③大東亜戦争(アジア太平洋戦争)と「厚生運動」
- a.大東亜戦争が勃発すると、観光/旅行は「厚生運動」と結びつけられた。即ち、総力戦体制下における銃後労働者の生産力の向上として余暇と休養の重視の手段として旅行が見出されたのである。旅行は体力の向上、精神の陶冶だけでなく、心身の復活や精力の再建に効果があるとして、厚生旅行の必要性が唱えられて正当化された。(【史資料3】)
史資料
【1】
「世は挙げて非常時である。その非常時下に「観光」を語ることは凡そ時局に応はしくない問題であると考へるかもしれない。然しこれは「観光」といふ事を単に逸楽、安堕なものと考へる事に依つて、そこに物心両方面の総動員運動と背馳する何ものかを想像するからであつて、元来この「観光」といふ言葉の意味は「一国の燦然たる文物制度を普く中外に知らしめる」ことを謂ふのである。即ち単に風光を観るばかりでなく、その国、その地方の文化、制度、産業等凡有る自国の優れた点を内外に顕揚し以て内外旅行を招致する事である。之を簡単に云へば、観光の「観」は古くは「しめす」と読まれたもので、国際的に見れば「国の光を示す」事になるのである。」
(「観光事業の意義」(『満支旅行年鑑 昭和14年』奉天 : ジャパン・ツーリスト・ビューロー満州支部 、1939年、14頁)
【2】
「満洲国内に於ける観光事業発展の膳立ては今日既に完了し、「満洲再認識」の積極的行動に乗り出さんとしてゐるのである〔……〕満洲の再認識は日本人目下の急務であり、旅行の齎す効果と併せて、満洲旅行は正に一石二鳥であると云はねばならぬ」(『満支旅行年鑑 昭和14年』奉天 : ジャパン・ツーリスト・ビューロー満州支部 、1939年、18頁)
【3】
「国家総力戦二処スベキ高度国防国家ノ建設ハ、其ノ前提必須条件トシテ、単二政治、社会、経済、産業、文化等ノ各部門二亘ツテノ機構ノ整備ヤ組織二拡充ノミヲ以テ、事足レリトスルモノデナク、一方コレト並行シテ、国民全体二亘ル人間的改造、即チ精神的及ビ肉体的浄化ト錬成ガ伴ハナケレバ、到底円満ニシテ鞏固ナル結実を期待シ得ラレナイノデアリマス。
満洲国民厚生旅行会ハ敍上ノ必要二基キ一般大衆就中勤労階級ノ適当ナル余暇善用ノ方法ヲ講ジ、アラユル旅行ヲ通ジテ健康ノ増進、体力ノ向上、情操ノ陶冶ヲ計リ、溌剌清新豊富ナル生活方式ヲ与ヘ、心身ノ復活、精力ノ再創造ヲ図リ以テ明朗闊達大協和ノ建国精神ヲ振作スルノ目的ヲ以テ茲二発足致シマシタ。」
(「国民厚生旅行会結成」、『満支旅行年鑑 昭和18年』東亜旅行社奉天支社 、1942年、15-17頁)
【4】
「戦力物資と工員輸送の確保につき決戦陸運に課された使命は空前の重要度を加へ来つたため通産省ではさきに閣議決定の決戦非常措置要綱に基き旅客制度を徹底的に強化し陸運をあげて戦力化することになり、具体案の策定を急いだ結果「旅客の輸送制限に関する件」を14日の閣議に附議、五島運通相より詳細説明、各官僚よりも種々発言あり慎重審議の上これを決定、同日午後情報局よりその内容を発表した。今回の措置は旅行に関する平時的性格を全く払拭し、不急不要の旅行は全く禁止するほか直接戦力に関係なき旅行は国民の時局認識により自粛を徹底せしめんとするもので、この旅行制限の徹底的強化は4月1日から実施される」(「不急旅行を全面禁止 4月1日実施」、『朝日新聞』、東京/朝刊、1944年3月15日、1頁)