千の刃濤、桃花染の皇姫「冬濤(主体的な意志決定編)」の感想・レビュー

またしても作品のテーマは「主体的な意志決定」の重要性でした。手を変え品を変え舞台装置を変え表現し続ける。
メーカーの製作者さまたちは「主体的な意志決定」に何か思い入れでもあるのでしょうか?
個人的な感想なのですが、主体的な意志で別離を選んだのにご都合主義救済されると折角の主体性ドコイッタ状態。
ちゃんとビターエンドで落としたユースティアに比べ、千桃は最後にテーマ性踏み潰してる気もします。
プレイヤの皆さまにおかれましては、どのように感ぜられたでしょうか?

まぁそれはともかく、以下「主体的な意志決定」の重要性を説く箇所引用。

俺は道具として生まれながら人を愛し、自らの意思で守るべきものを決めることができた。そして朱璃の温かさは決して消えない記憶として身体に刻み込まれている。だからこそ、永遠に続く<根の国>での戦い躊躇いなく身を投じることができるのだ。義務だから、武人だから、戦うのではない。俺自身が戦うことを選んだからだ。

ご都合主義☆高天原からの救済エンド


  • 現代のことは先祖ではなく自分たちで解決するんだよ!
    • ここまでのお話で、主人公くんは永遠の命を持つ呪装兵器「ミツルギ」であり、朱璃は「緋彌乃命」の転生体であることが判明しました。ラスボス:禍魄を倒すためには、主人公くんと朱璃は自己を滅却させミツルギと緋彌乃命にならなければなりません。こうして二人は自我を捨て去るのですが・・・完全には元に戻れませんでした。これを見たミツルギと緋彌乃命は現代における問題は同時代の若者に託すといわんばかりに主人公くんと朱璃に意識を返します。こうして恋情慕情に溺れた二人は、ラスボスに挑むことになったのです。ラスボスの狙いは根之堅州國の汚染を引き揚げて葦原中国を汚すことにありました。汚染は巨神の形態をとり帝都を破壊し尽くします。迫りくる敵に対して攻略ヒロインズ一派は団結して戦い大団円パターンを見せつけるのですが・・・。惜しむらくは、群衆のうねりを表現できているかといえばそうでもないのが千桃。サブキャラやモブキャラの人物像の掘り下げがないため、武人集団や共和国軍を指揮しているはずなのにどうしても薄っぺらく感じられてしまうのは、私だけではないはず。
    • 主人公くんが真の「心刀合一」に目覚めるところは結構ぐっときます。これまで自己の感情を消して戦闘マシーンとなることが「心刀合一」と思い込んでいた主人公くんが感情があるからこそ強くなれるんだと覚醒するのですね。
      • 「戦うとは役割ではなく、自らが守ると決めたもののために、命を懸けること」
      • 「真の心刀合一とは感情を排した道具になることではない。たった一つの感情で自分を埋め尽くす。人間として‐‐‐あくまで人間として、純真純白な感情の体現者となった時にこそ、この身は心刀合一の境地に達する」


  • 神の怒りを鎮めるためには御供として自己を捧げるのです
    • 根之堅州國強すぎ。攻略ヒロインたちは手も足も出ず絶望状態で全滅必至。そんな折、相手は神であることに気づきます。皇国において神に対して人間は戦うのではないのです。和辻哲郎『風土』のモンスーン型ってやつですね。祈りを捧げて神を鎮めましょう。祈りには供物が必要です。ここで主人公くんが人身御供になることを願い出るのです。永遠の命を持つ主人公くんが、根之堅州國に赴くことで、常に穢れを祓うことを誓うのです。この願いは了承され、主人公くんは朱璃を残して、根之堅州國へと旅立ちます。愛する女のために主体的な意志決定によって自己犠牲を選んだのですね。こうして主人公くんの活躍により、葦原中国は平和になりました。朱璃は皇帝として即位し、内政を整え、荒廃した国を立て直していきます。米帝の世界戦略とかの伏線張ってたのに、皇国だけで片付いちまったなぁ・・・と思いました。
    • そして問題の終局部分。主人公くんが「主体的な意志決定」をして自己犠牲を選んだのに、ちゃぶ台返しが待っていますよ。国の復興をひと段落させた朱璃が、もうゴールしてもいいよねと言わんばかりに、封じていた涙を流すと、その涙は高天原の心打つことになったのです。高天原が根之堅州國の穢れを祓い、主人公くんを救済してくれました!!えー・・・。いや、ハッピーエンドは別に構わないんですが、あれだけ壮大な展開の果てに「主体的な意志決定」に辿り着いたのに、最後は神という超越的な存在による救済とかって、個人の意志を凌駕するものであり、テーマ性を踏み潰すような展開と捉えられてしまいませんかね、コレ。