コンテンツは地域振興のとっかかりに過ぎない。コンテンツは終わる。賞味期限が早い。
一時的な大量の消費者の動員はイナゴのようなものであり食い尽くされて何も残らない。
それ故、地域振興ではコンテンツを換骨奪胎し、変容したコンテンツが生み出される。
そこには最初のコンテンツそのもの(だけ)のファンは介在しえない。
だが変容したコンテンツは供給され続け、細々と長く続く。
「コンテンツによる地域振興に興味関心のある人々が定期的に集まってボランティアをしながら意見交換する活動」
- 地域振興をする人々
- なぜ桜ヶ池クエストに参加しているのか?と問われれば、授業で教授に
誘われたチラシを貰ったからという答えが一番最初にくるだろう。その教授自体が一種のコンテンツになっているから、教授の活躍を見に行っているのかもしれない。あと何かアニメを用いて地域振興をしようとしている人たちに関心がある。その人たちを見に行っているのかもしれない。
- 終わったコンテンツ
- 一つのコンテンツには寿命があり、特にアニメは粗製乱造・大量消費・使い捨ての傾向があり、放映が終わると途端に下火になってしまう。二次創作などで新たな物語を供給できるほどの熱心なファンがいない限り、公式の供給が途絶えれば消費者の関心も低くなると言えよう。その点で、『サクラクエスト』は所謂終わったコンテンツと言えるかもしれない。twitterやpixivで検索しても新規のイラストを見ることも無い。
- 終わったコンテンツからの脱却~コンテンツの換骨奪胎~
- 『桜ヶ池クエスト』と『サクラクエスト』はもはや殆ど関係は無い。アニメイベントではないし、声優もこない。中年男性たちが集まって訳も分からないままグダグダな感じでゆるく活動する。寧ろ集まるメンバーは地域おこしをする側としてボランティアな労働力の供給源として集まるのである。
- だから、むしろ『サクラクエスト』の作品(だけの)ファンの人々は『桜ヶ池クエスト』には参加していない。純粋な『サクラクエスト』だけのファンの人々は、中年男性の集りである『桜ヶ池クエスト』を遠巻きにしつつ、本社のピーエーワークスにあるカフェトリアンでコラボメニューを食らい、グッズを集めるのである。
- 新しいコンテンツの創出
- 第4回のクエストは、花見の設営だったが、南砺市の青年団の人たちがたこ焼きやラーメンを作り、クエスト参加者がテント設営やビラ配りをして、そこらへんを歩いているお年寄りや公園で遊んでいる親子連れを呼び込むのであった。完全にアニメイベントから脱却して、地域振興について考える『桜ヶ池クエスト』という新しいコンテンツになっているのだ。
雑感:【謎】なぜ地元の大学や高校のサブカルや地域振興に興味のある学生が参加しないのだろうか?
- 地元の大学や高校のサブカルや地域振興に興味のある学生の参加が皆無
- 南砺市のwebサイトを見ていると、高校生が市長にアニメによる町おこしについてインタビューをしていたり、地元の大学が南砺市と連繋して地域振興を図ろうとしたりしている。しかし、桜ヶ池クエストや間野山研究学会には地元の学生たちがいない。