この巡検の目的の一つとして、地方の歴史系博物館が自らの地域をどのように認識し、物語っているかを比較することが挙げられる。そのため、なるべく県立の博物館を訪問しているのだが・・・なんと大分県立歴史博物館は改修中で休館であった。公式webサイトのトップページを見ても、休館中であることは一言も書いてないし、ご利用案内のページを見ても改修中だと書いてない・・・(歴史博物館 - 大分県ホームページ)。そんなわけで急遽予定を変更して、中津へ向かい、福沢諭吉の記念館と黒田官兵衛推しの中津城を見ることになった。
【お品書き】
福澤諭吉記念館・中津城(続100名城N0.191)
- 上記の通り当初は大分県立歴史博物館に行くつもりであったが改修工事で休館中であった。そのため福澤諭吉記念館及び中津城に行くことにした。福澤記念館では大坂で育った幼少の諭吉が突如父を亡くして中津へ帰ることになり、苦労したことが強調されていた。また明治14年の政変の際に、イギリス式の議会政治を目指していた為、政府から慶応出身者が一層されたことや、官立の学校の整備により慶應義塾が凋落したこと等も印象的であった。そして福澤諭吉というと「慶応義塾」のイメージばかりあるが、マスメディアの「時事新報」と社交クラブの「交詢社」も日本の世論形成に大きな影響を及ぼしたも参考になった。
- このように福沢諭吉の知識を得てから中津城へ行ったが、城の紹介展示で福澤諭吉が廃藩置県の際に場内の建造物を破却するように進言していることが述べられており、諭吉ェェ・・・となった。中津城では城の外側に黒田官兵衛の記念館のようなものがあり、黒田官兵衛の生涯及び中津との関係が紹介されている。中津城の基礎を作ったのは黒田官兵衛であり、完成させたのは細川忠興なのだが、突如現れる奥平家。中津城を江戸時代の大半の間支配したのが奥平家なのだが、そもそも奥平家がどのような家系であり、どういった経緯で中津に入ったのが全然説明されていないので、いきなり奥平家のゆるキャラおっくんとか見せられましても・・・という感じ。
九州鉄道記念館
- 主に子ども向けの施設。情報室で九州の鉄道を調べられるのでくま川鉄道を調べる。そしてパネルを見ていたら、「観光列車サミットin人吉球磨」の紹介が!!コラボがポシャってしまったとはいえ、『まいてつ』のシナリオで描かれた「鉄道を観光資源としたツーリズムによる地域振興」を地で行っておりリアル『まいてつ』やんけ!とちょっと感動しちゃった!他にも九州を走った鉄道「つばめ」シリーズのパネルなども面白く、本来の主眼である子ども向け展示などそっち向けで解説文を読んでいた。九州の鉄道の路線図の変遷でいかにモータリゼーションにより鉄道が衰退したかが分かる。全盛期なんてこんなにも路線があったのね!と驚き。
関門トンネル人道
- 関門海峡には地下道があり徒歩で渡ることができる。と、いうわけで長距離ウォーキング。前日、仙巌園の世界遺産の反射炉跡で足を汚していた上、訪問した博物館で入手した図録の重量がのしかかる。門司側は観光客相手に飲食物を売る小屋があったのだが、不運なことにちょうど閉まるところであった。トンネル内部では福岡と山口の境界に人々が群がっており、通り抜けるのさえ大変であった。境界協会ウケしそうなので写真を撮りたかったのだが、そんな状況ではなかった。トンネルを出た下関側では公園が整備されており、壇ノ浦の戦いの銅像や馬関戦争の際に鹵獲された大砲をもとに復元した大砲群が設置されており、観光資源が整えられていた。観光客向けの飲食店としては、門司側の古小屋とは異なり、下関側ではわりと富裕層向けの「平家茶屋」があった。また下関駅まではバスが何本も出ており、アクセスビリティが高い。