「あの日のポケモン緑 1996夏〜1997夏」

 1996年2月27日、初代ポケモン(赤・緑)が発売されると、じわじわと子どもたちの間に広がっていき、ついには大流行を巻き起こした。97年春にはポケスペやアニポケなどのメディアミックス展開も起こり、5月には第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97のルールが公表された。当時の小学生たちは、テレビ東京の番組「64マリオスタジアム」に出場しようと息巻き、こぞって腕を磨き、闘志をもやしたのである。

これは、とある田舎でのポケモンをめぐる1996年夏〜1997年夏の小話である。

【年表】

※「第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97」を小6最後の思い出とする話の都合上、主人公の年齢設定は1985年度生まれにしました。

  • 1996.2.27 小4の3学期 ポケモン赤・緑が発売される(税込み4017円)
  • 1996.4 主人公、小5に進級する。
  • 1996 夏 主人公、ポケモン緑を購入する inイトーヨーカドー
  • 1996.10.15 ポケモン青が発売(小学館の雑誌の通信販売。3000円)。幼馴染Aが購入する。
  • 1996.冬 カルタ大会 幼馴染Bがカルタ大会の賞金でポケモン赤を買う。
  • 1997.4 主人公、小6に進級する ポケスペ・アニポケが始まる。
  • 1997.5 マリオスタジアム 第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97ルール公表
  • 1997.8.14〜15 ニンテンドウカップ97 地元ゲーム屋大会 この小話の最終回。
  • (1997.8.29〜 ニンテンドウカップ97 地区予選始まる)
  • (1997.11.23 ニンテンドウカップ97 全国大会)
  • (1997.12.16 ポリゴンショック アニポケポリゴン回で光過敏性発作が起きる)

【登場人物紹介】

  • (1)主人公 一人称「私」。習い事漬けにされている。日々の鬱憤を晴らすためポケモン緑に興じる。
  • (2)ねーさん 近所の1歳上。ポケモン赤を持っていたため、私(主人公)に緑を買わせる。
  • (3)幼馴染A ねーさんの1歳下の妹。現実派クール。ヴェールヌイ系ヒロイン。ポケモン青を買う。
  • (4)幼馴染B カルタ大会でチームメイトとなる。ネガティブ。もりくぼ系ヒロイン。ポケモン赤を買う。

【目次】

  • (2)1996 冬 かるた大会の賞金で幼馴染Bがポケモン赤を買う。
    • (2)-1.カルタ大会の練習会場でもポケモンは大流行
    • (2)-2.新キャラ登場 幼馴染B
    • (2)-3.幼馴染Bがポケモンに興味を持ったようです。
    • (2)-4.カルタ大会の結果
  • (3)1997.春 メディアミックス展開とニンテンドウカップ97開催のお知らせ
    • (3)-1. 1997.4 小6に進級 田舎の学校教育について
    • (3)-2.1997.4 アニポケとポケスペの開始
    • (3)-3.1997.5 第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97 公式ルール発表
    • (3)-4.圧倒的ケンタロスLv.55
    • (3)-5.修行回 その1 モリ子との修行 戦略・戦術のはなし
    • (3)-6.修行回 その2 ねーさんとの修行 努力値とかの話
  • (4)1997.夏 ニンテンドウカップ97地元ゲーム屋大会開催
    • (4)-1.地区予選の抽選に外れた子どもたち
    • (4)-2.最後の戦い
    • (4)-3.終幕

(1)1996 夏 ポケモン緑を買いにイトーヨーカドーへ行く。

(1)-1.初代ポケモンの発売

 1996年2月末、小学校4年生が終わる時に初代ポケモン(赤・緑)が発売された。当時のCMではフリフリミニスカニーソのへんなお姉さんが「あたくしのポケットモンスターと勝負しない?」と言い出し「あ〜ん!!」と喘ぎ声を出す内容で、得も言われぬ感情を小学生ながらにして抱いたものであった。そして、CM末尾のキャッチフレーズ「モンスター全部で151種類、赤を買うか?緑を買うか?ちょっと違うヨ!」の言い回しが流行った。ポケモンはそのあと、じわじわとブームになり、私の地元では96年小5の夏にはポケモンの話題でもちきりであった。

