満洲国建国後、京図線および北鮮三港の整備により日本海ルートが形成された日満交通路。
最捷経路として着目された北鮮航路であるが、旅行者はどのような心象を抱いたのであろうか。
ここでは旅行記・紀行文のうち日本海ルートを利用したものをまとめた。
新京観光のことを考えると東満移民地視察経由新京行きではなく北鮮航路・京図線直通のみにするべきか?
- 四ツ橋銀太郎『満鮮を旅する』自家出版、1934
- 富山日報記者による対岸貿易拓殖振興会の委嘱視察
- 伏木・雄基・羅津・雄基・慶源・琿春・訓戒・図們・新京
- 帰路は関釜航路
- 山形県教育会満鮮視察団編『満鮮の旅(視察報告)』山形県教育会満鮮視察団、1935
- 東海商工会議所聯合会視察団鮮満視察団編『満鮮 旅の思ひ出』名古屋商工会議所、1936
- 東海商工会議所主催の視察団の紀行文集
- 名古屋・敦賀・清津?羅津?・雄基・南陽?・図們・延吉・敦化・吉林・新京
- 帰路は関釜航路
- 大橋克『満鮮北支紀行』自家出版、1938
- 三重県農会幹事。伊勢新聞に掲載。満洲農業移民を視察。
- 津・新潟・清津・図們・牡丹江・鶏西・黒台・密山・林口・千振・弥栄・佳木斯・牡丹江・哈爾濱・天理村?・哈爾濱・新京
- 帰路は関釜航路
- 山形県教育視察団編『満鮮の旅』山形県教育視察団、1938
- 尋常学校・高等小学校の校長・教頭ら10名の視察団
- 山形・新潟・清津・東京城・牡丹江・弥栄・哈爾濱・新京
- 帰路は関釜航路
- 外島里有『満鮮一萬粁』梶原隆定、1939年
- 敦賀気比神社の神主。拓務省嘱託として満洲移民の神社を視察。
- 敦賀・清津・千振・佳木斯・鶴岡崗・佳木斯・虎林・密山・黒台・龍爪・牡丹江・青雲・哈爾濱・山河屯・四家房・吉林・新京
- 帰路は関釜航路
- 磯西忠吉『鮮満北支ひとり旅』大正堂印刷部、1941年
- 国語教師。教育視察の許可を取り出張。本書を生徒に配布。
- 青梅・敦賀・清津・南陽・図們・吉林・新京
- 帰路は関釜航路
- 松井正明『鮮満一巡 附転業対策卑見』千葉東亜経済研究会、1941
- 楽器店社長。
- 往路は関釜航路
- 新京・哈爾濱・羅津・新潟
- 山形県教育視察団『満鮮2600里』昭和17年山形県教育視察団、1942
- 山形県教育会より校長ら9名を派遣
- 山形・酒田・敦賀・清津・牡丹江・千振・佳木斯・鉄山包・綏化・北安・斉斉哈爾・新京
- 帰路は関釜航路