はじめに
- 本稿の趣旨
- 「満州」研究についての現状と課題を述べていくこと
- 「東北アジア史」研究に関する詳細な文献リスト
- 先行研究に付け加えること
第一節 研究サーヴェイ論文において提出された成果と課題 ―一九九〇年代以降を中心に
一 日本帝国主義史の立場から見た成果と課題の整理
- 柳沢遊・岡部牧夫編『展望日本歴史二〇(帝国主義と植民地)』(東京堂出版、二〇〇一年)
- 柳沢遊・岡部牧夫「解説・帝国主義と植民地」、柳沢遊「コメント三 移民と植民地」
- 一九九〇年代以降の植民地研究が、従来手薄だった研究領域についても対象を拡大して、日本人各層のアジア認識や植民地経験、植民地下の社会変容を問い直す研究が活発化していったことを指摘
- 特に、ミクロレベルでの地域社会の対応や応答の具体相が分析されていることに留意すべきであるとする
- 全体としては、「植民地社会」を取り巻く全諸相が研究対象として把握され、研究が進展しているとまとめられている。
- 柳沢遊・岡部牧夫「解説・帝国主義と植民地」、柳沢遊「コメント三 移民と植民地」
- 柳沢遊「日本帝国主義の『満州』支配史研究」(田中明編『近代日中関係史再考』日本経済評論社、二〇〇二年)
- 一九八〇年代後半以降、「帝国主義と植民地」という方法的枠組みが見直され、相対化される状況にあり、九〇年代以降、方法論も多様化すると共に、中国東北地域史の歴史的文脈の中に日本支配を位置付ける志向が強まりつつある状況にあることを指摘
- 資料公開
- 満州研究においては、一九九〇年代以降、中国東北に残された日本支配期の諸資料の多くが外国人研究者にも公開されるようになり、日本側・中国側双方で資料の復刻出版が活発に行われるようになったことが、研究の裾野の拡大を支えるひとつの要因になった
- 遼寧省档案館が比較的活発に所蔵資料の一部を分野別に精選して、復刻出版を行っている
- 旧大蔵省が長く保存していた閉鎖機関整理委員会の原資料が国立公文書館の移管され、一定の手続きを踏まえれば資料の閲覧も可能な状況にある
- 閉鎖機関整理委員会の資料の詳細について
- 閉鎖機関整理委員会編『閉鎖機関とその特殊演算』(在外活動機関特殊生産所、一九五四年。クレス出版復刻、二〇〇〇年)
- 平山勉「『閉鎖機関関係資料』をめぐって」(『日本植民地研究』第一四号、二〇〇二年六月)
- 閉鎖機関資料を用いた研究
- 原朗・山崎志郎編『戦時日本の経済再編成』(日本経済評論社、二〇〇六年)
二 「満州国」政治史の立場から見た成果と課題の整理
- 田中隆一「『満洲国』政治史研究の射程−その問題の所在」(『新しい歴史学のために』第二四六号、二〇〇二年三月)
- 「近代主権国家」論の再検討と「日本帝国」論との関係の二点に焦点をあてて論点の所在を明らかにしようとする
- 権力基盤・上部構造、国家運営等の統治の実態解明を通じて「傀儡国家」の「傀儡性=植民地性」と「国家性」を統一的に把握する視覚こそが新たに求められると主張する
- 「『日本帝国』論」は、東アジア世界を一つの地域として、いわゆる「日本本国」(内地)の統治体制と植民地・占領地のそれとが、相互にどのような影響を及ぼしあったのかを明らかにしたいという問題意識があるという
- 帝国史研究が支配層にとっての被支配地域史研究へと回収される危険性について、"日本の帝国支配により植民地の側が被った刻印をより多面的に検討しなければ、「日本帝国」史研究は植民地化された地域の人々をどこまでも客体としてしか描きえないという陥穽に陥りかねない"とまとめる
