2018-04-17 極東蘇聯史002「中東鉄道をめぐる日ソ関係」 講義速記録 極東蘇聯史 今日話すこと 満洲をめぐる日ソ関係 (1)中東鉄道 (1)-1.沿革 チタからシベリア鉄道が伸びているが中国と接続したい 不凍港:ウラジオストクへ行きたい 中国と繋がればモノは豊富 中国清朝内を通っている これが中東鉄道 シベリア鉄道から分岐し、ウラジオストク、旅順まで建設 東清鉄道(東支鉄道) ロシア史のヒトは中東鉄道を使い、日本史では東清鉄道を使う 浅田雅文先生(北大スラブ出身)『中東鉄道経営史』 とても素晴らしい本とのこと 日本は長春以南の東清鉄道を獲得した 満鉄は長春以南 他はロシア なんで中国の領土内に日本が行けたのか? ロシアが革命で政権が崩壊 中東鉄道の共同管理をしようということになる!! (1)-2.ロシア革命 シベリア出兵と同じ枠組みで、中東鉄道共同管理(1919.2〜) 連合国の顔ぶれは日英米仏伊中露(反革命)チェコスロバキア アメリカは国際共同管理狙い 中国は中国に返してもらうというつもりでいる 日本は北上を狙う (1)-3.中ソ対立 中ソ国交樹立(1924) → 中ソ間で中東鉄道に関する暫定管理協定 ソ連はロシア帝国の権益を放棄するといっていた・・・本来ならば管理するという意見もあったのだが・・・ cf.権益とは 帝国主義の用語 コンセッション 共同経営で生かしていこう 北樺太の油田は日ソ共同経営 張学良による易幟(1928) 張作霖は張学良の後を継ぎ 蔣介石の北伐に合流し国民革命に参加 張学良は国権の回収に向かう →史料4 1929年 武力を使ってでも 利権を回収する ソ連軍と張作霖軍の戦争が起きてしまった → 奉ソ戦争(1929) この戦争は軍事的に圧倒的にソ連軍が勝った。 ソ連と奉天軍閥の和解は認めていない ここで、満州事変が起こる 圧倒的に張学良軍の方が勢力が大きいのに、なんで関東軍は軍事的な成功を収めたのか 日本軍は関東軍の謀略というが 大幅な準備ができないのに 満州事変を理解するにあたって 張学良やソ連軍がいるのに軍事行為が行えたのは不思議 満州事変で全満洲が日本になっちゃったのはなぜ!? ⇒資料6 奉ソ戦争の観戦武官 張学良軍弱い 張学良自身が戦うなといった(蔣介石が安内攘外で共産党勢力の討伐を優先したから) (2)満洲事変後の日本 (2)-1.満洲事変 ソ連軍は強いと分かっているのにやったのか? → ソ連は「不干渉主義」 張学良の味方はしないだろうという事が分かっている。 この時の中国やソ連の状況を考慮しないと満州事変は分からない ソ連は1931年の時点では親日であり、1935年で東清鉄道売却した時も親日だった。そこから急転直下で張鼓峰事件、ノモンハン事件 ソ連は不干渉主義 中東鉄道の関東軍使用も黙認 満州事変中に日本に対して不侵略条約を提議(31.12) 国際社会で日本のやったことは批判されているのに、ソ連は日本より 中ソ関係が悪くなっているので日本に対して宥和的 戦間期日本とソ連は悪い関係ではない 日本は自分たちの縄張り獲得のため脅威を唱え続けるが 満州事変の時は脅威になっていない。 ソ連は満洲国を国家としては承認していない しかし中東鉄道の共同経営の相手は満洲国 事実上は満洲国と共同経営 ソ連が満洲国をどのようにみていたのかが分かる。 中ソ共同経営は満ソ共同経営に代わっている。 正式名称を中東鉄道から北満鉄道に? これすごく大きな変化 ソ連に認めさせている。 北満は満洲北部 中国ではこの地域を満洲とはいわない 満洲というのは日本人だけ 北満鉄道という名称は日本人の発想! (2)-2.北鉄譲渡交渉 日本が北鉄を手に入れるまで ロシア時代 第二松花江以南106?譲渡交渉 → ロシア革命でぽしゃる 日本外務省 対東支鉄道方策考案 1923年 11月27日 東清鉄道を中国に返されちゃったら困る 返すんだったら日本に返すべき ハルビン以南を日本が買収 陸軍皇道派はソ連が嫌いだから気に入らない 具体的な利権があるのに交渉を嫌がる 北満鉄道譲渡協定調印(1935年3月) ソ連が満洲国を協定の当事者とみている 国家承認は拒否してはいるが存在は見ていない ソ連は宥和政策を取っている 不干渉&共同経営&譲渡交渉 → 事実上の承認とみても間違いないのではないか 国家承認する気はないが、交渉相手として満洲国を認めてる (2)-3.満洲国国鉄 北満鉄道は国鉄 営業できるのは満鉄だけ 経営については満鉄に委託 1935年に満鉄を買収したことは歴史的意義!! 日露戦争の時からロシアの中東鉄道と日本の満鉄ではレールの幅(ゲージ)が違う ロシアはゲージが広軌(1520?)、日本は狭軌(1067?)、世界的な標準(1435?)。 日露戦争中は狭軌、満鉄は京奉線に合わせて標準、ロシアは広軌 現代での新幹線の広軌は昔の標準 ロシア式広軌ではない まとめ ソ連は日本に対して宥和的だった(1931年満洲事変、1935年東清鉄道売却) ソ連が1935年に東清鉄道を売却したことから、満洲国を法的には承認していなくとも、その存在は認めていたことが分かる。