極東蘇聯史012「シベリア抑留(2) シベリア抑留のうち普通ではない事例」

今回のシベリア抑留は、普通じゃない抑留、特殊なケース。
前半は、刑務所に入った人々。彼らは抑留と見て良い。
後半は樺太にとどまった人たち。彼らの場合は抑留に含まないと考えられるのでは?というおはなし。

(1)ハバロフスク監獄(刑務所)

(1)-1.菅原道太郎
  • 『赤い牢獄』(川崎書店、1949) 
    • 日本人やGHQの検閲をくぐり抜けるために、ロシア語の表紙で出した。
  • 菅原道太郎は自分が捕まったのは身に覚えがないといっているが・・・
    • 肩書はちゃんとある→大政翼賛会豊原支部事務局長
    • ソ連は役職についていた人達を政治犯として捕まえている 
    • ロシア語が得意だったので、特別な待遇をされている。→護衛兵と会話。ウォッカ
    • 菅原の観察が非常に鋭い → 独房の様子 抑留の収容所としては良い スペースはかなりある。第一ホテルの安い部屋と同じ。
  • 全体的に菅原の回想はソ連に対して好意的。酷い境遇を強調しない。樺太の刑務所よりマシ。
  • 菅原の体験のなかで特筆すべきこと
    • 菅原、1947年7月11日帰国する。※非常に早い。GHQに採用されて働く。ソ連情報を提供する。
    • 1951、7.20。ソ連代表部のポポフの呼び出しを受ける。ハバロフスクを出る時の約束を覚えていますね!?これから働いてください、ソ連代表部にいる外交官に情報提供。
  • ラストボロフ事件(1950)
    • ソ連代表部に勤めているが亡命してしまう。自分が日本でスパイを使っていたことを暴露。
      • 外務省職員3名、国家公務員法違反 一人は自殺、二人のうち一人は有罪
  • 菅原の記述
(1)-2.山田乙三(関東軍司令官)
  • 『赤い牢獄』面白すぎ
    • 会話がすべて記録されている。
    • 会話をしながらメモをしてないはず。史料引用。論文を使うときには引用できない。
    • リアリティを感じる会話は本人が頭の中で思い浮かべたことを書いている。
    • 自分の罪状が分からなかったと書くが、明らかに権力者サイドにいる側。ロシア側に突きつけられてから、出てくる。
  • なぜこんなに良い待遇なのか
    • →ロシア側にも目的が。日本の対ソ侵略についてしゃべるように。毎日、しゃべるように求められる。
  • 日本大陸政策二関する意見陳述書 陸軍大将山田乙三
    • 日本の対ソ侵略について 調書作成
    • 目次はソ連側が用意
    • なぜか菅原の回想に全く記述なし
    • ソ連側が山田達をとどめ於いてしつこく聞いているのは、731部隊(ハルビン郊外にあった関東軍の一部人体実験をして生物兵器を開発する。山田にしつこく聞いている)

 

(2)ソ連による樺太統治

(2)-1.治安の回復
  • 実証的な研究 
    • 占領後約1ヵ月間の混乱、ソ連軍兵士の略奪、暴行はよく言われる。ロシア側の研究でも指摘されている。
    • 1ヶ月くらいたつと乱暴狼藉はなくなってくる 
(2)-2.日本人とロシア人(ソ連人)の関係
  • 1945,9 南樺太民政局による行政
    • 蘇連からは民間人が移住してきました。
    • 将校が日本人住居に間借り
  • ソ連人が家族ぐるみで移住してくるので学校が必要になってくる 
    • 学校についても回想があります。
    • 小学校…1つの学校を仕切って日本人{日本人教師(研修済み・軍国主義からは転換)}、ソ連人様に使用する
  • 抑留者たちの話だと宮城遥拝は続いている 
    • 社会主義の宣伝は始まるが、日本人のしきたりや教育は徹底されていない。
    • 言語の相違は大きい 個人の思想チェックしようとしてもできない。
  • 民政局のトップは変わるが、統治機構は日本の行政機構を踏襲
  • ソ連では、肉体労働者よりも事務労働者の方が給料高い
  • 役所
    • ソ連人、日本人が共に働き、業務引継ぎ トップ層に人々は捕まる。
  • 給料
    • 日ソ、労働者で同等(平等) 頭脳労働と肉体労働で格差があるが、
  • 外食産業
    • ザクソーチャ(屋台、スタンド)、レストラン
  • 樺太の日本人たちは抑留されたといってよいか?
  • 抑留者の人数で、99万説と60万説がある。
    • だがその差はソ連統治下の大連・樺太の人々を含めるか否か。大連樺太の人々も含めれば99万となり、含めないと60万になる。その差の違い。
  • まとめ
    • 後半で話したのは、樺太の場合を抑留と言ってよいのかというはなし。