雑録

極東蘇聯史007 「日蘇戦in満洲その1〜戦争の全体構造と実際に戦った事例〜」

  • 今回から1945年8月以降をやります
    • 今回は全体の構造と戦った事例 次回は戦ったとは言えない事例
    • 戦ったか戦ってないかはわからない。
    • 現場にいた人達の証言なので、個々のケースを集積しながら見ないといけない 研究で全体像を明らかにした例はない

(1)戦争の特徴

(1)-1.関東軍の対ソ作戦
  • 首都は通化へ。連京線、京図線の東南側(内側)を防衛
    • 溥儀が通化へ行った意味はあんまりなかった。
  • 資料【1】関東軍の自給作戦計画
    • ソ連がきたら移民は諦める
    • 満洲東部山岳地帯(京図線<新京-トモン>)と連京線<新京-大連>の内側における対ソ持久戦の準備が開始される
  • 資料【2】ソ連軍の満洲侵攻
    • 関東軍は戦車・飛行機10分の1以下
    • 人数も移民を根こそぎ動員したもの
(1)-2.居留民来策
  • 資料【3】関東軍在満居留民処理計画
    • 居留民を置き去りにした事例
    • 男性は根こそぎ動員にさせられており、残されたのは女子供老人
    • 大々的に避難するとソ連軍を刺激するので、前々に避難はさせていない
  • 資料【4】関東軍に対する非難
    • 関東軍と満鉄がさっさと逃げた事例
(1)-3.戦闘の概要
  • まずほぼ1週間戦闘が続く
    • 24個師団 主力をもって抗戦したのは6個師団の満洲・北部、一部抗戦が6個師団、残りは全く抗戦せず
    • 戦闘の死者→関東軍70万中の2万数千、一般邦人は155万のうち約3万名 (45年8/9〜8/16,17)
  • 満洲内での抑留でも死ぬし、シベリア行って抑留中にも死ぬ
    • 関東軍の死者数の2万数千人の死者を多いとみるか少ないとみるか 戦闘に参加した人はほぼ死んでいる
    • 一般邦人の死者は3万は1週間ということを考えると多い。実態は分からない。
    • 東南地域は安全 大都市の日本人は安全 死んだのは東満と北満の移民と都市居住者

(2)主要な戦闘

(2)-1 東部国境
  • 資料【5】満洲における日ソ戦〜前方守備部隊〜
    • 結末は「全滅」「後退」「離脱」「脱出」「生還」
  • 他の戦争だと日本軍の離脱はなかなか使わない 
    • 日ソ戦争というのは不思議な戦争で「後退することができる」戦争
    • 全滅するケースがあるので死ぬ事例もあるが、
    • 南方は玉砕が決まったら全員死ぬ 満洲は違う 生き残る可能性があった。
  • 資料【6】第一方面軍主力配備要図
  • 資料【7】満洲東部国境〜武蔵山陣地〜
    • 日本兵からみると生還できるチャンスはあった
    • 戦っている日本軍は最後まで戦っている
    • 一般人は陣地内部の地下に入る
(2)-2 虎頭要塞
  • ウスリー江を挟んで虎頭陣地があった
    • 中猛虎山穹窖(キュウコウ)
    • 虎頭要塞は異常な集団 
      • 無条件降伏せよという命令を無視している。(授業終局部で命令無視ではなく知らなかったのではないか?という話になる)
  • 資料【8】〜【10】
    • 【8】虎頭要塞
    • 【9】虎頭要塞〜断面図〜
    • 【10】虎頭要塞〜8/15〜17〜
    • 【11】虎頭要塞〜8/18〜19〜
    • 【12】虎頭要塞〜8/21〜
  • 8/19まで戦闘が続く
    • 防衛線破られていて、ソ連は進撃していて、そして無条件降伏でているのに、なぜ戦い続けるのが分からない
    • 人数減っているのは隊長にはついていけないと判断したからか?
    • その後21日に脱出に成功し、山岳地帯を35日歩いた1200キロ 
  • ☆ここで「終戦を知らなかった」という資料が出てくる → 授業で扱ってきた無条件降伏命令無視説とはいったい・・・
    • 生存者は脱出し、最後には投降している
    • 戦った期間は長い
  • 虎頭陣地の守備隊員1400名いた 内地に帰還したのは、53名 自分が掌握している仲間 他にも「脱落」がいる
      • 生還者たちが結束を強めている
  • と、いうわけで今回は全体の構造と戦った事例でした。