山本裕「満州」(日本植民地研究会編『日本植民地研究の現状と課題』、アテネ社、2008年、pp.217-248)

はじめに

  • 本稿の趣旨
    • 満州」研究についての現状と課題を述べていくこと
  • 植民地研究として満州を見る上での留意点
    • 時期的な定義
      • 日露戦後から満州国崩壊までの期間
    • 実証的な研究
      • 一九五〇年:戦後の植民地研究の理論的出発点である井上晴丸・宇佐美誠次郎『国家独占資本主義論』(潮流社、一九五〇年)刊行。
      • 一九六〇年代中葉:実証研究が本格的に展開される。研究生成期の動向については、柳沢遊・岡部牧夫「解説・帝国主義と植民地」(柳沢遊・岡部牧夫編『展望日本歴史 二〇(帝国主義と植民地)』東京堂出版、二〇〇一年、二〜五頁)
    • 回顧録
      • 一九四〇年代末には刊行が始まる。その後も、植民地経営の「主観的善意」、そしてノスタルジーな想いに依拠した満州に関する出版物が、「植民地経験」者のライフ・ヒストリーも含めて多数刊行される。
      • 一九八〇年代代末:山室信一「最後の『満州国』ブームを読む」(『中央公論』一九八九年六月号)
      • 一九九〇〜二〇〇〇年代:日本の満洲支配全般について、「植民地経験」者のみならず、その次世代が親の世代を追憶して著したものまで旺盛に積み重ねられている。
      • 二〇〇六年:満鉄創立百周年。これと前後して満鉄初代総裁後藤新平を扱った研究、伝記の復刻など「再顕彰」ブームが勃発する。
    • 日本における満州へのまなざし
      • ノスタルジックな回想・伝記を基底に持ちつつ、その上層に学術研究が積み重ねられていった歴史的経緯がある。
      • 大学が「開かれた知」を目指して主催するシンポジウムに多くの非研究者が参加し、「植民者からのまなざし」が強調され、主催者の意図とは異なる研究成果の伝達となる。例→早稲田大学アジア太平洋研究センター・魅力ある大学院教育イニシアティブオフィス主催「公開シンポジウム"満洲"とは何であったのか」(二〇〇七年一月三一日、早稲田大学国際会議場)
  • 先行研究に付け加えること
    • 1.サーヴェイ論文において主張された論点整理と現状の研究動向との距離を考察する
      • 満州研究のたどった長い道のりを長い目で点検する
      • 近年の研究がサーヴェイ論文で指摘されていた諸論点と、どの程度のズレや接点をもっているのかを解明する
    • 2.一見すると拡大傾向にある満州研究について、その理由と「環境」を改めて検討する
      • サーヴェイ論文と指摘された諸論点とあまり関わりをもたない研究が多数提出されている事実に注目する
      • 複数の精緻なサーヴェイ論文が何故これらを指摘し得なかったのかという理由は、研究者、研究「受容者」をとりまく「環境」を等閑に付した点にあるので、この「環境」の一端の解明を目指す

第一節 研究サーヴェイ論文において提出された成果と課題 ―一九九〇年代以降を中心に

一 日本帝国主義史の立場から見た成果と課題の整理
  • 柳沢遊・岡部牧夫編『展望日本歴史二〇(帝国主義と植民地)』(東京堂出版、二〇〇一年)
    • 柳沢遊・岡部牧夫「解説・帝国主義と植民地」、柳沢遊「コメント三 移民と植民地」
      • 一九九〇年代以降の植民地研究が、従来手薄だった研究領域についても対象を拡大して、日本人各層のアジア認識や植民地経験、植民地下の社会変容を問い直す研究が活発化していったことを指摘
      • 特に、ミクロレベルでの地域社会の対応や応答の具体相が分析されていることに留意すべきであるとする
      • 全体としては、「植民地社会」を取り巻く全諸相が研究対象として把握され、研究が進展しているとまとめられている。
  • 柳沢遊「日本帝国主義の『満州』支配史研究」(田中明編『近代日中関係史再考』日本経済評論社、二〇〇二年)
