- この本の趣旨
- イギリス王を辿ることを通して、イギリスの歴史に一貫して流れる文化や心性の特徴をあぶりだすこと
気になった箇所てきとうなメモ
- 集権的封建制度(pp.19-21)
- ノルマン朝初代ウィリアム征服王の時代。当初は地位が安定せず諸侯の反乱に悩まされる。そのため征服した国内の統一安定のための制度づくりが必要となった。ウィリアムがしたことは歯向かってきたサクソン貴族を潰して土地を取り上げること。これにより広大な王領を得た。この王領をノルマン貴族に与えることで、土地授与の見返りに授軍義務・国王への軍事的奉仕を課した。イギリスの場合は「王領」の授与という形だったので全封建貴族を家臣として直接忠誠を誓わせることができた。これにより、分裂に悩むフランスやドイツに比べて強力な王政を実現することができた。
- イギリスの植民地支配の起源(pp.32-33)
- アーサー王伝説を利用した政治的正当性の主張(pp.44-45)
- セント・ジョージ崇敬(pp.57-60)
- 著者はイングランドのナショナルフラッグ(セント・ジョージ旗)の由縁を説いている。ヨーロッパには聖人崇敬があり遺骨や衣服の切れ端など聖人ゆかりのものには奇跡力が備わっていると考えられていた。守護聖人は国家を見守る存在と捉えられた。フランスは聖ディオニシウス、スコットランドは聖アンドリュー、アイルランドは聖パトリックなど。イングランドは聖ゲオルギウス(セント・ジョージ)であり戦争の守護聖人として人気を集める。セント・ジョージは旗印・紋章は十字軍の精神をイギリスに持ち込み、ウェールズ、スコットランド、フランスとの戦いを正当化した。エドワード3世は自分のガーター騎士団をセント・ジョージ旗のもとにまとめ、百年戦争の時には「セント・ジョージ」の勝鬨をあげたため、守護聖人の地位にのぼったことが指摘されている。
- ヘンリ8世と英語帝国主義の起源(pp.80-81)
- 魔女狩り エリザベス・ジェームズ時代(pp.97-98)
- イギリスの国民意識の起源(pp.125-126)
- 著者は文化的にも民族的にも不均質でいつも不安定で揺れ動いていたアイデンティティが規定されたのがフランスとの対立であると指摘する。リンダ・コリーを紹介しながら第二次英仏百年戦争を取り上げ、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争に代表される根深い敵対感情により国民意識が醸成されたと説く。「つまりフランスとの対立がイギリス人の国民意識を創るとともに、イングランド銀行、効率的で全国的な財務システムおよび巨大軍事機構を創った……さらにこのフランスとの敵対が同時にプロテスタント対カトリックの宗教戦争でもあり、単に政治家や貴族の問題ではなく、大衆の同意を得て彼らの積極的協力で危機に対処するしかなくなったことが、この時期にひとつのグレートブリテンの住民がひとつの「国民」となった根本的要因だ」。
- 慈善事業とイギリス階級社会の維持・正当化(pp.148-149)
- 経験論的で読み解くイギリスの法制度(pp.157-158)
- フランスの中央集権国家の原則に則った一般低原理や法とは異なり、イギリスはローカルで特殊な諸権利や慣習に基礎を置く。マグナ・カルタや権利の章典は一部の貴族層の要望を集めて形にしたものであり、コモン・ローは中世以来、国王裁判所において伝統・慣習・先例に基づき判決を下してきたことから発達した法分野(判例法)。イギリスの「憲法」とはマグナ・カルタ、権利の章典、王位継承法をはじめとする議会における制定法にコモン・ローと慣習を合わせたもの。
- イギリス人にとって抽象的で一般的な諸原理などまったく魅力がない。フランスの合理主義の伝統とは反対に、経験と接触を保つことを求める。根拠を知り、観念から演繹させるより、たとえ論理性が欠如していても、その時々に必要な目標にいたることが大切だとされた。だからこそ、法律・原則に縛られないで、慣習を重視した。事実そのものに近づき、現実的なものや経験的なものを偏見のない観察者として見る。ドグマ忌避、コモン・センス重視。
- 「フランス的観念のお遊びより、多くの人に役立つ実利的な考え方こそ重要だ」……これがピューリタン革命後のイギリスの主要な考え方。そこからあらゆる知識は経験を通じて得られると考える「経験論」が導かれ、そこに根拠を置くイギリス流哲学が功利主義。
- 英語帝国主義(p.186)
- イギリスにおける歴史教育の必修化(p.187)
- イギリスの植民地支配と分断統治の起源(pp.188-189)
- イギリス食事情(pp.191-195)
- イギリス国王が大食漢であるというステレオタイプの起源
- メシマズの国というステレオタイプの起源
- 第一の契機は宗教改革。クロムウェルはクリスマス断食を敢行、リチャード・バクスターは「食事など15分もあれば十分で、一時間も費やすなど馬鹿げたことだ」、「おいしそうな食事は悪魔の罠なので目にすべきではなく、貧者の粗食を食べるようにすれば地獄落ちから免れる」と説く。
- 農民や労働者は粗食であり、18世紀後半に安価なジャガイモが広まり安い魚とともに大量に供給されると「フィッシュアンドチップス」が労働者階級の食事として普及。
- 現在のイギリス料理のまずさを決定づけたのはヴィクトリア朝の中産階級。食に快楽を覚えることを身の破滅と考えた。食べ物の力を無力化すべきで、子供たちが食事に興味を持つことのないように日々努めた。17世紀以降、19世紀には「おいしさ」に頓着しないようになり、食事は文化と無関係の生きるための燃料補給にすぎなくなった。19世紀に大英帝国を築けたのは、どの地にいっても食べ物を気にせず「燃料」として口の中に放り込む。
- 王室と大衆世論(p.235)
- 20世紀以降の王室は大衆にどう思われるかに敏感になり、世論を無視しては高い権威を十分に維持できなくなった。かつてのように貴族たちの支持を集めるだけではダメで、広く国民に姿を見せ、考えを示し、そして納得してもらうことが、敬意を集める方途になった。だから、機会を捉えて国民と親しく会話したり、ロンドン市内を気軽に散歩したりする王が登場するようになった。
- イギリスと王室(まとめ)