(1)-2.ゲームボーイ復権

「オメェー、ポケモン持ってねぇの?」

駄菓子屋でゲームボーイに興じる同級生のスズキが唐突に聞いてきた。当時、私は習い事漬けにされており、この時もスイミングに行くバスを待っている途中だった。

「ゲーム?最近やってねぇなぁ。やる暇がねぇ。去年の年末に買ったドラクエ6(95.12.9)も結局デュラン倒せなくてそのままさ。サターン(94.11.22)やプレステ(94.12.3)は買ってすらいねぇ。」

「今、ゲームボーイが熱いんだ。ゲームボーイは持ってたろ?」

「今更ゲームボーイ?小1の時に初代カービー(92.4.27)やマリオ6つの金貨(92.10.21)をやるのに買ったな。最後に買ったゲームボーイのソフトは小4になる前の春休みに買ったカービー2(95.3.21)かな。」

ポケモン買えよ。ポケモン。マジ大ブームだぜ。これからもっと流行るぜ。」

(1)-3.ポケモンのプレイを見せてもらい、購入する決意をする。

 この時のスズキの言葉は現実となり、どこへ行ってもポケモンの話ばかり。一体どんなゲームなのか?気になって仕方がない。私たちの地元では学校に行くときに、登校班というものがあり、集団で学校に行くのだが、そこで小6のねーさんがポケモンを持っていることが判明した。

「ねーさん。ポケモン持ってるの?どんなゲーム?やらして?」

「まぁ聞きなさい。あなたはドラクエやるぐらいだからRPGがどんなゲームか知ってるでしょ?セーブデータあるから貸し借りするようなものじゃないの。しかもポケモンはセーブが1個しかできないし、育てるゲームだから、他人にやらせられないのよ」

「ふーん。そっかぁ、確かにドラクエ冒険の書が消えた時はショックだわな。」

「じゃあ、どんなゲームか見してあげる。それで気に入ったら買いなさいな。緑を買いなさい、緑を。私、赤だから。」

「えー、赤がいいんだけど。リザードン、カッコいいし。」


 で、放課後。ねーさんに連れられて、家に上がり込む。ねーさんには1個下の妹がいる。つまり私と同級生、通称ヴェル子である。

「ただいま〜」「お邪魔します」

「お帰り&いらっしゃい」

「ちっす、ヴェル子。ポケモンを見せてもらいにきた」

「話には聞いているわ。こっちよ。」

「じゃあ、私はポケモンのソフト取ってくるね」

案内されて居間に行くとスーファミスーパーゲームボーイが用意されていた。


 ヴェル子と私は、ねーさんを挟んでソファに座り、ポケモンのプレイに熱中した。当時は横から他人のプレイを眺めるという行為も一種の娯楽となっており、駄菓子屋ゲーセンではカネ持ってないガキどもがギャラリーとして上手いにーちゃんのスーパープレイをよく見たものであった。ねーさんが軽快にポケモンを駆使して相手のトレーナーを倒したり、野生のポケモンを捕まえて図鑑が増えていったりする様子は実に面白く、ついには私もポケモンの購入を決めたのであった。


 当時、定額の小遣いをもらっていなかった私は、「○○を買うから金をくれ」という自己申告方式だった。しかし親にはなかなかゲームを買ってくれと言い出すことができなかった。私は習い事に行く時に貰える駄菓子を買うカネ100円をケチってコツコツと貯めていたのだが、その貯金を崩してポケモン代4017円を用意した。

(1)-4.ポケモンを買いに行く

【夏休み】
「じゃあ、買いに行きましょう。ポケモン緑を。」

 ねーさんは意気込んでこう言った。後に知ることになるのだが、皆さんもご存じの通り、ポケモンは単体では図鑑が完成しない。当時は女の子がゲームをするのは珍しく、特にRPG人口は少なかったので、ねーさんは私にポケモン緑を買わせたかったのである。


