終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか? 第12話(最終話)「世界で一番幸せな女の子」の感想・レビュー

幸福の在り方に関するはなし。限られた生命の中で生きる意味を見出すことが出来たなら幸せってもんさ。
使い潰されるだけの人生であり玉砕特攻を無理やり意義付けして死ぬしかなかった死霊兵器少女たち。
そんな彼女たちに精一杯生きる事を教えた主人公くんは確かに救いになったのでしょう。
自分は誰も救えなかったと最後まで悔やむ主人公くんをネフレンとクトリが肯定します。
ネフレンの「もう助けてくれたから」とクトリの「ありがとう」は個人的名場面集です。
最後は第1話の冒頭に回帰し、クトリは主人公くんのために最後の想い出まで犠牲にして自爆するのでした。
まぁ終局部で主人公くんとネフレンの生きてるフラグが立てられクトリは転生済みであることが示唆されるのですが。

少女救済による自己救済という技法


  • 自己の生存理由をどのように肯定するか
    • 本作は主人公くんと死霊兵器たちが自分の生命は無駄ではなかったと確信することに幸福の在り方を見出したと考える事ができます。まず主人公くんについて。主人公くんは滅亡前のセカイで世界を救う勇者として戦ってしましたが、その戦いの中で石化し、500年後の世界で解凍されることになります。自分が命を懸けて救おうとした世界や人々は死に絶えており、自分はまったく何もできなかったという無力感に陥ります。故に主人公くんは自罰として低賃金肉体労働に従事し自分を痛めつけていたのです。そんな主人公くんに新たなる生き甲斐を与えたのが、クトリたち死霊兵器だったのです。死霊兵器少女たちを救うことで生存意義を見失う主人公くんが肯定されるのですね。
    • 一方でクトリたち死霊兵器少女たちも自らの在り方に苦しんでいます。クトリたちは玉砕特攻するだけの存在であったため、無理やり自己の生命を意義付けしようとしているのです。神風特攻は無駄死に以外のなにものでもないのに人は意味のない死に耐えられないので国家だの民族だのとやたらと美化するのですね。クトリも自分が玉砕することで後輩たち(=家族)を救えると読み替えて意味のない死に耐えようとするのです。そこから救ってくれるのが主人公くんであり、意味のない玉砕を捨て、生き延びるための可能性を上げるために修行し、幸せを掴もうとしてもいいんだ!!と肯定してくれるのです。一歩間違えれば瑕の舐め合いと揶揄されそうですが、生きる意義を失った男と生きる意義もない少女たちがお互いを必要として肯定しあうというのは頽廃的ながらも個人的には大好きな展開なのです。


  • ハッピーエンドではない幸福と救いの在り方
    • 本作は『ナルキッソス』などのように死にゆく中に幸せを見出す作品です。そのため安易にご都合主義展開で生きてました〜とかやられると作品が台無しになるわけで、アニメ版でもクトリをきちんと死なせることになりましたが、死なせ方をどのような演出にするかが問われていました。自分は幸せだったと確信し自己肯定し、さらに主人公くんに「ありがとう」と述べさせ満面の笑みを浮かべさせることで、主人公くんをもまた救済するのです。主人公くんは最終回においても自分が何も救えなかった、戦うことしかできないと苦悩し、戦乱に身を任せます。そんな主人公くんを生きていて良かったんだよ!!と全力で支えるのがネフレンとクトリの最期というわけです。元来死霊兵器であるクトリたちはただ漠然と死ぬしかなかったのですが、そんな少女たちに生きる喜びと希望と生命への意志を与えたのです。自分たちは生きるための努力をしていいんだ!!と思わせてくれたのです。そのことを主人公くんに伝えてあげねばなるまいて!ネフレンは「もう助けてくれたから」という言葉の中に主人公くんへの謝意を示して堕ちていきます。一方でクトリも最後に残った思い出すらも犠牲にして主人公くんを救うために最後の戦いへとおもむきます。完全に浸食された中で猛然と剣を振るい迫りくる敵をちぎっては投げちぎっては投げ。そしてラストは妖精郷の門を開き(メガンテ)、一掃するのでした。全ての敵を倒した後、満面の笑みで主人公くんに「ありがとう」と言い、自分の人生における幸福を噛みしめて死ぬのでした。この「ありがとう」とネフレンの「もう助けてくれたから」は個人的名シーンとなっております。おススメ。