全国社会科教育学会 第66回 全国研究大会 第1日 10月28日(土)

学会第1日目では「文脈」が強調されていた印象が強い。すなわち「社会的文脈の中の子ども」が抱いている興味関心(見方や考え方)を分析すること。従来も「子どもの見取り」は行われていたが、それは教師の勘と経験に基づくものであった。そして従来は研究者は規範的な授業を作る「授業開発」を行い、実践は現場教師に任せるという形式であったが、これからは勘と経験ではなく科学的に「文脈」を分析し子どもが求めている興味関心(切実性)に基づき授業を行う必要がある。

これは完全に歴史学習における通史学習は成り立たないことを意味する。通史学習は「ある一定の歴史観に基づく体系的な知識」を伝達する行為であるが、生徒が体系的な歴史像を求めている切実性は皆無である。生徒の興味関心を掬い上げるにしてもそこで扱える歴史は断片的なものとなり通史的歴史像を構築することは難しい。おそらくここで出てくるのが「能力」の育成であり、どのような題材を扱ったとしても、その題材を用いて育てる「能力」が保証されていれば良いというのであろう。

フォーラム? 渡部竜也「社会科教育学のパラダイムを問い直す−アメリカ社会科研究の100年を踏まえて−」

  • フォーラムの趣旨
    • 全社学の社会科研究を支配していたパラダイムに異議申し立てをすること。
  • 渡部氏が批判する旧来の森分・草原パラダイムの特徴
    • 教師および教授(teaching)中心の議論
    • PDCAサイクル重視
    • 開発重視、詳細計画重視
    • 子どもや学校の現実、社会的文脈をめぐる議論等を後回しとする理論と実践
      • 中学校や高校では、子どもの分析をあまり重視してこなかった。
      • 子どもを分析することがあったとしても、計画した授業構想やカリキュラム案の省察のためである。
      • 子どもを分析するとしても、それは「教師の理解(認知構造)」と「子どもの理解(認知構造)」の齟齬を解消しようという発想の下、発達心理学認知心理学に頼る傾向にあった。
  • 渡部氏が着目する米国のパラダイムの研究
    • 子どもの学び(learning)中心の議論
    • PDCAとは逆向きの発想
    • 教育の方向性を示すことを重視(詳細計画には興味なし)
    • 社会的文脈の中の子どもや大人たちの学びや行動の現実から、あるべき教育論を構築するという、「理想」と「現実」の一元論
      • 子どもを分析することは、計画した授業構想やカリキュラム案の省察のためではない。
      • 「教師の理解(認知構造)」または「教科の構造」と、「子どもの理解(認知構造)」の齟齬を解消しようという発想ではないため、発達心理学は重視しない。
      • むしろ、「教師(教える側)の文脈」と「子ども(学ぶ側)の文脈」の齟齬を解消しようという発想に近く、文化心理学を重視する。

シンポジウム 「見方・考え方」論で社会科は変わるのか?

田中伸「「学びへのモチベーション」を基盤としたカリキュラム論-働かせる「見方・考え方」の前提を疑う-」
  • 子どもは「見方・考え方」を理解・応用しているか?
    • 子どもは理解していない。生徒は日常知のみであり価値判断が身につかない。
  • なぜ子どもは社会諸科学の知識を理解・応用できないのか?
    • 理解が現実的に難しい。
  • 教師は生徒の理解を理解できない。
    • 生徒が何を考えているのか分からない。どう把握すればよいか?子どもたちに活用させ応用させた結果を見て判断させる。
  • なぜ子どもが理解しようとしないのか?
    • 社会科が子どもの関心を喚起しない。
  • 子どもの学びのモチベーションがトリガーになる。
    • 規範研究から実証・調査研究へ。「学びのモチベーション」研究。
    • モチベーション:「学び」を子ども自身が意味づける動機 → 行為を理解し、連続的な学びへとつなげる。(学びに向かう力の保障)
      • Hip Hop Pedagogy ヒップホップを使った社会科
    • モチベーションを活用する方法
      • 学校や生徒が直面する信念を扱う
      • 学習者にとって学びの意味を感じやすい学びの中で意味のある言説
      • 「学びへ向かう力」を育成する→子ども・文化
  • 開発者・授業者・子どもの間で認識のズレ
    • コミュ論的権力観(研究者)・存在論的権力観(授業者)・権力なんてわからない(子ども)
    • 無意識的に作り出してしまうラベリングを子どもに自覚させ解体させる(研究者)・子どもに社会が作り出すラベリングに気づかせる(授業者) 
    • 見方・考え方は開発者・授業者・子どもで様々なに異なる。
    • ディシプリンに基づく概念的知識を獲得させようとすることを見方・考え方と捉えると危険である。
    • 授業が教員の意図に進まなかったとしても、子どもの考え・枠組みを炙り出すことになるのでそれを次に活かす。