざなっていきます。
- 個々人の戦争責任
- 土地改革と資本主義的発展
- 土地改革によって生み出された自作農制のもとで、農民はおおいに労働意欲をかきたてられますから、農業の生産力は各段に上昇します。農民の収入が増えれば、工業製品にとって広大な国内市場が生まれます。また、農業の労働生産性が上昇したことによって、余剰となった農村労働力は都市に流出し、工商業に対して低廉な労働力を大量に供給することが可能になります。
- 「所得倍増」政策と「南巡講話」の共通点
- 高度成長期の教育面における社会変化
- 日本の食糧統制
- 1942年の食糧管理法のもとで、政府は国際価格より低い統制価格で農家から米を買い付け消費者に安い米を配給していました。ところが1955年の大豊作以来、米の供給は需要を上回るようになり、政府の統制買い付けは消費者保護というより生産者保護の色彩を帯びるようになっていきます。大量の過剰な米を市場より高い価格で買い付けなければならないため、政府の食糧管理会計の赤字が累積していきました。1961年に発布された農業基本法は、そうした状況を改善することを目指したものです。農家の経営規模の拡大と機械化の推進によって農業の生産性を引き上げ、市場競争力を高めようというのです。この方針にもとづいて、1960年代初めに全国の農村で農地の区画整理が大々的に行われました。耕耘機やトラクターが使いやすいように、それまでの大小さまざまに分散していた田んぼが農家ごとに集中され、長方形に仕切られた農田に作り替えられました。
- 政官財の「鉄のトライアングル」
- 社会の平等性
- 日本の私鉄経営
- 鉄道を敷設して運賃収入だけで会社の経営を成り立たせるには限界があります。そこで…まず不動産開発と鉄道を結び付けました。鉄道敷設工事に着手する前に、駅予定地周辺の土地を安く買っておきます。鉄道開設後には駅周辺の土地は値上がりするから、その差額だけで儲かります。さらに住宅を建てて売れば利益はもっと大きくなります。住宅地が広がれば消費者の数も増えますから百貨店を設け、バスやタクシーも走らせることができます。旅行者や康国会社の仕事も増えていきます。
- バブル経済
- プラザ合意にもとづいて円高を促進させるため金融も大幅に緩和されます。金融市場にはだぶついた巨額の資金があり、より有利な投資先を探し求めていました。そんなおり、1986年の国土庁の公報が東京の臨海地区には膨大なオフィスビル需要があるという予測を発表しました。これも一つの引き金となって、不動産投資や株式投資が活発化し、日本の地価や株価が急騰していきました。
- 1986〜89年の期間、六大都市の地価は二倍に上がっています。同時期に、東京証券取引所の一部上場企業の平均株価も二倍になりました。不動産や株が二倍に値上がりしているのに対し、同じ期間の卸売り物価指数は100から98.2と下がり気味であり、消費者物価指数も100から103.1とほぼ横ばいでした。生活に密着した商品の価値は変わらないのに、生産物ではない土地と株の値段ばかりはねあはがっています。
- このように実体の経済は変わらないのに、不動産や株式への投機がさかんになっている状況に対し、世間は皮肉をこめて「バブル経済」と呼んだのです。
- 日本にとって、バブル経済の崩壊とアジア金融危機の影響は甚大でした。1997年には北海道拓殖銀行と山一証券が倒産しました。拓殖は北海道トップの地方銀行であり、山一は日本の四大証券会社の一つでした。両者の経営にゆるみがあり、経営体質が弱体化しているところを、アメリカの投機資本を中心としたヘッジファンドに付け入られ、先物取引で自社株を売り浴びせられたからです。いったんヘッジファンドに目をつけられ、大量の資金を株売りをしかけられたら、一つの企業の力ではとうてい太刀打ちできません。
- 企業システムと企業文化
- 企業経営が円滑におこなわれるためには、企業システムと経営の実践とをつなぐ媒介項が必要です。そのような媒体となるのが、企業文化であり、「社員によって共有される価値観・思考様式・行動規範」と定義されます。
- 企業システムはいったん立ち上げたら固定不変でなければならないというものではありません。企業文化も同様で、時代や市場環境の変化に対応して、時には小さい修正をほどこし、時には大きく変革していかなければなりません。また(1)企業組織・制度、(2)企業文化、(3)経営の実践、という企業経営の三大要素は相互に影響し、依存しあっており、一方が変われば他方も変わらざるを得ない関係にあります。
- 日産の経営破綻(1999)
- どんな組織でも、現状にあぐらをかいて刷新を怠ったり、内部における切磋琢磨を欠いたりすると、官僚主義的な弊害が出てきます。異文化をもつ外部の血を入れることも、組織の活性化には必要です。そういう意味では、ゴーンという外国人トップでなければ、大手術が施せなかったかもしれません。
- 日本型経営において評価できる点
- ドラッガーにとって、企業の理想的なあり方は「責任ある労働者が運営する自治的な工場共同体」でした。その根底には、従業員は会社や製品との一体感を求め、責任をもちたがっているというドラッガーの信念がありました。ドラッガーの職場改善プログラムはGMでは実現しませんでした。しかし、のちにトヨタの終身雇用制と労使協調方針のもとで、社員の経営に対する改善提案を奨励するという形で復活します。
- …アメリカの経営学者のジェームズ・アベグレンは日本型経営の長所について次のように語っています。「日本企業はいまなお社会の組織であって、単なる利潤追求マシンではない」……そこで大切なのは、「むきだしの個人主義ではなく、組織への帰属意識だ」というのです。
- 従業員が企業への帰属意識をもち、企業の存続と発展のために協調し、経営管理や品質改善に関する提言をおこなう企業文化は原則的に受け継がれています。
- ホンダのCM
- がんばっていればいつか報われる。もち続ければ夢はかなう。そんなのは幻想だ。たいてい努力は報われない。たいてい正義は勝てやしない。たいてい夢はかなわない。……けれど、それがどうした。スタートはそこからだ。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから寝る時間、食う時間を惜しんで何度でもやる。さあ、きのうまでのHondaを超えろ。
- 京セラフィロソフィ
- ナショナリズムの選挙利用
- 人材育成
- 日本がアジアの平和共生に向けて貢献できる得意分野