極東蘇聯史002「中東鉄道をめぐる日ソ関係」

  • 今日話すこと 
    • 満洲をめぐる日ソ関係

(1)中東鉄道

(1)-1.沿革
  • 浅田雅文先生(北大スラブ出身)『中東鉄道経営史』 とても素晴らしい本とのこと
    • 日本は長春以南の東清鉄道を獲得した
    • 満鉄は長春以南 他はロシア
  • なんで中国の領土内に日本が行けたのか?
    • ロシアが革命で政権が崩壊 中東鉄道の共同管理をしようということになる!!
(1)-2.ロシア革命
  • アメリカは国際共同管理狙い
    • 中国は中国に返してもらうというつもりでいる
    • 日本は北上を狙う
(1)-3.中ソ対立
  • 中ソ国交樹立(1924) → 中ソ間で中東鉄道に関する暫定管理協定
    • ソ連ロシア帝国の権益を放棄するといっていた・・・本来ならば管理するという意見もあったのだが・・・
      • cf.権益とは 帝国主義の用語 コンセッション 共同経営で生かしていこう 北樺太の油田は日ソ共同経営
    • 張学良による易幟(1928) 張作霖は張学良の後を継ぎ 蔣介石の北伐に合流し国民革命に参加
    • 張学良は国権の回収に向かう →史料4
    • 1929年 武力を使ってでも 利権を回収する 
    • ソ連軍と張作霖軍の戦争が起きてしまった → 奉ソ戦争(1929) この戦争は軍事的に圧倒的にソ連軍が勝った。
  • ソ連奉天軍閥の和解は認めていない
    • ここで、満州事変が起こる
    • 圧倒的に張学良軍の方が勢力が大きいのに、なんで関東軍は軍事的な成功を収めたのか 日本軍は関東軍の謀略というが 大幅な準備ができないのに
  • 満州事変を理解するにあたって 張学良やソ連軍がいるのに軍事行為が行えたのは不思議
    • 満州事変で全満洲が日本になっちゃったのはなぜ!? ⇒資料6 奉ソ戦争の観戦武官 張学良軍弱い
    • 張学良自身が戦うなといった(蔣介石が安内攘外で共産党勢力の討伐を優先したから)

(2)満洲事変後の日本

(2)-1.満洲事変
  • ソ連軍は強いと分かっているのにやったのか? → ソ連は「不干渉主義」
    • 張学良の味方はしないだろうという事が分かっている。
    • この時の中国やソ連の状況を考慮しないと満州事変は分からない
  • ソ連は不干渉主義 中東鉄道の関東軍使用も黙認
    • 満州事変中に日本に対して不侵略条約を提議(31.12)
    • 国際社会で日本のやったことは批判されているのに、ソ連は日本より
    • 中ソ関係が悪くなっているので日本に対して宥和的
    • 戦間期日本とソ連は悪い関係ではない
    • 日本は自分たちの縄張り獲得のため脅威を唱え続けるが 満州事変の時は脅威になっていない。
  • ソ連満洲国を国家としては承認していない しかし中東鉄道の共同経営の相手は満洲国 
    • 事実上は満洲国と共同経営
    • ソ連満洲国をどのようにみていたのかが分かる。
  • 中ソ共同経営は満ソ共同経営に代わっている。
    • 正式名称を中東鉄道から北満鉄道に?
    • これすごく大きな変化 ソ連に認めさせている。
    • 北満は満洲北部 中国ではこの地域を満洲とはいわない 満洲というのは日本人だけ 北満鉄道という名称は日本人の発想!
(2)-2.北鉄譲渡交渉
  • 日本が北鉄を手に入れるまで
    • ロシア時代 第二松花江以南106?譲渡交渉 → ロシア革命でぽしゃる
    • 日本外務省 対東支鉄道方策考案 
      • 1923年 11月27日 東清鉄道を中国に返されちゃったら困る 返すんだったら日本に返すべき ハルビン以南を日本が買収
  • 陸軍皇道派ソ連が嫌いだから気に入らない 
    • 具体的な利権があるのに交渉を嫌がる
  • 北満鉄道譲渡協定調印(1935年3月)
    • ソ連満洲国を協定の当事者とみている 国家承認は拒否してはいるが存在は見ていない ソ連は宥和政策を取っている
    • 不干渉&共同経営&譲渡交渉 → 事実上の承認とみても間違いないのではないか 
    • 国家承認する気はないが、交渉相手として満洲国を認めてる
(2)-3.満洲国鉄
  • 北満鉄道は国鉄 営業できるのは満鉄だけ 経営については満鉄に委託
    • 1935年に満鉄を買収したことは歴史的意義!!
  • 日露戦争の時からロシアの中東鉄道と日本の満鉄ではレールの幅(ゲージ)が違う
    • ロシアはゲージが広軌(1520?)、日本は狭軌(1067?)、世界的な標準(1435?)。
    • 日露戦争中は狭軌、満鉄は京奉線に合わせて標準、ロシアは広軌
    • 現代での新幹線の広軌は昔の標準 ロシア式広軌ではない

まとめ

  • ソ連は日本に対して宥和的だった(1931年満洲事変、1935年東清鉄道売却)
  • ソ連が1935年に東清鉄道を売却したことから、満洲国を法的には承認していなくとも、その存在は認めていたことが分かる。