    • 一九八〇年代後半以降、「帝国主義と植民地」という方法的枠組みが見直され、相対化される状況にあり、九〇年代以降、方法論も多様化すると共に、中国東北地域史の歴史的文脈の中に日本支配を位置付ける志向が強まりつつある状況にあることを指摘
  • 川北稔「帝国主義史から帝国史へ―日本におけるイギリス帝国史研究の変遷―」(木畑洋一編『現代世界とイギリス帝国』ミネルヴァ書房、二〇〇七年)
    • 帝国主義史」の方法的限界について二つの面で指摘
      • 1.一国的な歴史理解ないし一国資本主義論からの脱却
      • 2.「発展段階」論からの脱却
    • 時間軸から空間軸へ
      • 戦後歴史学において「発展段階」論にもとづく歴史研究は数多くの成果を生み出したが、一九八〇年代後半以降、その見直しとともに、時間軸でなく空間把握を重視する「帝国史」、地域史が盛んになった
  • 帝国主義支配の実態をめぐる研究
    • 支配の総体を考察するにあたって、「『支配の内面化』メカニズム」の究明に留意を呼びかけている
  • 資料公開
    • 満州研究においては、一九九〇年代以降、中国東北に残された日本支配期の諸資料の多くが外国人研究者にも公開されるようになり、日本側・中国側双方で資料の復刻出版が活発に行われるようになったことが、研究の裾野の拡大を支えるひとつの要因になった
    • 遼寧省档案館が比較的活発に所蔵資料の一部を分野別に精選して、復刻出版を行っている
    • 旧大蔵省が長く保存していた閉鎖機関整理委員会の原資料が国立公文書館の移管され、一定の手続きを踏まえれば資料の閲覧も可能な状況にある
    • 閉鎖機関整理委員会の資料の詳細について
      • 閉鎖機関整理委員会編『閉鎖機関とその特殊演算』(在外活動機関特殊生産所、一九五四年。クレス出版復刻、二〇〇〇年)
      • 平山勉「『閉鎖機関関係資料』をめぐって」(『日本植民地研究』第一四号、二〇〇二年六月)
    • 閉鎖機関資料を用いた研究
二 「満州国」政治史の立場から見た成果と課題の整理
  • 田中隆一「『満洲国』政治史研究の射程−その問題の所在」(『新しい歴史学のために』第二四六号、二〇〇二年三月)
    • 「近代主権国家」論の再検討と「日本帝国」論との関係の二点に焦点をあてて論点の所在を明らかにしようとする
    • 権力基盤・上部構造、国家運営等の統治の実態解明を通じて「傀儡国家」の「傀儡性=植民地性」と「国家性」を統一的に把握する視覚こそが新たに求められると主張する
    • 「『日本帝国』論」は、東アジア世界を一つの地域として、いわゆる「日本本国」(内地)の統治体制と植民地・占領地のそれとが、相互にどのような影響を及ぼしあったのかを明らかにしたいという問題意識があるという
    • 国史研究が支配層にとっての被支配地域史研究へと回収される危険性について、"日本の帝国支配により植民地の側が被った刻印をより多面的に検討しなければ、「日本帝国」史研究は植民地化された地域の人々をどこまでも客体としてしか描きえないという陥穽に陥りかねない"とまとめる
    • 政治史の観点から近年の満州国研究の新潮流のひとつである「日本帝国」論について、従来の帝国主義論との相違点を指摘しつつ、何故、帝国主義論ではなく日本帝国論の観点からの研究が活発化しているのかを描き出している

第二節 研究トピックの現状

一 「帝国史」・「帝国」研究の現状
  • 駒込武「『帝国史』研究の射程」(『日本史研究』第四二五号、二〇〇〇年四月)
    • 国史研究の四つの特徴
      • 複数の植民地・占領地と日本本国との構造連関を横断的に捉える志向
      • 植民地の状況が本国に与えたインパクトの解明
      • 政治史、文化史の領域の重視
      • 「日本人」、「日本語」、「日本文化」の形成と変容の過程への注目
    • 帝国主義史研究と「帝国史」研究の違い
