論理的な文章を書けない高校生を指導しながら世界史論述について思うことなど。

 暗記を否定するつもりはないのですが、歴史用語の一問一答によるクイズ大会で学力の何が図れるのでしょうか?前々から言われていますが、現在の歴史教育では、「歴史的なものの見方や考え方」、「抽象と具体の思考操作」、「知識の活用や探究」などの育成が求められています。そのため高校生に論述を書かせているのですが、成果は微々たるもの。「小論指導にありがちなこと」のネタのようですが、事実と意見を書き分けられず要約すらできないことがあります。地道に新聞記事の要約と考察を行わせて「事実」と「意見」の書き分けを行わせていますが、添削が本当にしんどい。しかし、これをやらないとろくに文章を書けない人材を大学に送り込むことになってしまい知的水準が低下してしまう恐れがあるのです。

 言語能力で求められているのは「根拠を以て論理的に説明する」力。またそれだけでは「国語の小論でやれ」と指摘されることも多いので、世界史で論述を行う必要性も示す必要があります。世界史論述で伸ばす力は、「原因」と「結果」、「変化」と「連続」、「歴史的意義」と「叙述の視点」の6つの力。なぜそのような歴史事象が起こり、その結果どうなったのか。歴史的事象によってなにがどう変化したのか、また変化せず続いているのか。その歴史的事象はなぜ重要とされるのか、またそれが重要だとされるのは誰のどんな意図によるものなのか。そういったものを考える力を伸ばす必要があり、これは思索を重ねてアウトプットしそれを他者の評価にさらして批判点をまた思索することの繰り返しになります。

 また歴史論述の役割としては事象の共有化・再記憶化があります。どんな記憶であってもそれを想起し保持するきっかけや環境がなければ経験者の減少とともに忘却されてしまいます。そのため啓発と普及が行われています。歴史というものは事実などでは決してなく、語り継がれることで、観測されたものを確定していく作業なのです。だから恣意的に歴史を再解釈してしまうことも行われるのであり、だからこそ、誰がどのような意図でその歴史を語っているのかを分析できないと困ることになるわけです。以上のことを考えると、与えられた教科書をそのまま丸暗記する学習をしているようでは(させているようでは)、一体何のための勉強なんでしょうねと。歴史知識丸暗記学習は思考放棄につながるどころか、自然に既成の価値観に従属する人材を作る為の事務的なビジネスと化してしまうのですね。