体系的な世界史像の獲得(とそれを通じての歴史的諸能力の育成)

  • 問題の所在
    • 「世界史Bを教科書の配列通りに解説し、進んだところまでで必修の学習は終わりです。あとは受験で選択する人だけが続きを学んでね!」という尻切れトンボ問題が存在する。
    • この尻切れトンボ問題に対処するために生まれたのが、内容を覚えさせるのが目的ではなく、内容の学習を通して歴史的諸能力を身に着けさせるというケーススタディー的な方針。つまりは全ての歴史的事象を網羅するのではなく、いくつかの個別事例を通して、歴史的諸能力を獲得させるという考え方である。
    • しかしこの「個別具体的な事例による能力育成型学習」では体系的な「世界史像」は身につかず、散発的・断片的な知識の羅列で終わってしまう。そのため教員は個別具体的な事例を取り上げる際には、何らかの体系やテーマのもとで統合し、世界史像を作り上げ、生徒に提示しなければならない。すなわち教員は授業時数に応じて自分でつくりあげた体系的な世界史像を生徒に提示する必要があり、その獲得を通して歴史的諸能力を育成することが求められているのだ。
    • ではどのようにその「世界史像」を構築していくのか?という問題。
  • 体系的な世界史像の獲得
    • 学習指導要領の規定、すなわち世界史Bを4単位(1単位35時間×4=140時間だが学校行事で潰れるので実質110時間くらい)で教科書に書いてある内容を解説尽くすのは無理だ。多くの学校では尻切れトンボで終わる。そして受験に選択した者たちだけが通史を完成させ「世界史像」を獲得する。しかしながら2015年度の高校卒業生数が106万4376人、2016年1月実施のセンター志願者数のうち現役の人数が46万2335人(総志願者は56万3768人)。世界史Bの総受験数は8万4131人である。現役だけのセンター世界史B受験者数のデータはないので総志願者数だけで計算しても15%。これを考えると大学受験をする階層の中でもたった15%しか通史を完成させ、世界史像を形成できるものはいないのである。受験しない高校生のことも考えると問題はさらに深刻である。
    • 以上のことを考慮にいれると、「教科書の通史を完成させる以外の」新たな「世界史像」を形成しなければならない。だが、それには一定の「世界史像」など存在しない。教員は自分に与えられた配当授業時数の中で、自分でテーマを設定し、自分の世界史像を作り上げることが必要なのだ。
    • そうすると出てくるのが「教員の歴史観に染まる」という批判や、「用語の暗記などの知識を軽視している」などの指摘である。
  • 教員の歴史観に対する問題について
    • 歴史観のない歴史叙述など存在しない。どの叙述も著者の歴史観に基づいて記されている。その時に必要なのがリテラシー能力であり、書いてある叙述はどのような歴史解釈に基づいて記されているのかを分析できる力が必要となる。つまりは、高校生にもこのリテラシー能力を身に着けさせることで、教員の歴史観は相対化される。あくまでも教員の授業というものは教員の解釈によって成り立っており、高校生たちは、その教員はどのような考え方に基づいて授業を行っているのかを読み解いていく。教員サイドはそのことを意識し、自分がどのようなロジックで授業を構成したのかを提示する。そうすれば、生徒は歴史の多面的な側面を学ぶことができる。
  • 細かな用語の暗記問題
    • 「世界史像の獲得とそれを通しての歴史的諸能力の育成」を授業の主眼におくと、絶対に出てくる批判がコレ。用語暗記問題。
    • 勉強は本来自分でするものであり、教員は時代の特徴と展開を解説するから、細かな知識は自分で覚えろとしか言いようがない。用語集読んで分からなかったら解説してあげるから持ってきなさい。こういうと生徒は悲しそうな顔をして去っていく。全ての知識を授業で扱うなんてことは不可能であるというと、教科書のゴシック体大好き少年少女が○○は覚えなくていいんですか?とか執拗に怒り狂う。そのため、覚えろと丸投げをしないで覚えさせる工夫が必要となってくる。
    • そのために教員ができることといったら小テストの実施と不合格者の管理。一問一答か空欄補充の問題集を与えて、範囲を決めて1週間に1回小テストする。ここで大変なのが「やりっぱなしにしない」こと。問題集を回収してやったかどうかをチェックし、小テストの成績下位者を拾い上げ、補習を施す必要がある。そうしないと生徒は勉強しないので小テストが形骸化する。だが、この宿題チェックと小テストとデータ入力と補習のサイクルを300人近くやることになり教員は過労死寸前となる。