雑録

Heritage tourism(010)-(011)【巡検】「ヘリテージツーリズムにおけるチャシ群の活用」

目次

0.問題の所在 天神山チャシ跡を踏査して

現在道内で500基以上確認されているチャシであるが、その実態は良く分かっていない。今回の巡検では、天神山チャシを踏査したが、案内板などの整備はなされていなかった。その起源もまた不明であり、有益な情報としては『さっぽろ文庫90 古代に遊ぶ』(北海道新聞社)において、1937年の後藤寿一氏による調査と1989年の札幌市教育委員会の調査でチャシの溝跡が確認されたことが紹介されていることくらいである(http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/chasi/html/tenjin.htm 2019年6月19日閲覧)。このような謎に包まれた史跡を観光資源として活用するにはどうすればよいか。これが今回の課題である。

1.そもそもチャシとは何か?

チャシは、日本語では「砦」や「城」と紹介されるが、現存しているチャシは無いので、正確にはチャシ跡である。アイヌ語では「柵」、「柵囲い」の意味があり、戦争だけではなく、祭祀やチャランケ、見張りなどにも使われていた伝承が残っている。つまりアイヌに関する史跡ということはできるが、由来や起源や来歴などが特定できなければ、観光資源として活用することは難しそうである。それでは現況として、チャシ跡はどのように観光資源として利用されているのであろうか?

2.チャシ群を活用した観光開発の現況~「根室半島チャシ群跡」~

 現在、北海道観光で有名なチャシ群は、「根室半島チャシ群跡」などがある。この観光資源を参照し、どのような点が「観光客にその対象を訪問したい」と思わせるのか、「欲望を喚起させる装置」としての側面を分析する。

2-①ブランド化と価値付け

 まず「根室半島チャシ群」は二つのキャッチフレーズを用いている。即ち「国指定史跡」、「日本100名城お城番号1」である。特に後者の日本100名城にエントリーされたことが全国の観光客の誘致の契機となり、「スタンプラリー」によって旅行者の周遊を生んでいるが指摘されている(https://www.nemuro-kankou.com/app/download/8061879176/chashigirl.pdf?t=1497413771 2019年6月19日閲覧)。そしてこの「根室半島チャシ群」は、日本全国の城の中でも特異的な存在である。天守閣もなければ石垣もない、アイヌの砦柵の跡地として、異彩を放っている。さらに首都圏から遠く「行きづらい」というイメージに加え、「お城番号1」というナンバリングがレアリティを増加させ、お城好きの間では、「他とは異なる特別な城」としての価値付けが生じている。

2-②歴史的価値付け

 上記の様にたとえブランド化が生じても、その背景となる歴史的価値がなければ、内容が薄いものとなってしまう。それでは「根室半島チャシ群」にはどのような歴史的意義があるのだろうか。それは以下のA~Cの三つを挙げることが出来る。

2-②-A)オホーツク文化

 現在「根室半島チャシ群」の中で見学できるように整備されているのは2箇所のみであり、それは「ヲンネモトチャシ跡」と「ノツカマフ1・2号チャシ跡」であるが、そのうちの前者「ヲンネモトチャシ跡」において約1500年前のオホーツク文化期の竪穴住居が発見されている。このことから根室は古くから先住民が定住した場所だということが分かり歴史的価値を生んでいる。

2-②-B)アイヌ蜂起史

 「根室半島チャシ群」を歴史的に意義づけている一番大きな出来事が「クナシリ・メナシの蜂起」である。「クナシリ・メナシ蜂起」からは近世蝦夷史について様々なことを学ぶことが出来る。「クナシリ・メナシ」の蜂起に関連があるのは「ノツカマフ1・2号チャシ跡」である。

  • 2-②-B-i)場所請負制とアイヌ搾取
    • クナシリ・メナシの蜂起の原因は飛騨屋によるアイヌの搾取であるが、なぜこのような搾取が生まれたのだろうか。この説明をする際に、商場知行制と場所請負制の話に繋がる。松前藩は家臣への給与として米を与える俸禄制を取ることが出来ず、商い場を知行とした。これが「商場知行制」である。しかし、当初松前藩の家臣たちは自分で交易船を派遣したものの次第に商人に場所を請け負わせて運上金を得るようになり「場所請負制」に変化した。ここで根室の交易権を得たのは飛騨屋という商人であり、アイヌを強制労働させ、利益を貪っていた。これを契機としてクナシリ・メナシの蜂起が起こったのであった。
  • 2-②-B-ii)「ノツカマフ イチャルパ」
  • 2-②-B-ⅲ)中心地の移動
2-②-C)日露関係史

ノツカマフ1・2号チャシ跡は、日露関係の始まりとしても記憶される土地である。1778年、ロシアの商人シャバーリンが、国後のアイヌ:ツキノエの案内でノツカマフにやってきたのである。ここでシャバーリンは通商を求めて松前藩に書簡を渡して交渉。松前藩は返事を1年後に持ち越したため、シャバーリンは翌年もう一度、来航。この時は松前藩が風待ちのためにノツカマフに現れなかったので、厚岸に移動することになったが、ノツカマフは「日露外交発症の地」として価値付けすることが出来るのである(上記webサイトと同上)。

2-③いわゆる「萌興し」について

 以上のように、「国指定史跡」と「100名城お城番号1番」というブランド化と、オホーツク文化アイヌ蜂起・日露関係という歴史的価値付けがなされ、観光客を生んでいるのが、「根室半島チャシ群跡」である。だが、お城好き・歴史好きな顧客のニーズを発掘できてはいるが、一般人はさほど興味がないらしく、根室半島チャシ跡群を広める会は「根室市民をはじめ、一般的な方々は、チャシ跡に全く関心を寄せません」と現状を認識している(https://www.nemuro-kankou.com/app/download/8061879176/chashigirl.pdf?t=1497413771 2019年6月19日閲覧)。
 この状況を打破し、若い人々にも関心を持ってもらうために、根室半島チャシ跡群を広める会によって行われた取り組みが所謂「萌興し」だったのである。個人的な雑感では「萌興し」による「聖地巡礼」は社会人のおじさんたちの趣味であるというイメージが強く、「一般人」や「若い人」(ティーンエージャー)たちのニーズを掘り起こせるかは正直言って微妙である。
 具体的な取り組みとしは、「萌えキャラ」を創出するパターンで、「鉄道むすめ」や「温泉むすめ」と類似系統である。ノツカマフチャシ跡とヲンネモトチャシ跡を擬人化したイメージキャラクター「野塚フマ」と「温音十萌」を押し出している。

3.まとめ

 今回のレポートでは「ヘリテージツーリズムにおけるチャシ群の活用」の事例として、「根室半島チャシ群跡」を扱った。ここから言える事は、ブランド化、歴史的価値付け、そして萌興しである。そのためにはチャシ跡の発掘・調査を行い、観光資源として欲望の対象となる「情報」をまず得る事が重要であると考えられる。