池上俊一『王様でたどるイギリス史』(岩波書店、2017年)

  • この本の趣旨
    • イギリス王を辿ることを通して、イギリスの歴史に一貫して流れる文化や心性の特徴をあぶりだすこと

気になった箇所てきとうなメモ

  • 集権的封建制度(pp.19-21)
    • ノルマン朝初代ウィリアム征服王の時代。当初は地位が安定せず諸侯の反乱に悩まされる。そのため征服した国内の統一安定のための制度づくりが必要となった。ウィリアムがしたことは歯向かってきたサクソン貴族を潰して土地を取り上げること。これにより広大な王領を得た。この王領をノルマン貴族に与えることで、土地授与の見返りに授軍義務・国王への軍事的奉仕を課した。イギリスの場合は「王領」の授与という形だったので全封建貴族を家臣として直接忠誠を誓わせることができた。これにより、分裂に悩むフランスやドイツに比べて強力な王政を実現することができた。
  • イギリスの植民地支配の起源(pp.32-33)
    • イギリスが海外進出・帝国主義時代に植民地統治を巧みに進めることができた原因として、著者はイギリスがかねてからウェールズスコットランドで「他者」を相手に「異境」を経験済みだったことを挙げている。ジェラルド・オブ・ウェールズの著作『アイルランド征服記』と『ウェールズ概略』を紹介しながら「……征服・統治するための極意が記されています……征服のための軍隊装備や作戦のほかに、住民をいかに物理的にも精神的にも弱らせ、意気阻喪させ、賄賂・買収や空約束で住民相互に不和の種をまいてたがいに争い合わせるか、といった手管がまとめられているのが印象的」と指摘している。
  • アーサー王伝説を利用した政治的正当性の主張(pp.44-45)
    • アーサー王伝説は王宮や庶民に人気があり、イギリス国王は栄えある祖先を持つとして実際の血縁関係など無視してアーサー王とのつながりを唱えた。
    • エドワード1世はアーサー王の遺骸の遷移式を行い、エドワード3世は新たな円卓の騎士団(ガーター騎士団)を創設し後裔としての威光を得ようとした。テューダー朝は正統の王を廃位したため継承権が危うかったので正統性を補強する必要があったため、ヘンリ7世は長子にアーサーと名付け「テューダー家は栄光あるアーサー家の末裔である」と主張した。
  • セント・ジョージ崇敬(pp.57-60)
  • 魔女狩り エリザベス・ジェームズ時代(pp.97-98)
    • イングランドではエリザベス・ジェームズ時代に魔女狩りの蛮行の絶頂期を迎えた。魔女や妖術への信仰は、様々な宗派に分れるキリスト教全体をまとめ、統一的なキリスト教共同体のイメージを提起できるという効用があった。ジェームズ1世は王権神授説の強化に魔女を用いた。カトリック教徒は魔女と組んでプロテスタントを攻撃しようとしているので神から王権を授かった国王こそが魔女を弾圧し一掃すべきだと説いた。
  • 慈善事業とイギリス階級社会の維持・正当化(pp.148-149)
    • 教育や反奴隷制度のような大衆受けする大義に王が一体化し、全国民に支持される。慈善組織・団体の長やパトロンとして王族が座り、その下に貴族・ジェントリ、富裕市民らが幹部や運営委員として連なる。こうした貴族的な輝きのある組織・団体に中産階級もお金の寄付で協力し、それが貧者・弱者・病者の救済につながる……という仕組みで、既存の階級社会を正当化・維持する効用があった。
  • 経験論的で読み解くイギリスの法制度(pp.157-158)
    • フランスの中央集権国家の原則に則った一般低原理や法とは異なり、イギリスはローカルで特殊な諸権利や慣習に基礎を置く。マグナ・カルタ権利の章典は一部の貴族層の要望を集めて形にしたものであり、コモン・ローは中世以来、国王裁判所において伝統・慣習・先例に基づき判決を下してきたことから発達した法分野(判例法)。イギリスの「憲法」とはマグナ・カルタ権利の章典、王位継承法をはじめとする議会における制定法にコモン・ローと慣習を合わせたもの。
    • イギリス人にとって抽象的で一般的な諸原理などまったく魅力がない。フランスの合理主義の伝統とは反対に、経験と接触を保つことを求める。根拠を知り、観念から演繹させるより、たとえ論理性が欠如していても、その時々に必要な目標にいたることが大切だとされた。だからこそ、法律・原則に縛られないで、慣習を重視した。事実そのものに近づき、現実的なものや経験的なものを偏見のない観察者として見る。ドグマ忌避、コモン・センス重視。