- 政治史の観点から近年の満州国研究の新潮流のひとつである「日本帝国」論について、従来の帝国主義論との相違点を指摘しつつ、何故、帝国主義論ではなく日本帝国論の観点からの研究が活発化しているのかを描き出している
第二節 研究トピックの現状
一 「帝国史」・「帝国」研究の現状
- 駒込武「『帝国史』研究の射程」(『日本史研究』第四二五号、二〇〇〇年四月)
- 山本有造「帝国研究の射程」(日本植民地研究会第一二回全国研究大会共通論題)
- 山本有造「日本帝国史への一視覚」(日本植民地研究会第一二回全国研究大会共通論題)
- 空間論の必要性を指摘
- 「帝国」をシステム、「帝国主義」を政策とすることを前提とした上で、日本を「国民帝国」と位置付けた場合にその存在はどのような領域として捉えられるかを考察
- 1.近代世界秩序とそのアクターについて
- 2.国際関係論からグローバル・ヒストリーへの視点
- 「国民帝国」とは何か
- 本国と植民地の相互連関に見られるような多様な政治社会を持つ体系。
- 多様性を理解する一つの視点に「異法域結合」がある → 具体例:大東亜法秩序における「有機的等差関係」
- 「空間編成としての『国民帝国』について」
- 「生活の場としての社会空間―帝国の生活誌/帝国とジェンダー」に留意する
- 各地域での相互影響について重視する → 具体例:権力表象としての建築・都市計画、物動計画としての都市計画統治様式の遷移と統治人材の周流
- 「大東亜共栄圏」内における「定点観測地」としての満洲国の特異性−満洲国に流入した人材・統治様式が「大東亜共栄圏」内の各地域に拡散した史実−
- 満州に凝縮されたものを通じて、「近代日本の『逆見立て』」が可能になるとする仮説を提示
- 「国民帝国」を構成する知識とイデオロギーの重要性について
- 「学知」や統治技法としての「実践知」が、暗黙の裡に孕んできた権力性をも解明する必要性を指摘
- 空間論の必要性を指摘
- 山室信一「文化相渉活動の諸相とその担い手」(京都大学人文科学研究所『人文学報』第九一号、京都大学人文科学研究所、二〇〇四年一二月)
- この共同研究の力点 → 問題発見と課題提出
- 山室の問題提起は『岩波講座「帝国」日本の学知』(全八巻、二〇〇六年)で具体化される
- 『岩波講座「帝国」日本の学知』
- 上記講座は、『岩波講座 近代日本と植民地』(全八巻、一九九二−九三)を受けて、植民地を抱え込む「帝国」がそれゆえに生み出す「学知」のありかたを再審する企図で刊行された。
- "日本の「帝国」化の過程で構築されていった日本の諸学の形成過程に改めて焦点をあてることで、いわば帝国的認識空間の位相を明らかにすること"が上記講座の目的と位置付けられる。
- この共同研究の力点 → 問題発見と課題提出
二 「帝国」研究で提起された課題に、研究はどう応えたのか
- 「植民地の状況が本国に与えたインパクトの解明」
- 「生活の場としての社会空間:生活誌/ジェンダー」
- 移民に関する研究
- 従来の研究 → 一九七〇年代に農業移民に関する研究がピークを迎える。一九八〇−九〇年代に都市商工業移民に関する研究が陸続と発表される。
- 研究の停滞 → 政策面が中心であり、社会階層と移民の社会経済的活動に関する分析に主眼が置かれたことから、生活の実態に焦点を当てた研究はさほど進展を示さず
- 二〇〇〇年代 → 今井良一による農業移民に関する諸研究に代表される満州農業移民の生活実態の解明に焦点を当てた研究が登場。
- 満州へ農業・林業移民として渡った日本人の送出地における生活実態と移民後の生活実態の双方を視野に入れる研究も提出される。