「悪いわねー。○○ちゃん。夏祭りに連れて行ってもらっちゃって。」

 うちの母のセリフである。ポケモン代4017円を出せても電車賃が捻出できなかった私は、夏祭りにかこつけて電車賃と小遣い1000円をせしめたのである。

「いえいえー。ついでですから。うちも下の子を連れていきますし」


 そんなわけで、ねーさんに連れられ、ヴェル子ともどもイトーヨーカドーに行ったのである。ちなみにイトーヨーカドーにはポケモン緑しかなく、結局ポケモン緑を買うことになった。夏祭り代としてせしめた1000円は、ねーさんとカネを出し合って買った通信ケーブル代となった。こうして私はポケモン緑に熱中し、ねーさんとポケモンを交換したり対戦したりして腕を磨いた。

(1)-5.幼馴染A ポケモン青を雑誌通販する

 習い事漬けにされていた私だが、スイミングと学習塾はヴェル子も同じ場所に通っていた。従来スイミングはヴェル子と曜日が違かったのだが、この時期私はさらに英語塾にもぶちこまれスイミングの曜日を変更することになったので、ヴェル子と同じ曜日になったのである。マイクロバスは渋滞にはまると1時間以上かかることもあり、バスに揺られながら暇つぶしにポケモンしていた。ヴェル子は隣に座って横からポケモンを見ていた。


こうして習い事漬けにされていた私は日々の鬱憤をポケモンで晴らしていたのであった。


 1996年10月、ポケモン青が通信販売で発売された。小学館の学年別学習雑誌やコロコロコミックの限定通販であった。私はポケモン緑をかったばかりだったので、そんなカネはない。この時に、私も買うと言い出したのが、ヴェル子であった。ヴェル子は私やねーさんのポケモンプレイに触発され、ポケモン青の購入を決めたようだ。ポケモン初代では、「64マリオスタジアム」でポケモンバトルが放映されるようになってからケンタロスが強キャラとして有名になるのだが、その捕獲はとても困難だった。だがポケモン青ではゲーム内トレーナーがペルシアンケンタロスを交換してくれたので、ケンタロスが手に入ったのである。こうしてねーさんも私もヴェル子のおかげでポケモン図鑑150匹を完成することができた。

(2)1996 冬 かるた大会の賞金で幼馴染Bがポケモン赤を買う。

(2)-1.カルタ大会の練習会場でもポケモンは大流行

 私たちの地元では、冬に郷土カルタ大会が開催される。町内大会を勝ち抜くと地区大会に出られ、市大会、県大会と続いていく。地元の子ども会は郷土カルタに熱心であり、小学生たちはこぞって参戦していた。三人一組でチームとなり、3対3で戦うのである。町内大会では優勝チームに1人1000円分の図書券とお菓子が与えられた。毎晩、町内の会議所では子どもたちが集められた。夕食を食べた後にほとんど外出しない子どもたちにとって、夜更かししながらする特訓は日常とは異なる興奮を催し、気分を高揚させたのである。

(2)-2.新キャラ登場 幼馴染B

「うぇ〜い。コイツ女なんかと組んでやがるぜ!」
カップルぅ〜 カップルぅ〜 」
やいのやいの。
そう、小学生とは無常なものであり、異性といると囃し立てるものである。今でもこれがプチトラウマになっている。
「・・・私といるとからかわれちゃうから、男の子のグループと組んでいいよ」
ヴェル子はそうは言ってはくれたが、すでにチームは組まれてしまった。万事休す。そして他にもはじきだされる人がいる。それが同級生B、ネガティブ系女子のモリ子であった。こうして寄せ集め戦隊アマリーズが結成された。

(2)-3.幼馴染Bがポケモンに興味を持ったようです。

 カルタの練習会場でもポケモンの勢いはとどまることをしらず、子どもたちは皆、会議所にゲームボーイを持ってきていた。こうして練習が始まる前と終わった後に交換や対戦を楽しむのである。

 私も無論ゲームボーイをもっていき、男子たちと対戦に興じていたわけだが、意外にもモリ子はポケモンに興味を示したのである。そこを見逃さなかったのが、女子ポケモン人口増加を望むヴェル子であり、早速モリ子を家に呼びポケモンを布教することとなった。

 モリ子はゲームを持っていなかったので暇を見つけては本屋でポケモンの攻略本を立ち読みしに行ったらしい。瞬く間にポケモンの知識を身に付けていき、とうとう、自分もポケモンが欲しいと言い出した。しかし、カネはない。どうする?そこでかるた大会で優勝し、その図書券を手に入れることを考えた。ヴェル子のねーさんが来年の中学進学に備えて参考書を買うようにカネをもらっていたので、そのカネと図書券を交換してくれることになったのであった。