      • 従来の帝国主義史研究…「同化政策」対「民族解放闘争」という二項対立的な図式が暗黙の前提とされてきた
      • 「帝国史」研究…さまざまな次元での相互作用に着目しながら、植民地政策にはらまれた内部矛盾や、支配者と被支配者のインターフェイスに生ずる諸問題をさらに立体的に解明しようとする
    • 「帝国史」研究の陥穽
      • 支配される民衆にとって「支配」とは何を意味したかというこだわりが持続しにくい
    • 国史・領域史からの脱却
      • 「領域」の歴史を、歴史的に存在した「支配―被支配」の関係にそのまま流し込むことなく、考察していく
  • 駒込武「『帝国のはざま』から考える」(『年報・日本現代史』第一〇号(「帝国」と植民地−「大日本帝国」崩壊六〇年−)現代史料版、二〇〇五年)
    • 欧米植民地主義との「敵対的共犯関係」にも考察を深め、「帝国」日本のアジア支配の普遍性と特殊性の両面を見据えることで、植民地主義研究における「複眼的思考」の重要性を示唆
  • 山本有造「帝国研究の射程」(日本植民地研究会第一二回全国研究大会共通論題)
    • 部分の総和は活きた全体を作らないとの立場から「一国史観」的な植民地研究史の限界を指摘
    • 近代日本と、植民地とを分離して考える潮流が、「帝国史」を阻む一つの要因であると指摘
    • 「日本帝国」という視点から行われた研究を位置付け
      • 小林英夫(一九四〇年体制と満洲)
      • 山室信一(知の周流・人材の周流)
      • 川村湊(近代日本文学と植民地)
      • 駒込武(日本文化と文化統合)
      • 安田敏明(国語と東亜語)
    • 明治以降の近代日本=「日本植民地帝国」 その世界史的特質
      • 1.後発帝国主義
      • 2.近隣侵略主義
      • 3.植民地同化主義 → 今後の課題:同化主義における二類型(イギリス型/フランス型)と日本のそれとの関連
      • 4.工業開発主義 → 今後の課題:朝鮮・台湾における工業開発主義への影響と「日本植民地帝国」期の関連
  • 山本有造「日本帝国史への一視覚」(日本植民地研究会第一二回全国研究大会共通論題)
    • 空間論の必要性を指摘
      • 「帝国」をシステム、「帝国主義」を政策とすることを前提とした上で、日本を「国民帝国」と位置付けた場合にその存在はどのような領域として捉えられるかを考察
      • 1.近代世界秩序とそのアクターについて
      • 2.国際関係論からグローバル・ヒストリーへの視点
    • 「国民帝国」とは何か
      • 本国と植民地の相互連関に見られるような多様な政治社会を持つ体系。
      • 多様性を理解する一つの視点に「異法域結合」がある → 具体例:大東亜法秩序における「有機的等差関係」
    • 「空間編成としての『国民帝国』について」
      • 「生活の場としての社会空間―帝国の生活誌/帝国とジェンダー」に留意する
      • 各地域での相互影響について重視する → 具体例:権力表象としての建築・都市計画、物動計画としての都市計画統治様式の遷移と統治人材の周流
    • 大東亜共栄圏」内における「定点観測地」としての満洲国の特異性−満洲国に流入した人材・統治様式が「大東亜共栄圏」内の各地域に拡散した史実−
      • 満州に凝縮されたものを通じて、「近代日本の『逆見立て』」が可能になるとする仮説を提示
    • 「国民帝国」を構成する知識とイデオロギーの重要性について
      • 「学知」や統治技法としての「実践知」が、暗黙の裡に孕んできた権力性をも解明する必要性を指摘
  • 山室信一「文化相渉活動の諸相とその担い手」(京都大学人文科学研究所『人文学報』第九一号、京都大学人文科学研究所、二〇〇四年一二月)
    • この共同研究の力点 → 問題発見と課題提出
