雑録

極東蘇聯史011 「シベリア抑留」

(1)シベリア抑留とは何か

(1)-1.抑留の概要
  • 主要参考文献
    • 富田武『シベリア抑留者たちの戦後』
    • 長勢了治『シベリア抑留全史』
  • なぜ研究がなかったのか?
    • 1.資料的な問題 ロシア側の文書 そもそも公開されていなかった ロシア語が読めてロシアに行けても無理だった ペレストロイカ以降資料公開が進み研究が促進 
    • 2.90年代以降もロシア語ができる人がロシアにいって研究することはなかった。日本史研究者はロシア語ができない。研究テーマになりにくかった。抑留されたのは日本人ばかりなので体験談が2000冊以上、雑誌掲載はそれ以上。これは思想的な問題であり、抑留関係者の体験記、抑留者の運動には注目しない。日本史研究者はソ連がやった悪いことをテーマにすることじたいが、歴史のテーマとして好ましくないという風潮があった。日本史研究者の側で研究が進まず。抑留体験者のなかで名簿を作ったりした。
  • 上記長勢氏は歴史研究者ではないので、著作物の内容も検討が必要である。
  • 抑留を決定したソ連側の経緯
    • 1945年8月23日 ソ連国家防衛委員会(議長スターリン)決定により日本軍捕虜50万人を選別してソ連領内に移送 
    • 北海道占領がトルーマンに却下され、その代わりに日本軍の捕虜50万人を連れていくことに決めた(という説)がある→富田氏によると史料的裏付けはない
    • ドイツ兵は独ソ戦で捕虜になったが、労働力として働かされていた。⇒ジュネーブ条約違反 人間らしいふるまいを保障し、戦争が終わったら解放しなければならない
  • ソ連がやったことは悪いし、間違っている。
    • 日本の歴史学ではソ連の侵略を看過している。冷戦の時は、防衛戦争の軍事力と言われていた!?意外と日本では信じられていた。ロシアが他国に攻め込んでいくことは想定されていない。
  • 捕虜は兵士 会社員は捕虜になれない シベリア抑留では連れていかれた人のなかに兵士以外の民間人が含まれる。
  • 用語説明
    • 暁に祈る 
      • → 日本人の将校が幅を利かせて一般兵を働かせていた 罰を与えることも 将校が兵を縛り付けて外に放置 朝になったら祈るようなかたちで死んでいた。
    • 吊るし上げ 
      • → 民衆運動でのパターンは、吊るし上げられるのは将校 一般兵士から糾弾されて吊るし上げられ地位を失う さらに民主運動の側からみて思想が正しくない人は吊るし上げられる 社会主義に目覚めるか目覚めないか はじめと後半では様相が変わる 最終的にはまた逆転が起こり 民主運動で弾圧されていた人々が帰りの船の中で逆に吊るし上げられる 
  • 大部分は関東軍兵士、一部は民間人(官僚、社員)、女子を含む。
  • 50年4月までに短期抑留者が帰還、56.12(日ソ共同宣言/日ソ国交が回復)までに長期抑留者が、帰還
  • 抑留者の人数
    • 49年秋『プラウダ』では抑留者59万4000人 
    • →→46年12月には、99万8901人説が登場する(ちがうものを含めてしまっている;樺太在住日本人の24万人、大連在住日本人20万人)。樺太へのソ連軍の指示は、家に帰って普段通りの仕事をせよ。
    • 樺太や大連の日本人は自分の意志では帰れないが、抑留者として含めていいのだろうか?→当該教授は否。
    • 1956年 ソ連側からの発表では60万9448人
    • 富田氏も揺れうごいており、樺太も含めている時がある。
1-2.犠牲者
  • 村山常雄が名簿データベースを作る(ロシアの公表名簿にもとづく)
  • 収容所はソ連全域 蘇連が持ってきた名簿なのでモンゴルは分からないが、モンゴルにも収容所があった。
  • 45年の冬に大量に死んでいる それを乗り越えると、死者数が減る。
  • 年齢別死亡者数では、21歳前後が多い 20代後半は少ないが、また増えていき33歳も死んでいる

(2)労働と生活

(2)-1.生活
  • ロシア語が読める人たちが文献を読んでもわからない 
    • 依拠するのは体験談(※当該教授がこれから科研費で収集する予定)
    • 体験者の価値観が入るので慎重に考える必要がある
  • 収容所の構造が分かる 
    • 入浴(サウナ)
    • 休日
    • 便所 野ざらし(資料10) 建物も建設(資料11)
  • 長勢了治は歴史学者ではないので、資料の使い方恣意的。
  • 衛生
    • 健康診断(3段階の判定)
    • 床屋(日本人の本職)

 

(2)-2.労働
  • 鉄道建設の例
    • ソ連の発破士 ソ連人と共同作業 日本人の労働者に対するノルマは非常に厳しいが・・・一方で蘇連の労働者と一緒に働いているので長時間労働させられないので、日本人もソ連人と同様に8時間労働だった(と予測される)
  • ノルマ…作業ごとに達成量を設定(100%)
    • 達成すると次の作業に移る ex)2日間で250% 100%にならないといけないわけではない 
  • 問題は・・・ノルマが食事量に適用→個人間では変わらず(山本の体験談・淡々と描かれている) 
  • 体験自体は多様だった。