(2)-4.カルタ大会の結果

 熱心にカルタの練習をしたため町内大会で優勝、1000円ずつ図書券をゲット。次いで地区予選では準優勝。市大会には進めなかったものの、ここでも1000円ずつ図書券をゲットした。こうしてモリ子は図書券2000円を手に入れ、私とヴェル子が図書券1000円ずつカンパしてやり、ヴェル子のねーさんがそれを現金と交換、モリ子は4000円を手にしたのである。私たちは、ヴェル子のねーさんに連れられてイトーヨーカドーポケモンを買いに行った。私が緑、ヴェル子が青だったので、モリ子は赤を買った。ちなみに町内大会の決勝は1枚差の勝利であり、私が「世のちり洗う四万温泉」の札を取ったから勝利できた。しかし当時、男子の中では四万温泉の札はエロ札(裸の母娘?の絵札)であり、私がからかわれたのはいうまでもない。(またもやプチトラウマである。)

(3)1997.春 メディアミックス展開とニンテンドウカップ97開催のお知らせ

(3)-1. 1997.4 小6に進級 田舎の学校教育について

 東京の子どもたちは小学校高学年になったら中学受験の為の準備をするらしい。だが、田舎では大多数が公立中学に進む。私立中学じたい数が少ないし、中学で私立に行くのはイジメなどで公立に適応できない子どもばかりとされていたし、実際にそうだった。

 ちなみに田舎の進学事情を紹介しておくと、高校も公立優位であり、私立高校には公立高校に落ちたやつが行くという感じである。大学受験も国立至上主義であり、トップ層は旧帝一工を目指し、堅実派・地元派は地元駅弁を受けるという流れであった。早慶上理は旧帝落ちた奴らが、マーチや地方国立はそれ以下が行くんだろ?って社会的雰囲気だった。

 そんな空気の中で育っていたので、小学館の学年別学習雑誌で中学受験をテーマにした漫画が連載された時には、東京の学校の子どもたちは大変だなぁとカルチャーショックを受けたものである。

 その後、私は東京のマーチ大学付属中高一貫校で専任教諭になるのだが、マーチにも関わらず、教員や子どもたちが自分たちのことを頭良いとか誇っており狼狽したものである。(塾・予備校業界ではG-MARCHって旧帝や早慶落ちた人が行くっていう扱いなので、決して悪い大学ではないけれど、自分たちのことを頭良いとか自賛してしまうのは傲慢な学校だなぁと思った)。・・・小学校の時に体験的活動をせず勉強漬けにされ、とてつもなく高い学費払うにもかかわらず、碌な受験学力を身につけることもできず、プライドばかり高くなり、しかも出口は結局マーチってどうなのでしょうね?価値観はひとそれぞれ!!

 私自身はどこの大学に行くかより、どんな問題意識を持っていて、何の研究をしているかの方が重要であると思っている。そのため、人事に駆り出されて採用試験のを面接を担当させられる時も、「何の研究をしていて、どんな意義があり、それはどのようにして教育に活かせるのか」を重視しており、必ず聞くようにしている。お馴染みのパターン質問「大学生活で何に打ち込みましたか?」の項目で、研究以外(サークル部活バイトボランティア)を挙げた学生を、私はあまり評価していない。ごめんなさいね。いや、逆にそういうのを評価する企業もあるので、それはそれでいいんじゃない?

(3)-2.1997.4 アニポケとポケスペの開始

 初代ポケモンが発売されて1年以上が経過し、私の地域ではポケモン熱は落ち着いていた。スクールカースト上位層はプレステをしていたみたいだし、私は小6になってからさらに習い事漬けにされた結果、稽古のおさらいすらこなせなくなり、人生に倦んで死にたくなっていたのである。大体16時に学校が終わった後、月曜:スイミング、火曜:少年サッカー、水曜:英語塾、木曜:ピアノと塾、金曜:習字と塾、土日:少年サッカーとウンザリしていたのであった。今でも小6にだけは戻りたくない。そんなわけで私はほぼポケモンからは遠ざかっていた。ヴェル子のねーさんも中学に進学した後、とても忙しそうであり、次第に疎遠になっていった。