      • 山室の問題提起は『岩波講座「帝国」日本の学知』(全八巻、二〇〇六年)で具体化される
    • 『岩波講座「帝国」日本の学知』
      • 上記講座は、『岩波講座 近代日本と植民地』(全八巻、一九九二−九三)を受けて、植民地を抱え込む「帝国」がそれゆえに生み出す「学知」のありかたを再審する企図で刊行された。
      • "日本の「帝国」化の過程で構築されていった日本の諸学の形成過程に改めて焦点をあてることで、いわば帝国的認識空間の位相を明らかにすること"が上記講座の目的と位置付けられる。
  • 「帝国論」に基づく研究は途上の段階
    • 満州に関して「帝国」的把握による新たな歴史像を提出した著作として、L・ヤング(加藤陽子ほか訳)『総動員帝国−満洲と戦時帝国主義の文化』(岩波書店、二〇〇一年)が存在する。
二 「帝国」研究で提起された課題に、研究はどう応えたのか
  • 「植民地の状況が本国に与えたインパクトの解明」
    • 満鉄調査部門(満鉄経済調査会等)、関東軍満州国政府による制度創出(計画立案)に関わる諸研究と、本国への還流(制度/人的資源)について言及した研究が該当
    • 一九七〇年代 原朗による満州国経済政策に関するクロノジカルな検討 → 満洲−日本本国間の「相互規定」が論じられる。
    • 九〇年代以降 「制度創出・調査」という観点から研究が進展を遂げる
      • 井上哲郎の一連の研究
      • 小林英夫の諸研究
    • 「人的資源」に関するもの
      • 満州国政府高官の個人文書の復刻
      • 満鉄経済調査会主要メンバーの日記・個人資料の復刻
      • 満鉄内部における「人的資源」に関する分析等
    • 今後の課題
      • 満鉄調査の学問的水準を世界史的視点から考察することが求められている
  • 「生活の場としての社会空間:生活誌/ジェンダー
    • 移民に関する研究
      • 従来の研究 → 一九七〇年代に農業移民に関する研究がピークを迎える。一九八〇−九〇年代に都市商工業移民に関する研究が陸続と発表される。
      • 研究の停滞 → 政策面が中心であり、社会階層と移民の社会経済的活動に関する分析に主眼が置かれたことから、生活の実態に焦点を当てた研究はさほど進展を示さず
      • 二〇〇〇年代 → 今井良一による農業移民に関する諸研究に代表される満州農業移民の生活実態の解明に焦点を当てた研究が登場。
      • 満州へ農業・林業移民として渡った日本人の送出地における生活実態と移民後の生活実態の双方を視野に入れる研究も提出される。
      • 満州移民の「終幕」に位置する「引揚」(引揚、留用、帰国、残留、定着)問題についても、近年、多角的な視点から旺盛に研究が発表されつつある。
    • ジェンダー問題を含む教育史研究
      • 満州国期を中心とした教育資料の復刻が旺盛に行われつつある
      • 研究の担い手い一定数を占める「外国名」研究者が存在する
    • 近年の研究の特徴
      • 日本人移民に焦点を当てた生活誌的研究
      • ジェンダーをも含む満洲被支配層の教育を中心とした社会空間の実態分析
      • 朝鮮族蒙古族といった、満州被支配層の中でもマイノリティに属する民衆に焦点を当てた研究の増大
  • 「『学知』の解明」
    • 『岩波講座「帝国」日本の学知』(全八巻)の刊行
  • 宗教、メディア、図書館・博物館、衛生・医療研究の飛躍的増大
    • メディア関係論文
      • 橋本雄一「声の勢力版図−『関東州』大連放送局と『満州』ラヂオ新聞の連携」(『朱夏』第一一号、一九九八年一〇月)
      • 李相哲『満州における日本人経営新聞の歴史』(凱風社、二〇〇〇年)
      • 佐藤純子「満州国通信社の設立と情報対策」(『メディア史研究』第九号、二〇〇〇年三月)
