- 第一章概要
- 第一章で明らかになった事
以下、参考になったところ抜き書き
- 開戦前時点での勝利条件
- 戦争目的の再定義と「大東亜宣言」(11月6日)
- 海軍の艦隊決戦思想とラバウル確保の理由
- 第一航空戦隊の消耗とタラワ・マキンの守備隊の見殺し
- 「海軍の連合艦隊も、11月5日から、絶対国防圏の圏外にあるブーゲンビル島上空に、第一航空戦隊の母艦機を投入した(「ろ」号作戦)」。〔……〕連合艦隊はマーシャル・ギルバート方面での艦隊決戦に備えて航空母艦の航空兵力を温存していたが、〔……〕第17師団の派遣問題の際に、軍令部が参謀本部に対し、交渉の切り札として第一航空戦隊の母艦機の投入を提示していたという経緯があった。軍令部に勤務していた弟宮の高松宮は「之デ如何ニヨク見テモ明年二月マデハ整備訓練ヲナシ得ザルベシ。カクテ南東方面デ徒ラ二飛行機ヲスリツブシテシマウコトニナル」と貴重な母艦機の消耗を憂慮していた。不幸にも高松宮の予感は的中する。このブーゲンビル島沖航空戦の失敗は、日本海軍の機動部隊を一時的に無力化した。11月21日、米海軍がギルバート諸島のタラワ・マキンに侵攻した際、日本海軍は母艦機の不足を理由に艦隊決戦をすることができず、タラワ・マキンの守備隊を見殺しにするほかなかったのである。」(23頁)
- 第二航空戦隊の消耗とマーシャル諸島見殺し
- 「1944年1月21日、連合艦隊は、マーシャル方面での艦隊決戦に備えて温存していた第二航空戦隊をラバウル方面に投入する。〔……〕ブーゲンビル島沖航空戦で第一航空戦隊を消耗し、第二航空戦隊もラバウルに投入したことで、マーシャル方面での艦隊決戦は不可能となった。1月24日、連合艦隊は、主力艦隊をトラックから後退させることを決意した。1月30日、米機動部隊は、マーシャル諸島に来襲した。軍令部と連合艦隊は、反撃するための母艦航空兵力をもはや持たなかったため、マーシャル諸島の守備隊を見殺しにするしかなかった。昭和天皇はこの方針に不満であった。昭和天皇から永野総長に対し、「「マーシャル」ハ日本ノ領土ナレバ之ヲトラレテホツテオクコトハ如何」と「オ叱リ」があった。」(30-31頁)
- 昭和天皇の政治介入1 航空機配分問題論争
- 「航空機の配分問題論争に重要な役割を果たしたのは昭和天皇であった。〔……〕昭和天皇は対外的な影響を理由に、内閣更迭を回避するよう要求したのであった。この発言が、海軍首脳部の東条に対する態度に決定的な影響を与える。海軍側は内閣不一致による内閣総辞職を避けなかければならず、それは東条首相件陸相に妥協せざるを得ないことを意味した。前日までの陸軍と海軍の主張は完全に釣り合っていたが、昭和天皇が政治決定の枠組みを決めたことで、両者のバランスは微妙に変化した。〔……〕その結論は、航空機の原料である21万5000トンのアルミニウムを陸海軍で均等に分配し、陸軍から海軍にわずか3500トンのアルミニウムを譲るというものであった。その結果、大型機の多い海軍機の機数(2万5130機)は、陸軍機の機数(2万7120機)を下回ったのである。つまり、陸軍機が海軍機を上回ったのである。この数字は太平洋上で苦戦している連合艦隊や前線の海軍将兵にとっては、到底受け入れられるものではなかった。」(34-35頁)
- トラック基地壊滅