演習で報告してきた。
- 原敬と「公利」とは何か
- 演習Cでは伊藤之雄の『原敬』を読んでいるが、これは「公利」の視座から原を再評価するものである。しかし、「公利」の定義がされていないため、何をもってして、「公利」というのかについて議論となる。伊藤氏の文脈から類推するに、原敬は反封建・身分差別反対・女性差別反対・民族差別反対・格差社会反対という側面を持っていたことが「公利」だとうかがえる。しかし、原敬が想定している国民とは、あくまでも単なる庶民・大衆ではなくて成熟した国民、いわゆるシティズンシップを持つ市民なのである。だからこそ、原敬は産業資本家/ブルジョワを重視し、彼らが政治参加することを唱えている。この成熟した国民による政治という考えは原敬特有のものではなく当時の人々の一般的な認識であり、山県有朋なども同様だったという。
- 原敬と身分差別反対について
- 原敬は家老職の家系の士族層であったが、分家した際に身分を「商」とした。このことを伊藤氏は反封建思想と産業資本家の政治参加から説明する。しかし、原敬は海軍兵学寮・海軍兵学校と2回海軍の試験に落ちており、フランス人の学僕の状態で盛岡へ戻った時に身分を「商」としたのである。もし仮に、海軍の試験に受かっていたら、身分を「商」としたかどうかという話が出た。東北出身の人間は海軍を目指したという。なぜなら、陸軍は戊辰戦争で自らを倒した存在であるため、海軍を選んだのである。故に、海軍を目指すというのは典型的な東北人の人生ルートであり、これに乗れなかったからこそ、原はブルジョワ政治参加の方向に走らざるを得ず、身分を「商」としたのではないかという議論になった。