      • 同「同盟情報圏形成期の満洲国通信社」(『日本歴史』第六三五号、二〇〇一年四月)
      • 林惠玉「東アジアにおけるマス・メディア史研究−日本統治下の台湾、満州における放送事業」(『中央大学経済研究所年報』第三二号、二〇〇二年三月)
      • 貴志俊彦日中戦争期 東アジア地域のラジオ・メディア空間をめぐる政権の争覇」(宇野重昭・増田祐司編『北東アジア世界の形成と展開』日本評論社、二〇〇二年)
      • 山本武利「満州における日本のラジオ戦略」(『インテリジェンス』第四号、二〇〇四年五月)
      • 川島真「満洲国とラジオ」(貴志俊彦・川島真・孫安石編『戦争・ラジオ・記憶』勉誠出版、二〇〇六年)
      • 西原和海「満洲における弘報メディア−満鉄弘報課と『満洲グラフ』のことなど」(『國文學』第五一巻第五号、二〇〇六年五月)
      • 須永徳武「メディア産業」(鈴木邦夫編『満州企業史研究』日本経済評論社、二〇〇七年)

第三節 新たな論点の提起と考察

一 「満洲支配・侵略」研究・再考
  • 日本帝国主義史研究は被支配・被侵略の側を見てこなかったのか?
    • 日本帝国主義史研究が被支配・被侵略の「傷痕」を詳細に解明してきたことは改めて想起すべき
  • 「帝国」研究、地域史研究の立場から、「被支配・被侵略」がどのように照射されてきたか
    • 塚瀬論文の特徴:満州国社会に対する統治政策の実態と政策が満州社会をどの程度包摂し影響が及んでいたかを論じている。
  • 塚瀬進「一九四〇年代における満洲国統治の社会への浸透」(『アジア経済』第三九巻第七号、一九九八年七月)
    • 一九四〇年代が中心。先行研究へ鮮明な批判をしている。
      • 鈴木隆史『日本帝国主義満州−一九〇〇〜一九四五』(全二巻)(塙書房、一九九二年)について、"統治政策が社会におりていく過程で生じていた矛盾、摩擦の検討なしに、統治政策が満洲社会を規定していたとするような論法は、満洲社会を視野に入れていない"と批判する。
      • 解学詩『偽満洲国史新編』(人民出版社、北京、一九九五年)について、末端社会を掌握しようとする目的から設けられた興農会や協和会が「人民」の抵抗によって名義だけの存在になってしまったとしながらも、「人民」の抵抗の実体を描いていないことを指摘。また、一九四一年に成立した「国民隣保組織確立要綱」に基づいて実施された隣保組織の育成により「人民」は奴隷状態になったとの記述を取り上げ、興農会や協和会の組織化が形骸化していたにもかかわらず、隣保組織による「人民奴隷化」は可能であったのかと、疑問を呈す。
  • 塚瀬進「満州国社会への日本統治能力の浸透」(姫田光義・山田辰雄編『中国の統治政権と日本の統治』慶應義塾大学出版会、二〇〇六年)
    • 満州国期の全期間を扱う。満州社会の地域性という観点から満州国統治が社会に及ぼした影響を明らかにすることの重要性が指摘されている。
    • 地方行政、農業政策、商業統制、財政政策の四点について政策の内容、執行過程、その結果を検討。従来未解明であった商業統制・財政政策の整備とその影響を解明した点にメリットがある。
      • 商業統制について・・・満州国期における「中国人」商人の商慣習・経済観念を、満州国側の調査から解明し、当該期の日本人との商慣習・経済観念の差異を提示。
      • 財政政策について・・・徴税機構の整備の実態と日中全面戦争勃発の一九三七年以降の税制の変化(全般的な増税。間接税重視から直接税重視へのシフト)を解明し、満州国の政策意図と行政能力の限界という両者の隔たりが、満州国政府の目論見が未達成に終わった原因であるとする。
    • 方法的特徴としては、日本帝国主義史研究が「支配と抵抗」という二元論的観点から位置付けていた統治の問題を、「行政力の浸透」という用語を用いて、地域社会を視るという観点に立脚して実証研究を行った
    • 特に商業統制・税制の影響については、客体である「中国人」への影響を解明した点にその研究史上の貢献が存在する。