 だが、1997年4月には、アニポケとポケスペが開始されたのである。メディアミックスの力は強く、今までポケモンをやっていなかった層にまでポケモンは浸透していった。私は習い事で視聴できなかったが、モリ子が毎週ビデオに録画していたので、見せてもらっていた。次回予告でサトシが「みんなもポケモンゲットだぜ!」と言うのを聞くたびに、ポケモン熱が沸々と再び燃え上がり始めていた。アニポケはアニメオリジナル展開も多かったのだが、「アオプルコの休日」という放送回でカスミが髪を下ろして浴衣を着るシーンにドキドキしたことを覚えている。

 そしてポケスペ。これもポケモン熱を再沸騰させるのに一役買った。こちらも独自解釈に基づくオリジナルストーリーなのだが、序盤では人とポケモンの関係を描いていたり、レッドのバトルにワクワクしたり、レッドが精神的成長を見せたりしていたので、熱中して読んだのである。レッドがニョロゾ使うんだぜ!?ニョロゾがここまで注目を浴びたことがかつてあっただろうか!?大抵かませ扱いで一撃退場となるニョロゾさんですが、VSオニドリルではドリルくちばしで貫かれたと思ったら影分身しており、冷凍ビームで凍らせるとか激熱の転回でした。界隈でニョロゾユーザーが増えたのは言うまでもない。あとポケスペのヒロインについては、小6の時点でてきたカスミやブルーよりも、後からでてきたイエロー派です。レイエ。引っ込み思案でも頑張るイエローが可愛い。

(3)-3.1997.5 第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97 公式ルール発表

 1997年のポケモン熱を盛り上げたのは、アニポケとポケスペだけではなかった。それが第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97開催のお知らせである。今までポケモンの対戦には明確なルールがなくレベルを上げて蹂躙するだけであった。だがルールができたことによって、戦略性が重視されるようになり、大いに対戦が盛り上がったのである。そしてテレビ東京でもポケモン対戦が放映されるようになり、全国の小学生はその場に立つため、ポケモンの育成を始めた。

 こうして一度はポケモンから離れていた私だったが、再びゲームボーイを手に取ったのである。


 ニンテンドウカップ97のルールは以下の通り。
 ・6体の手持ちを見せ合い3体選出する3対3のバトル。
 ・1体のポケモンのレベルは50〜55、3体のレベル合計は150〜155。
 ・ミュウとミュウツー以外の149体から選び、重複は無し。
 ・他にも細かいルールがあったが、とりあえずこれ押さえればOK。


 テレ東の番組「64マリオスタジアム」にポケモン対戦で出場したい。こう思った小学生は多いのではないだろうか。私もテレ東に出る熱意を燃やし、修行を開始。ヴェル子のねーさんのソフトに今まで育てたポケモンを預け、2周目をスタートした。だが幼馴染A:ヴェル子は研鑽を積んでおり、私はその足元にも及ばなくなっていた。最初に私が育てた手持ちは、伝説の鳥3匹(サンダー・ファイヤー・フリーザー)にカイリューギャラドスカメックスであった。

(3)-4.圧倒的ケンタロスLv.55

 ヴェル子の家に遊びに行き、私・ヴェル子・モリ子でニンテンドウカップ97のルールを研究することとなった。モリ子は対戦を好まないため、私とヴェル子の勝負である。私が選出したのは、カイリューフリーザー・カメックスである。

てん、て、てん、て、てんてん!ヴェル子が勝負をしかけてきた。ヴェル子の1体目はケンタロスこと「ぎゅうた」。64マリオスタジアムのテレビ放映で脚光を浴びるまでは、ほとんど使用者がおらずマイナーポケモンとして認識されていた。私も高をくくっていた。


