『アサヒグラフ』における新京に関する記事

  • 朝日新聞社が出していたグラフ誌『アサヒグラフ』における新京関係の記事
    • 秩父宮が名代として新京の溥儀を訪問した記事(1934年 6月 20日[通常号554号])
    • 荒木巍の随筆(1939年 10月 11日[通常号831号])
    • 山田清三郎の新京の冬景色を題材にした詩(1939年 11月 22日[通常号837号])

アサヒグラフ』(1934年 6月 20日[通常号554号])

「新京駅頭歴史的盛観」(3頁)

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  • 「新京駅頭歴史的盛観」
    • 秩父御名代宮殿下には6月6日午後6時新京駅御着、康徳皇帝と固き握手を交され給ふ」

「日満両帝国 永遠の環審 秩父御名代宮殿下の満洲国御訪問」(4-5頁)

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  • 「大連にご上陸」
    • 6月6日早朝大連甲(ママ)埠頭岸壁に横付けになつた御召艦足柄よりご上陸遊ばされる秩父御名代殿下
  • 「康徳皇帝に御親書捧呈遊ばさる」
    • 秩父御名代殿下には、善隣の君主に対し、御親書並に大勲位菊花大綬章を、皇妃には勲一等宝冠章を捧呈遊ばさるべく、6月7日午前9時40分、新京御旅館を御出発、遠藤には堵列の日満両国民の熱誠なる奉迎を受けさせ給ひつつ同10時宮廷府を御訪問遊ばされた」
  • 「御贈進の勲一等宝冠章を佩びさせられ捧呈式場より御退出の満洲国皇妃」
  • 「奉拜の高齢者」
    • 「御名代宮殿下には、7日午後2時3分新京神社に御参拝あらせられたが、特に境内に奉拜をさし許された高齢者に対し、御慈愛深い御挨拶を賜はつた」
  • 「御名代殿下 新京御着」
    • 「新京駅頭、親しく康徳皇帝の御出迎をうけさせられた秩父御名代殿下には、駅前広場に整列の桑名舞台隊長指揮の儀仗兵の奉迎をうけさせられ、御旅館に向かはせられた」
  • 「新京神社御参拝」
    • 「井上神宮の御先導にて、新京神社御参拝を終へさせられ御退出の御名代殿下」
  • 満洲国騎兵隊の分列式」
  • 満洲国軍御閲兵」
    • 「6月8日午前10時、御名代殿下には、康徳皇帝と御同列にて、新京中央通りで挙行の満洲国軍観兵式を御親閲あそばされた」
  • 「奉迎提灯行列に御会釈を賜ふ」
    • 「新京御旅館に、第一夜を過させ給ふ御名代宮殿下の御旅情を御慰めするため、日本側学生各種団体並びに在留民により、新京空前の大提灯行列が催された。殿下には親しく露台の上に出でさせられ、ご会釈を賜はつた」

アサヒグラフ』(1939年 10月 11日[通常号831号])

荒木巍「新京の手帖(大陸写真随筆)」(9頁)

  • 概要
    • 朝の新京と昼の新京の対比。朝の新京は樹木や清澄な空気で気持ちが良いが、昼の新京は急造した建築物が目に付き田舎者。昼には新京市の見物よりも児玉公園を見た方が良い。
  • 引用
    • 「この街の高層建築や急造の家屋などの妙にいかついそして嫌らしい感じ」
    • 「ビルデングや安普請の家屋が手をのばし足を張つて、醜貌をさらけ出す」
    • 「大同大街などは、成程、一見西欧の近代都市を思はせるスマートさがあるやうだが、直ぐ、その襟元や裾から、都会の衣装を借り着した田舎女の嫌らしさと図々しさと低俗を露はす。昼の新京は、実際、鼻持ちならぬ田舎者」
    • 「そんな新京を見るよりは、むしろ児玉公園の樹木の䕃の熊の夫婦の静かな愛情、そして時には、激しい情熱の姿でも見てる方がどんなに良いかも知れない」

アサヒグラフ』(1939年 11月 22日[通常号837号])

山田清三郎「大陸に唄う 新京の初冬」(9頁)

  • 概要
    • 新京の冬景色を題材とした詩
  • 詩に盛り込まれている新京の風物
    • マーチョ(馬車)の馭者
    • ロシア人の毛皮屋
    • 街の高層建築
  • キャプション
    • 「新京の秋は駆け足でいつた。人気のない児玉公園のベンチの上には遊覧者の代わりにもう初雪が坐つている」
    • 「ぬくぬくと両手を袖にかくし、防寒帽のかげに、微かに閉ざした眼、厳しい寒さを迎へようとするのに満人の露店商人のこの和やかな表情-閉ざした眼の睫毛を払って新京の寒風がよぎる」
    • 「淡い初雪の日差しの中で、毛の防寒帽がひなたぼつこ-。冬籠りが近い」
    • 「煉瓦塀に綱をひいて、ぶらりぶらりとつるされた毛皮。厳寒が城外まで押しよせてゐる」