  • 日本帝国主義史研究に対する「帝国」研究、地域史研究からの批判について
    • 日本帝国主義史研究における「支配と抵抗」という視点でも「抵抗」の多様な内実を詳細に検討することによって「被支配・被侵略」の側の実態を解明することは可能 →必ずしも「帝国」研究、地域史研究からの批判が当てはまるとは言えない
    • 両アプローチ共に、見ている実態は同じであり、歴史学としての概念使用の力点の違いで、異なる歴史像が提出される
二 満洲経済史・産業史・企業史研究の現状
  • 満洲経済史
    • 山本有造『「満洲国」経済史研究』(名古屋大学出版会、二〇〇三年)
      • 研究史上の最大の貢献 → 満洲国民所得統計と国際収支統計についての資料の発掘、精査、加工処理を丹念に施した上で分析を行った点。これにより、マクロな観点から満州国の経済的パフォーマンスが全期間にわたって解明された。
      • 批判点 → 生産指数の推移をただ辿るだけでは、経済実態との乖離を見逃すことがあるのであり、生産物の品質、輸送・配給、消費の遅滞や偏倚の実態こそが満州国経済実態を見る上で重要となる。今後の課題として、満州経済のミクロ的領域の実態解明が求められる。
  • 満州の「工業化」に関する論考
    • 松本俊郎『「満州国」から新中国へ−鞍山鉄鋼業から見た中国東北の再編過程』(名古屋大学出版会、二〇〇〇年)
      • 鞍山鉄鋼業に着目して満州国期後半期〜人民共和国建国初期の実態を詳細に検討。一九四〇年代から五〇年代前半までの鞍山鉄鋼業の分析を行い、「植民地支配解放のその後」という困難なテーマを引き受け、植民地支配期からの断絶・連続面をほぼ網羅的に実証分析した点で、研究史上画期的な意義を持つ。
      • 一次史料、回想録、日本人関係者のみにとどまらないヒヤリング等を駆使して、満州鉄鋼業の動態的な考察を行う。
      • 特筆すべきは、満州国崩壊以後のめまぐるしい情勢の変転の中で、工場設備の損傷・復旧状況と復興に向けた生産活動を詳細に検討している点
      • 「工業化」をめぐる連続・非連続面に即して同書の実証分析が明らかにしたこと → 損傷を受けた諸施設は復旧の可能性を根本から断たれていたわけではなく、多くの工場はパーツの補充と労力の投入あるいは生産内容を変更する施設の改造によって再興が可能な状態にあったこと。工場の急速な再建を実現した最大の推進力を中国人技術者、労働者の奮闘に求めると共に、日本人技術者からの技術継承、国民党系中国人技術者・ソ連からの技術導入も位置付けた。
    • 峰毅「『満洲』化学工業の開発と新中国への継承」(『アジア研究』第五二巻第一号、二〇〇六年一月)
      • 満州における化学工業の開発・発展と新中国への継承を同時期の中国関内(=中華民国)の継承にも留意しつつ検討した
      • 中華人民共和国建国後の化学工業において、ビニロン、塩ビ、クロロプレンの国産化に重要な役割を果たしたのは、東北地区の研究機関や工場
      • 化学工業においては、満鉄中央試験所の留用日本人技術者の存在が極めて大きかった
      • ただし「戦間期東アジアにおける化学工業の勃興」(田島俊雄編『二〇世紀の中国化学工業(東京大学社会科学研究所調査研究シリーズNo.17)』、二〇〇五年三月)においては、新中国の技術の骨格は、中華民国満州国と(新中国)第一次五カ年計画で流入したソ連の技術が融合して、新中国成立初期に形成されたと結論付けている。
    • 飯塚靖「満鉄撫順オイルシュール事業の企業化とその展開」(『アジア経済』第四四巻第八号、二〇〇三年八月)
      • 撫順オイルシェール事業の企業化過程を調査・研究期から精緻に検討した上で、戦後中国経済への影響についても展望
      • 満州国崩壊〜混乱下(=国共内戦期)の撫順オイルシェール工場の破壊・復旧実態を解明し、新中国建国後の同事業の展開を考察