カイリューVSケンタロス
 私のカイリューの技構成は、10万ボルト・冷凍ビーム・大文字・破壊光線。いけカイリュー破壊光線だ!カイリューと言ったら破壊光線。しかし先に動いたのはケンタロス。ふぶき。えー、ケンタロスってふぶき使えんのかよ!?驚きであった。ドラゴン・飛行のカイリューには4倍ダメージ、しかも急所、氷漬けにもなりやがった・・・。こうして私のカイリューは1歩も動けず屠られたのであった。
 初代ポケモンは威力や命中率、物理技か特殊技かが明らかになっておらず、追加効果の発生率も謎であった。後に判明したところ、初代のふぶきは威力120の命中90で氷発生率が3割であった。しかも一度氷にされるとこちらからは溶かすことができず、相手の黒い霧か炎技を待つしかなかったのである。ふぶきはそれほど恐ろしい技だったのだ。


フリーザーVSケンタロス
 カイリューが一瞬で屠られ動揺する私が2体目として繰り出したのが、フリーザー。技構成は、冷凍ビーム・ふぶき・空を飛ぶ・バブル光線であった。いけ、フリーザー、ふぶき。しかしこれまた先制してきたのはケンタロス。10万ボルトを放ってきて、効果はバツグンの上、運悪く麻痺効果までついてしまった。そしてフリーザー麻痺で動けず。次のターンはケンタロスの破壊光線が急所に突き刺さり、フリーザーは沈んだ。そんな馬鹿な。
 ポケモン初代の急所発生率はすばやさに依存していたので、速ければ速いほど急所に刺さるのであった。種族値努力値も知らない当時の小学生には酷な状況。しかも初代の破壊光線は外れたり、相手を倒したりした時には反動を受けずに次ターンも行動できるのだ。故に、トドメを刺すときに破壊光線がよく使われていた。


カメックスVSケンタロス
 カメックスは私が最初に選んだポケモンで思い入れが深い。当時のユーザーには強ポケではなく愛着ポケモンとして最初の三匹をパーティーに入れている人が多かったのである。しかしそんなポケモンが鍛え上げられたケンタロスに勝てるわけもなかった。
 カメックスの技構成は、のしかかり・波乗り・冷凍ビーム・ハイドロポンプ。勿論ハイドロポンプだろ!いけっ。しかし当たらん・・・。そうこうしてるうちに10万ボルトでカメックスも駆逐されたのであった。マジかよ、1体も倒せず、ケンタロスに3縦を食らうなんて・・・。ケンタロスまじ強すぎ。この時のヴェル子の手持ちは、ケンタロス・サンダース・カビゴンダグトリオフーディン・ゲンガーであった。
 先に始めたというちんけなプライドもあり、思わず涙ぐむ私。むしろ、この時、勝ち誇られた方が「クヤピ〜!」で済んだのであろうが、ヴェル子は何か申し訳なさそうな表情を浮かべるばかり。それが無性に情けなく感じさせるのであった。私は、雪辱を誓った。

(3)-5.修行回 その1 モリ子との修行 戦略・戦術のはなし

 まず、私はモリ子に修行をつけてもらうことにした。モリ子はポケモンの攻略本を立ち読みして片っ端から読破しているので、知識量がものすごいのであった。

ケンタロスってあんなに強かったんだなぁ。ぎゅうた・・・」

ケンタロス対策をするには、まず戦略や手持ち、技構成を見直した方がいいかもね」

「具体的にはどうするの?」

「方法はいくつかあるわよ。ガチでケンタロス対決をしてもいいけど、ラッキー、スターミーの小さくなるプレイで粘るとか、あとはどくどく。ルージュラの悪魔のキッスやマルマインの電磁波・嫌な音・大爆発とかね。」

「ただ殴ってるだけじゃ勝てないんだね。」

「ここにマリオスタジアムを録画したビデオがあるわ。他人のプレイを見て、戦略を練り直しましょう!」

・・・

「すばやさが正義。サイコキネシスとふぶき強すぎ。フーディンを倒すには防御が紙だから物理攻撃でゴリ押し。カイリューはふぶき4倍で落ちる。ギャラドスは電気4倍で落ちる。状態異常恐ろしい、眠り・麻痺・どくどく。回避技・回復技・削り技も効果あるね」

ポケモンって、奥が深いでしょ?」

(3)-6.修行回 その2 ねーさんとの修行 努力値とかの話

 その後、ヴェル子とは何度対戦しても勝てなかった。ヴェル子のポケモンのステータスを見せてもらったが、同じレベルのポケモンを使っていてもヴェル子の方が能力が高いのである。なんで!?こちらもケンタロスLv.55を育ててみたが、なぜかヴェル子のケンタロスの方が強かった。なんだか釈然としない。

