幕末尽忠報国烈士伝-MIBURO-「分岐回収 歴史における伝承と評価編(近藤勇√)」の感想・レビュー

歴史の解釈は多面的で複数性を持つ。歴史学の成果とは無関係に大衆文芸によりイメージが形成される事も多い。
そして人口に膾炙されるようになったイメージが固定観念となり歴史が書き換えられ、共有された記憶となる。
そのため知識の啓発と普及は重要であり、新撰組も日野市が郷土教育で培ったからこそ現在のように伝承された。
維新後においては悪役として描かれることも多かった新撰組も今では立派な産業資源だぜ!
メディアに描かれた新撰組がどのような経緯で今のような評価になったのかとか描いてくれると面白かったかも。


(※出典日野育ちぐだ子、ヒッジ先輩を推す。)

日野市の新撰組に基づく郷土教育について →cf.http://d.hatena.ne.jp/mmm000mmm/20170504/p2


  • 近藤勇√概要
    • 流山で投降することになった近藤勇ですが、ここで影武者が代わりに処刑されることになります。近藤勇は反対するも土方歳三により昏睡させられ気づいた時には後の祭り。その後、近藤勇は精神崩壊し、主人公くんとともに江戸の長屋に住みつくことになります。戊辰戦争には全く関与できず終結。時間だけが近藤勇を癒せるのでした。徐々にメンタルクラッシュから立ち直った近藤勇は、その生きるための怨恨を黒田清隆に向け、暗殺を行うことを目的とします。しかし黒田清隆を殺しに行った際、有馬藤田から説教されます。自分の代わりとなってくれた影武者や土方歳三の死を無駄にすることになると。ショックを受けた近藤勇は放心状態。主人公くんが近藤勇を見つけるまで、雪の降りしきるなかで一歩も動けずに座り込んでしまうほど。
    • そんな近藤勇を救うためには、近藤勇固執する武士としての身分や新撰組局長という立場から解放する必要があったのです。それができるのは、近藤勇新撰組の名を与えた松平容保だけ!!ということで、直々に松平容保が江戸の長屋を訪問し、近藤勇新撰組局長の役割を解任するのでした。武士や新撰組に囚われ役職に依存していた近藤勇は死に、個人としての近藤勇が誕生した瞬間でした。第二の人生を歩み始めた近藤勇は故郷である日野を訪れ、土方歳三の墓参りをします。時代の流れは新撰組の名を押し流してしまうでしょう。薩長藩閥の政府の下では新撰組=悪役のイメージが植え付けられてしまうかもしれません。しかし地元の子どもたちは郷土の誇りとして新撰組を語り継ぎます。そう、現在の日野市が新撰組を観光資源とし、FGO土方さんの同人誌で日野市聖地巡礼本が出るくらい郷土教育に成功しているのです。