千恋*万花「朝武芳乃シナリオ」の感想・レビュー

千恋*万花の芳乃シナリオは「亡母コンプレックス」と「生殖への忌避感」。
「自分は母親に愛されなかった」というトラウマから芳乃を解放せよ!
まァ、あっさりママンが芳乃を愛していたことの確証が得られて、全く深刻にはならないのですが。
また生殖行為を呪詛から解放されたことの証明として使うことへの嫌悪感も、数クリックで解決します。
多くのプレイヤには同意いただけると思うのですが、シナリオ・テーマ・システム活用の練度不足は否めません。
伝奇も怪異も擬似史も封建的差別も観光産業も剣劇もフローチャートもどこへ行ってしまったのでしょうか?
いや逆に考えるんだ!!きっとまだ1周目だから機能していないだけで、グランドエンドとかあるんだよね!?
(※追記:実質レナ√がグランドエンドでした)

朝武芳乃のキャラクター表現とフラグ生成過程


  • 亡母コンプレックス
    • 巫女ヒロインである朝武芳乃の心の傷となっているのが、「母親から愛されなかった」というトラウマです。有名作品で同じテーマを扱っている事例として『風の谷のナウシカ』があります。ナウシカは兄・姉すべてが早逝し、その屍を乗り越えて唯一育った最後の一人でしたね。そのため数多の子どもを亡くした母親はナウシカに愛を注げなかったのです。ここではご都合主義展開ではなくホントウにナウシカが母からの愛を受け取れなかったことでシナリオの深みが増しているのです。では一方で芳乃さんの事例はどうでしょうか。見ていくことにしましょう。結論をあらかじめ述べると「はいご都合主義ぃ〜」。芳乃ママンはホントウは芳乃を愛していましたよっと。→→芳乃ママンは呪詛の念を受けて早逝の運命にありました。そのため悲嘆にくれがちだったのですが、なんと自分の娘は巫女である役割を受け入れて積極的に生きているではありませんか。ママンは芳乃が頑張る姿を見るたびに、嘆き苦しむことになります。そのため芳乃がママンとコミュニケーションをしようとしても、ママンは愛着を示してくれなかったのです。このことにより芳乃には「母親から愛されなかった」事実が植え付けられていきました。しかしコナソ君も言うように事実=真実とが限りません。ママンは芳乃を愛していなかったのではなく、愛しているが故に、呪われた運命と役割を継承させることを悔いていたのでした。すべては芳乃の為だったのです。主人公くんたちの活躍により真相を知った芳乃は「母親から愛されなかった」トラウマから解放されたのです!!



  • 「生殖への忌避感」
    • 芳乃は主人公くんとの接吻の際に呪詛を移されケモミミ化したことがありました。そのため芳乃は主人公くんとの接吻行為を自分が呪われていないことを確証するための装置として見なすようになっていきます。どういうことかというと、主人公くんと接吻してもケモミミ化しなければ呪われていなくて良かった!!というノリです。しかし芳乃は主人公くんを愛しているからこそ、接吻を愛を確かめ合う口づけとしてではなくウソ発見器のように見なしてしまうことに嫌悪感を抱いたのです。生殖行為もこれと同様であり、主人公くんとまぐわうことを、自分が呪われていないことを証明するためのように感じてしまうのでした。これにより芳乃は生殖そのものに忌避感を抱くようになっていくのです。いやこの発想は非常に面白いアイディアであり、どのようにして生殖行為を肯定するのか楽しみにしていたのですよ!!しかしまことに残念ながら、芳乃の御付きの忍者ヒロインが「性欲を持て余しているだけ」とアドバイスし、あっさり解決。ここでまでのやり取りはなんだったんでしょうね・・・・。



  • フローチャートがシナリオ展開にまったく意味をなさない
    • フローチャートといったら数多の選択肢による並行世界を可視化させ、プレイヤに時系列整序とシナリオ統合をさせる場を提供し、ハッピーエンドを迎えるための装置として働くことが期待されるわけですよね。何度もバッドエンドを繰り返しながらシナリオを解決するためのカギを集め、数多の自己の死体の上に、ハッピーエンドが築かれる・・・そんな感動的な展開が期待されるのです。しかし、あえて言いいますと、芳乃さんはメインヒロインなのに個別ルートは一本道で分岐もありません。フローチャートが全く意味をなさず死んでおり、シナリオに関わってこないではありませんか。何のためにフローチャートを作ったのでしょうか?逆に考えますと、ヒロインを攻略することで共通√の選択肢が増えていき、グランドエンドに入れるというのなら、まだ構造に期待は持てますでしょうが、果たして。とりあえず2周目行ってきます。