- 満州移民の「終幕」に位置する「引揚」(引揚、留用、帰国、残留、定着)問題についても、近年、多角的な視点から旺盛に研究が発表されつつある。
- ジェンダー問題を含む教育史研究
- 満州国期を中心とした教育資料の復刻が旺盛に行われつつある
- 研究の担い手い一定数を占める「外国名」研究者が存在する
- 近年の研究の特徴
- 移民に関する研究
- 「『学知』の解明」
- 『岩波講座「帝国」日本の学知』(全八巻)の刊行
- 宗教、メディア、図書館・博物館、衛生・医療研究の飛躍的増大
- メディア関係論文
- 橋本雄一「声の勢力版図−『関東州』大連放送局と『満州』ラヂオ新聞の連携」(『朱夏』第一一号、一九九八年一〇月)
- 李相哲『満州における日本人経営新聞の歴史』(凱風社、二〇〇〇年)
- 佐藤純子「満州国通信社の設立と情報対策」(『メディア史研究』第九号、二〇〇〇年三月)
- 同「同盟情報圏形成期の満洲国通信社」(『日本歴史』第六三五号、二〇〇一年四月)
- 林惠玉「東アジアにおけるマス・メディア史研究−日本統治下の台湾、満州における放送事業」(『中央大学経済研究所年報』第三二号、二〇〇二年三月)
- 貴志俊彦「日中戦争期 東アジア地域のラジオ・メディア空間をめぐる政権の争覇」(宇野重昭・増田祐司編『北東アジア世界の形成と展開』日本評論社、二〇〇二年)
- 山本武利「満州における日本のラジオ戦略」(『インテリジェンス』第四号、二〇〇四年五月)
- 川島真「満洲国とラジオ」(貴志俊彦・川島真・孫安石編『戦争・ラジオ・記憶』勉誠出版、二〇〇六年)
- 西原和海「満洲における弘報メディア−満鉄弘報課と『満洲グラフ』のことなど」(『國文學』第五一巻第五号、二〇〇六年五月)
- 須永徳武「メディア産業」(鈴木邦夫編『満州企業史研究』日本経済評論社、二〇〇七年)
- メディア関係論文
第三節 新たな論点の提起と考察
一 「満洲支配・侵略」研究・再考
- 塚瀬進「一九四〇年代における満洲国統治の社会への浸透」(『アジア経済』第三九巻第七号、一九九八年七月)
- 一九四〇年代が中心。先行研究へ鮮明な批判をしている。
- 鈴木隆史『日本帝国主義と満州−一九〇〇〜一九四五』(全二巻)(塙書房、一九九二年)について、"統治政策が社会におりていく過程で生じていた矛盾、摩擦の検討なしに、統治政策が満洲社会を規定していたとするような論法は、満洲社会を視野に入れていない"と批判する。
- 解学詩『偽満洲国史新編』(人民出版社、北京、一九九五年)について、末端社会を掌握しようとする目的から設けられた興農会や協和会が「人民」の抵抗によって名義だけの存在になってしまったとしながらも、「人民」の抵抗の実体を描いていないことを指摘。また、一九四一年に成立した「国民隣保組織確立要綱」に基づいて実施された隣保組織の育成により「人民」は奴隷状態になったとの記述を取り上げ、興農会や協和会の組織化が形骸化していたにもかかわらず、隣保組織による「人民奴隷化」は可能であったのかと、疑問を呈す。
- 一九四〇年代が中心。先行研究へ鮮明な批判をしている。
- 塚瀬進「満州国社会への日本統治能力の浸透」(姫田光義・山田辰雄編『中国の統治政権と日本の統治』慶應義塾大学出版会、二〇〇六年)
- 満州国期の全期間を扱う。満州社会の地域性という観点から満州国統治が社会に及ぼした影響を明らかにすることの重要性が指摘されている。
- 地方行政、農業政策、商業統制、財政政策の四点について政策の内容、執行過程、その結果を検討。従来未解明であった商業統制・財政政策の整備とその影響を解明した点にメリットがある。