      • 一九五〇年代前半期において満洲国下で進められた技術開発の延長線上に技術が発展したこと、満鉄中央試験所に在籍していた留用技術者が果たした役割の重要性を明らかにする
      • 朝鮮戦争のための燃料確保の必要から、五〇年代初頭には総力を挙げて粗油生産に邁進したと述べる
    • 長見崇亮「留用技術者と満鉄の技術移転【満鉄中央試験所と鉄道技術研究所を中心に】」(『環』vol.12)
      • 中国の鉄道発展に貢献した満鉄の鉄道技術の発展過程を、満鉄鉄道技術研究所の機能に即して考察
      • 高度に汎用性のある技術の移植である「一次移転」と、その地域への「土着」化を果たした特定の機能を具備する「二次移転」の両者を技術移転において重視し、「二次移転」については日本人の留用技術者によって属人的に継承された
      • 中国が独自に機関車の修理能力を有したのは一九五二年、独自の機関車製造は五六年であることから、技術移転が完了したわけではなかった
      • 植民地本国たる日本の戦後では、満州で培われた鉄道技術は開花し得なかった
  • 鉄鋼、化学、交通の三つの産業における「工業化」と技術移転の実態
    • 鉄鋼:技術移転は「中継」的役割であったと解釈される
    • 化学:比較的満州国期の技術移転・「工業化」の継承が色濃く見られる
    • 交通(鉄道):技術の「二次移転」が如何に困難であるかが示される
    • 今後課題
      • より広い視野から、各種産業における満洲国期の技術水準・「工業化」の進展レベルと、中華人民共和国後の技術水準の関係を、中華民国ソ連についても検討の対象としつつ、実証的に解明することが求められている
  • 企業史の研究動向
    • 山本裕「『満州日系企業研究史」(田中明編『近代日中関係史再考』日本経済評論社、二〇〇二年)
      • 日系企業に絞って一九六〇年代から二〇〇〇年代初頭までの研究成果を検討し、以下の三点を論点として提示
      • 第一:植民地における企業行動を規定する経済環境において、植民地の「本国化」、ないしは植民地−本国間の「相互浸透」が企業行動においてどのように作用したか
      • 第二:「国策」と営利の関連性は如何なるものであったか
      • 第三:植民地企業の相互関係の実態解明
      • 結論:満州日系企業を研究する上で、企業の活動を規定する「経済環境」に留意すること、「国策」という言葉の多様性についての検討が必要になること
    • 鈴木邦夫編『満州企業史研究』(日本経済評論社、二〇〇七年)
      • 概要:第一部を資本系列、第二部を産業別企業分析として一八八〇年代から敗戦(一九四五年)と戦後処理までの満州における企業、とりわけ日系企業の活動を包括的に分析することを課題として掲げている。
      • 特徴:基礎的作業として各種の包括的な法人データを収集し、データベースを作成した点
      • 内容:資本類型(資本系列)の側面と産業内における各企業の位置という二つの方向から企業を検討することで、企業や資本系列が満州の産業全体の中でどのような活動をしたかを立体的に明らかにする
    • これからの研究について
      • 企業史・産業史と、都市史・地域史を接続することで、広く満州における民族資本の位置を問う研究が今後も活発に提出されていく
三 新たな『研究の「担い手」』の登場
  • 一九九七年度から二〇〇六年度の10年間において満州・中国東北に関する歴史研究で博士号を修得した「外国名」研究者の特徴
    • 二〇人の「外国名」研究者が博士論文を執筆し、博士号を修得
      • 教育史:七
      • 労働・移民史:五(内、論文博士:一)
      • 経済・産業・農業史:三
      • メディア・思想史:二
      • 文学史:二
      • 「帝国」史:一(論文博士)