 そこでヴェル子のねーさんに相談することにした。ねーさんは中1になっていたが、いまだにポケモンを触っているようであった。

「レベルが同じでも能力値が全然違う?あー、それはレベル上げをするときに、経験値の低いポケモンをたくさん倒しているからだわ」

「??どういうこと。フツー、レベル上げって経験値たくさん持っているポケモンを倒すんじゃないの?ミュウツーの洞窟とか四天王とか」

「これは勝てないわけだわ。ポケモンはたくさん戦闘をこなした方が、能力値が高くなるのよ。」

「な、なんだってー!!じゃあ、高レベルの経験値たくさんのポケモンを狩るのは全くの逆効果じゃないか!!」

「そう、だから雑魚ポケをたくさん倒しまくるの。よくある修行法はニドラン1000匹とか」

「とてもじゃないけど倒しきれない。そんなんじゃ6匹も育てられないよ」

「だからできる限りでいいのよ。そうしないと廃人になってしまうわ。妥協点を見つけるの。あと6匹育成するのは難しいから、3体厳選して、あとは対戦前の見せポケにした方がいいわよ」

こうして、修行が始まった!!

(4)1997.夏 ニンテンドウカップ97地元ゲーム屋大会開催

(4)-1.地区予選の抽選に外れた子どもたち

 第1回ポケモンリーグ ニンテンドウカップ97は、『コロコロコミック』のハガキで申込み、抽選に当たった人が地区大会に参加できる。私とヴェル子は申し込んだものの、当るわけがなかった(この時初めてコロコロを買った)。当時、そういった子どもたちはたくさんおり、それに目を付けた地元のゲーム屋「わん●く小僧」が独自にニンテンドウカップ97を開いたのであった。「わん●く小僧」は隣の学区の盛り場にあったため、子どもが行くのを禁じられていたが、誰もそんなことは守っていなかった。むろん、クラスメイトたちはほぼ全員参加するような勢いであり、夏休みのお盆中、2日間に渡って開催されることになった。予選ブロック、本選共にトーナメント方式であった。

(4)-2.最後の戦い

 1997年8月14日(木)、私とヴェル子は順調に勝ち進んだ。そして翌15日(金)、決勝トーナメントの第1回戦で、私とヴェル子は対決することになったのである。

「ヴェル子よ。今まで1回も勝ったことがないが、今日こそは勝つ。」

「今思えば、いろいろとあったわよね。ポケモン目当てにうちのねーさんのところに遊びに来り。スイミングのバスで一緒にやったり。私もポケモン青を買ったり。モリ子とも友達になったり。カルタ大会で奮闘したり。」

「今こそ、努力の成果を見せる時じゃあ!!」


手持ちは以下の通り。
私:ラッキー、スターミー、ルージュラカビゴンマルマインケンタロス
ヴェル子:ケンタロス、サンダース、カビゴンダグトリオフーディン、ゲンガー


てん、て、てんて、てー、てん。ヴェル子が勝負を仕掛けてきた!


【ラッキー(55)VSケンタロス(55)】
 ヴェル子のケンタロスはレベル55。これにどう対処するかで流れが変わる。ラッキー戦術でいくぞ!ラッキーは特殊とHPが高いが、防御は紙だ。物理技を打ってくるに違いない(※初代は物理技か特殊技かはタイプによって振り分けられており、ノーマルタイプは全て物理技だった。つまりは破壊光線が物理技だったのだ!)。急所に破壊光線が刺されば一撃で死ぬ可能性もある。ならばそれを利用するまで!
相手のケンタロスの破壊光線!
 ほらきた破壊光線。耐えろ、ラッキー。よし、よく耐えたラッキー。行け、食らえ、カウンター!!くたばれケンタロス
 それが、はじめてケンタロスを倒した瞬間であった。


【ラッキー(55)VSサンダース(50)】
 相手はサンダース。こちらは続いてラッキー。ラッキーといえば小さくなる。そしてタマゴ産み。回避率上げてHP回復すれば、まだ戦える!技構成はふぶき・小さくなる・カウンター・タマゴ産みである。しかしここでサンダースの電磁波でラッキーは麻痺。ラッキーは動けず。次ターンに10万ボルトを耐えて小さくなるも、何故か小さくなってるのに次ターンで10万ボルトが当りラッキーは沈んだ。