    • 「フランス的観念のお遊びより、多くの人に役立つ実利的な考え方こそ重要だ」……これがピューリタン革命後のイギリスの主要な考え方。そこからあらゆる知識は経験を通じて得られると考える「経験論」が導かれ、そこに根拠を置くイギリス流哲学が功利主義
  • 英語帝国主義(p.186)
    • 英語帝国主義は「白人の使命」の文脈で理解できる。ヘンリ8世がウェールズアイルランドスコットランドに英語を公用語として強要する施策を試みていたが、19世紀にはインド、アフリカなど世界に広がる植民地に「卓越した言語」としての英語を押し付け、イギリス的な価値観を内面化させようと教育システムを整え、さらには法廷での英語使用や公職者の英語の知識習得を義務化した。大英帝国における国王の忠実なる臣民は、文芸や科学とは縁もゆかりもない現地語など棄てて英語を使うのが自分たちのためでもあるのだ……という議論。
  • イギリスにおける歴史教育の必修化(p.187)
    • 学校で歴史が必修化したのが1900年。歴史教科書で帝国の偉大さを教え、その大英帝国の担い手としての義務を学ばせた。そして世界で諸民族に強大な支配権を揮っている大英帝国の中心にいる誇りと優越感、たえざる戦争の必要性を叩き込んだ。
  • イギリス食事情(pp.191-195)
    • イギリス国王が大食漢であるというステレオタイプの起源
      • イギリス中世の王侯貴族の間には大食を良しとする風習があり、ウィリアム1世の食欲は伝説化していた。ヘンリ8世の巨大な体躯の肖像画が彼がいかに大食漢であったかを想像させる。19〜20世紀初頭のジョージ4世やエドワード7世も同じで、後者の時代には上流階級における大食の伝統が頂点に達し、人々はウェストの太さを競いあった……ジョージ4世は「ビールとビーフがわが国民を作り上げた」と述べた。
    • メシマズの国というステレオタイプの起源
      • 第一の契機は宗教改革クロムウェルはクリスマス断食を敢行、リチャード・バクスターは「食事など15分もあれば十分で、一時間も費やすなど馬鹿げたことだ」、「おいしそうな食事は悪魔の罠なので目にすべきではなく、貧者の粗食を食べるようにすれば地獄落ちから免れる」と説く。
      • 農民や労働者は粗食であり、18世紀後半に安価なジャガイモが広まり安い魚とともに大量に供給されると「フィッシュアンドチップス」が労働者階級の食事として普及。
      • 現在のイギリス料理のまずさを決定づけたのはヴィクトリア朝中産階級。食に快楽を覚えることを身の破滅と考えた。食べ物の力を無力化すべきで、子供たちが食事に興味を持つことのないように日々努めた。17世紀以降、19世紀には「おいしさ」に頓着しないようになり、食事は文化と無関係の生きるための燃料補給にすぎなくなった。19世紀に大英帝国を築けたのは、どの地にいっても食べ物を気にせず「燃料」として口の中に放り込む。
  • 王室と大衆世論(p.235)
    • 20世紀以降の王室は大衆にどう思われるかに敏感になり、世論を無視しては高い権威を十分に維持できなくなった。かつてのように貴族たちの支持を集めるだけではダメで、広く国民に姿を見せ、考えを示し、そして納得してもらうことが、敬意を集める方途になった。だから、機会を捉えて国民と親しく会話したり、ロンドン市内を気軽に散歩したりする王が登場するようになった。
  • イギリスと王室(まとめ)
    • イギリス王室の現在の機能は、政治的立場の争いの彼方で統治の正統性と継続性を確保すること。
    • もう一つの機能はイギリス王は貴族階級の随一の存在として、価値観や行動様式を代表し、それがイギリス全体に行き渡る習俗や心性の源流になっていった。
    • 上記は、革命後から19世紀にかけて明確化し、現在まで続く「イギリス」の国民性を形成していった要素。
    • 時代とともに変わる君主の立場
      • 君主制というのは、いつでも社会的基盤に依存してしか存在できない。だからそれに適応して、その在り方、立場を転身させていきながら、国と国民をまとめていかなければならない。君主制とはつまるところ本質的に創造力の制度である」