    • 教育、労働・移民といったヒトへの問題意識が顕著に看取される
    • 博士号修得者の九割が課程博士である点も着目される。
  • 一九九七年度から二〇〇六年度の10年間において満州・中国東北に関する歴史研究で博士号を修得した「日本名」研究者の特徴
    • 博士号を修得したのは一三名
    • 論文博士の割合が「外国名」研究者のそれに比して高い
  • 「外国名」博士号修得者と「日本名」博士号修得者の相違
    • 一九九七年度〜二〇〇六年度の満洲教育史研究で課程博士号を修得したのは「外国名」研究者だけ
    • 満州被支配層の中でもマイノリティに属する民衆を対象にした教育史研究による博士号修得者が相次いでいることが注目に値する
  • 金美花『中国東北農村社会と朝鮮人の教育-吉林省延吉県楊城村の事例を中心として(一九三〇-四九年)-』(御茶の水書房, 二〇〇七)
    • 概要
      • 中国吉林省延辺朝鮮族自治州にかつて存在した楊城村を事例に、延辺(当時の呼称は間島)農村社会の変動と教育の展開を考察
    • 課題
      • 生活構造と密接にかかわって展開された教育課程を描き出すこと
    • 内容
      • 間島における朝鮮人の教育のほとんどは民間の朝鮮人が協力して設立された学校で展開された
      • 朝鮮人が教育を重視した理由は子どもの社会的上昇を望む目的と関連
      • 少数の中学校卒業生が間島朝鮮人社会において果たした役割は大きく、卒業生は村においても知識人としてリーダーになったり、共産主義運動・抗日運動を指導する立場に立ったりしたものもいた
      • 国共内戦期においては、朝鮮人の子ども達・農民達にとってハングルの教科書が延辺朝鮮人としての共通意識を醸成した

おわりに

  • 近年の研究動向
    • 近代日本の対外進出と植民地支配を見る分析視覚として、「帝国」論が、従来の帝国主義史的アプローチに比して多く用いられるようになった
      • 一方で、「帝国」研究で提出された諸課題は、従来の「満州支配・侵略」研究においても、研究の必要性としては見過ごされてきたわけではなかった
      • 従来の「満州支配・侵略」研究も、地域史的観点からの研究も、見ている社会・経済の実態は同一であり、研究者の何に重点を置くかという視点の相違により異なる歴史像が提出された面がある
  • 満州経済史・産業史・企業史研究
    • 植民地化の工業化と、ポスト植民地期の技術移転の問題について、一層の解明が進展
    • 日系企業に関する共同研究が刊行された
    • 民族資本に関しては、企業史・産業史と、都市史・地域史を接続することで、広く満州における民族資本の位置を問う研究が活発に提出された
  • 研究潮流とは一定の距離を置いた研究が多数提出されている「環境」について
    • 留学生を中心とする「外国名」研究者による旺盛な成果提出
      • 満州被支配層の中でもマイノリティに属する民族・民衆とそれを対象にした教育史研究が一定の割合を占めた
    • 多民族国家である中国社会への、強い現状に対する問題意識
    • 近年の「帝国」研究が退けようとしたクラシカルなものが基底に存在する
  • 今後の満州研究における重要な二つの課題
    • 第一
      • 研究手法の多様化は旺盛な成果提出につながってきたが、経済・社会各領域の段階的変容に関する実証研究の進化こそが「帝国」研究・地域史研究において、未解明の領域を解明する効果を果たす
    • 第二
      • 満州という「場」の独自性は、植民地本国・他の植民地との相互規定、植民地本国への「還流」が、他の植民地と比して少なくない点からも明らか
      • 満州という「場」において貫かれた、「支配・侵略」の実態を多面的に考察することは、他の植民地との比較をする上で重要な意味を持つと同時に、日本以外の植民地研究や帝国史に対しても、有益な示唆を与えることが可能になる