ルージュラ(50)VSサンダース(50)】
 ルージュラといえば悪魔のキッスを起点に眠らせてサイコキネシスかふぶき。いけ、まさこ。お前の力を見せてやれ!ポケモン赤・緑では野生のルージュラがでてこないため、ゲーム内トレーナーとの交換で手に入れるしかなく、ニックネームがまさこなのである。サンダースに先制10万ボルトを打たれ追加効果で麻痺したが、ルージュラ悪魔のキッスが刺さってサンダースは眠り。運よくサンダースは眠り続けサイコキネシスで倒した。


ルージュラ(50・麻痺)VSカビゴン(50)】
 はじめてヴェル子の3体目を引きずり出したぞ。相手はカビゴンか。どんなカビゴンなんだろ?ええい、とりあえず1発目は悪魔のキッスだ。ここで麻痺発動動けず。カビゴンは破壊光線。サンダースの10万ボルトを受けていたこともあり、ルージュラは倒れた。


【スターミー(50)VSカビゴン(50)】
 ついにお互い3匹目同士。こちらはスターミー。技構成はサイコキネシス・ふぶき・自己再生・小さくなるである。長期戦をねらいつつ、ふぶきで凍らせるという寸法さ。
 いけ、スターミー。小さくなる!相手のカビゴンはここで、どくどく!どくどくはターン数を重ねるたびに毒のダメージが大きくなる技で長期戦潰しに使われていた。交換すればどくどくは普通の毒になり毎ターン16分の1で済むが、もう控えはいない。つーか、なんで小さくなってんのにあたるんじゃい。あとはもう、こちらのふぶきで相手のカビゴンを凍らせるしか方法がない。しかし、なかなか凍らないまま、カビゴンは3回「ど忘れ」を積んできた。初代ポケモンは特殊が特殊攻撃と特殊防御に分れていなかったため、両方2段階上がるというチートっぽい技だったのだ。さらにカビゴンは「ねむる」を使う。ステータス異常は重複できないため、自ら眠れば凍らされることはないというクレバーな戦術であった。こちらのスターミーが打撃技を持っていないことを見越しての戦略でもあった。こちらのスターミーも小さくなる を3回積んで、カビゴンの破壊光線をそらし続けながら自己再生で粘ったが、ターン数を重ねてどくどくで減る量も半端なくなったところに、とうとう破壊光線が刺さって敗北したのであった。

(4)-3.終幕

ケンタロスがやられた時は動揺したわ」

ヴェル子の第一声がこれだった。実にこれまでヴェル子はケンタロス55の1体でほぼ勝ち上がってきたのだった。

運ゲー。あんなに努力したのに勝てないんだなぁ。けど、次は負けないよ」

 しかし、私たちに、次などなかったのである。突如、学校でもスゲー怖くて怒鳴り散らしながら体罰を行うことで有名な先公がゲームショップに乗り込んできたのである。ゲームショップはパニックに陥り、雲の子を散らすように子どもたちは逃げ出したのである。私もモリ子をチャリの荷台に乗せ、ヴェル子とともに逃走を図った。


 夏休み明けの始業式、私たちを待っていたのは公開処刑だった。決勝トーナメントまで進んでいた私とヴェル子は名前がバレており、全校生徒の前で説教を食らったのである。


 もちろん、家庭にも連絡が行った。私の家は旧くて割と厳格な封建的なイエだったので、父親に殴られるわ怒られるわ散々であった。そして目の前でゲームボーイは破壊されてしまい、ヴェル子の家に遊びに行くのも禁止されてしまった。

 ヴェル子やモリ子も家で相当怒られたらしい。私たちは、顔を合わせれば挨拶ぐらいはするが、それ以来、一緒にポケモンをすることはなかった。中学では一度も同じクラスにならなかったこともあり(小学校の指導要録と調査書に一緒にするなと書かれていたらしい)、疎遠になってしまった。

 こうして、私のゲーム人生は、いったん、ポケモンで幕を閉じることになった。


 儚い、夏の想い出である。(了)