- 方法的特徴としては、日本帝国主義史研究が「支配と抵抗」という二元論的観点から位置付けていた統治の問題を、「行政力の浸透」という用語を用いて、地域社会を視るという観点に立脚して実証研究を行った
- 特に商業統制・税制の影響については、客体である「中国人」への影響を解明した点にその研究史上の貢献が存在する。
二 満洲経済史・産業史・企業史研究の現状
- 満洲経済史
- 満州の「工業化」に関する論考
- 松本俊郎『「満州国」から新中国へ−鞍山鉄鋼業から見た中国東北の再編過程』(名古屋大学出版会、二〇〇〇年)
- 鞍山鉄鋼業に着目して満州国期後半期〜人民共和国建国初期の実態を詳細に検討。一九四〇年代から五〇年代前半までの鞍山鉄鋼業の分析を行い、「植民地支配解放のその後」という困難なテーマを引き受け、植民地支配期からの断絶・連続面をほぼ網羅的に実証分析した点で、研究史上画期的な意義を持つ。
- 一次史料、回想録、日本人関係者のみにとどまらないヒヤリング等を駆使して、満州鉄鋼業の動態的な考察を行う。
- 特筆すべきは、満州国崩壊以後のめまぐるしい情勢の変転の中で、工場設備の損傷・復旧状況と復興に向けた生産活動を詳細に検討している点
- 「工業化」をめぐる連続・非連続面に即して同書の実証分析が明らかにしたこと → 損傷を受けた諸施設は復旧の可能性を根本から断たれていたわけではなく、多くの工場はパーツの補充と労力の投入あるいは生産内容を変更する施設の改造によって再興が可能な状態にあったこと。工場の急速な再建を実現した最大の推進力を中国人技術者、労働者の奮闘に求めると共に、日本人技術者からの技術継承、国民党系中国人技術者・ソ連からの技術導入も位置付けた。
- 峰毅「『満洲』化学工業の開発と新中国への継承」(『アジア研究』第五二巻第一号、二〇〇六年一月)
- 満州における化学工業の開発・発展と新中国への継承を同時期の中国関内(=中華民国)の継承にも留意しつつ検討した
- 中華人民共和国建国後の化学工業において、ビニロン、塩ビ、クロロプレンの国産化に重要な役割を果たしたのは、東北地区の研究機関や工場
- 化学工業においては、満鉄中央試験所の留用日本人技術者の存在が極めて大きかった
- ただし「戦間期東アジアにおける化学工業の勃興」(田島俊雄編『二〇世紀の中国化学工業(東京大学社会科学研究所調査研究シリーズNo.17)』、二〇〇五年三月)においては、新中国の技術の骨格は、中華民国と満州国と(新中国)第一次五カ年計画で流入したソ連の技術が融合して、新中国成立初期に形成されたと結論付けている。
- 飯塚靖「満鉄撫順オイルシュール事業の企業化とその展開」(『アジア経済』第四四巻第八号、二〇〇三年八月)
- 長見崇亮「留用技術者と満鉄の技術移転【満鉄中央試験所と鉄道技術研究所を中心に】」(『環』vol.12)
- 中国の鉄道発展に貢献した満鉄の鉄道技術の発展過程を、満鉄鉄道技術研究所の機能に即して考察
- 高度に汎用性のある技術の移植である「一次移転」と、その地域への「土着」化を果たした特定の機能を具備する「二次移転」の両者を技術移転において重視し、「二次移転」については日本人の留用技術者によって属人的に継承された
- 中国が独自に機関車の修理能力を有したのは一九五二年、独自の機関車製造は五六年であることから、技術移転が完了したわけではなかった
- 植民地本国たる日本の戦後では、満州で培われた鉄道技術は開花し得なかった
- 松本俊郎『「満州国」から新中国へ−鞍山鉄鋼業から見た中国東北の再編過程』(名古屋大学出版会、二〇〇〇年)
- 鉄鋼、化学、交通の三つの産業における「工業化」と技術移転の実態