- 『案内』は全部で合計7種類
(1)『南満洲鉄道案内』(南満洲鉄道株式会社、1909年12月)
- 項目
- 大豆の集荷は「人をして真に其盛況を驚かしむ」
- 長春は北満商業の中心地であり穀類の集まることが紹介されており、特に冬の様子が強調されている。「〔……〕冬期大豆出荷の際に至りては十数里の間車馬絡繹輪蹄の響叱咤揮鞭の声騒然として遠く紅塵万丈の間に連なり、人をして真に其盛況に驚かしむ」(p.102)
- 吉長鉄道の建設予定
- この時点では建設すら始まっていないが、借款契約が成立しており、竣工の暁には、三鉄道の会合点となることが紹介されている。
- 東清鉄道との接続地
- 1909年の段階では、新京(長春)自体の観光資源は乏しく、東清鉄道との乗り換え地としての性格が強い。東清鉄道が西はサンクトペテルブルク及びモスクワ、東はウラジオストクまで通じていることが紹介され、大連発の急行が毎週3回長春駅で直ちに東清鉄道の旅客列車に接続することが述べられている。また東清鉄道と満鉄の間には連帯運輸はないが、東清鉄道の出張員が東清鉄道各駅の乗車券を販売している。
- 当時の「長春やまとホテル」は未だ仮設
- 1909年12月の旅行案内発売時点では、まだ平屋煉瓦の仮設ホテルである。20余万円の予算を以て既に旅館新築に着手したことが紹介されている。
(3)『南満洲鉄道案内(南満洲鉄道旅行案内)』(南満洲鉄道株式会社、1917年1月)
(4)『南満洲鉄道旅行案内』(南満洲鉄道株式会社、1919年6月)
- 項目
- 硝子細工で飾られたかのような白楊の樹枝
- 鉄道附属地市街の項目は1917年版とほぼ同じだが、末尾に観光資源の紹介が加わっている。「〔……〕厳寒の候晴天の日に郊外を眺めればアチラコチラに寂しく立つて居る白楊の樹枝か恰も硝子細工を以て飾つた様に光輝いて居るであらう〔……〕兎に角美しいものである」(p.108)と紹介文が記され、「首飾り天女が遺せし氷柱かな 竹冷」と和歌が挿入されている。
- 和歌の挿入
- 1919年版の特徴として挙げられるのが、和歌の挿入である。上記の白楊の樹の他にも、末尾に和歌が3首挿入されている。
- 「入りなやむ月や枯野の幾うねり 小波」
- 「片町の朝を氷るや馬の尿 同」
- 「散り分くる柳に聞かす境論 同」
- 1919年版の特徴として挙げられるのが、和歌の挿入である。上記の白楊の樹の他にも、末尾に和歌が3首挿入されている。
(5)『南満洲鉄道旅行案内』(南満洲鉄道株式会社、1924年9月)
- 勝蹟
- 和歌が消える
- 1919年版で掲載されていた和歌群が消えている。
(6)『南満洲鉄道旅行案内』(南満洲鉄道株式会社、1929年12月)
(7)『南満洲鉄道旅行案内』(南満洲鉄道株式会社、満鉄鉄道部旅客課、1935年、4月)
- 項目
- 土産
- 1929年版の土産は絵葉書だけだったが、種類が豊富になっている。「カルパス、チョコレート、土人形、ステツキ、毛皮、アレキサンドル、ルビー、サファイヤ、各宝石類、北満白樺製柱掛類、絵葉書」。
- 視察順路
- 「国都建設計画」及び「国都建設進展状況」
- 経済都市・「豆の都」
- 1935年版以前の旅行案内においても新京は農産物の集散地であることが紹介されているが、ここでは「特産物立木材の集散地輸入商品の配給地たる経済都市」と位置づけられている。また「豆の都」との名称が用いられ、「満鉄沿線随一の農産物集散市場として有名」であることを強調している。
- 附属地
- 西公園
- 関東軍司令部庁舎
- 忠霊塔
- 商埠地
- 1929年版に続いて二つの市場が挙げられているが、劇場、妓楼などの盛り場もあることがつけ加えられている。
- 城内
- これもまた1929年版に続き、関帝廟の堂塔、魁星楼の遺物が紹介されている。
- 寛城子
- 石碑嶺
- 1929年版にもある金の創業の功臣完顔婁室の古墳、石器時代の遺物に加え、「国都大新京の建設用の碎石の大部分は同地産」であることが紹介されている。
- 新京附近の狩猟地と釣魚地
- 1935年版から新たな観光資源として狩猟地と釣魚地が加わっている。狩猟地としては、伊通河、石碑嶺、南嶺、水源地が挙げられている。釣魚地としては、西公園池、伊通河、飯馬河がある。
- 和歌
- 1935年版では和歌の引用はない。
- 写真