映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の感想・レビュー

原作改編VRゲーオチクソ映画として話題の映画版ドラクエを何故か視聴することに。
しかも予告編でマトリックスやハローワールドの宣伝が流れ、始まる前にネタバレ発動。
まさかの「この世界はゲームの中のデータ」だったオチを映画の前に食らうのだった。
最後は「レトロゲーのノスタルジックに浸っていないで大人になれよ懐古厨」エンド。
一応主題としては、単なるデータに過ぎなくても、それは決して無意味ではないという事。
けどこれって、ドラクエ5でやるよりも、スマホゲーの課金等が題材として適切かもしれない。

雑感

  • 原作改編されているのは、マルチエンド式のVRゲーでシナリオ分岐したからですよというオチ
    • 限られた映画の時間の中で、全てのシナリオを扱う事など出来るわけがなく、ある程度原作改編されるのは致し方ありません。しかし、余りにも原作改編が酷い。しかもその原作改編については、この映画はドラクエ5のリメイクVRゲーが題材となっており、マルチエンド形式でシナリオが変化した結果ということが強調されているのです。そのため作中においてキャラクターたちに「今回の」という発言を多用させるのです。

  • 映画版の流れとしては以下の通り
    • スーファミ版のゲーム画像で幼少期編をスキップし、パパスの死亡イベントのみ回収。ベラやマリアは捨象され、ラインハット編ではサンタローズ焼打ちも偽太后戦もありません。結婚編では何故か初っ端からブオーンと戦い、占いババに変化したフローラによりビアンカと結婚させられます。グランバニア編も無く王位継承もカットされます。じゃあ子供誕生イベントはどうなったのかというと、焼打ちされなかったサンタローズで息子だけが生まれ、そこをゲマ達に襲撃され石化するという展開です。
    • 8年後、生き延びた息子がストロスの杖を見つけ、主人公の石化が解除されますが、天空城編も無いので、マスタードラゴン復活のイベントだけやるために妖精の村へ向かいます。そしてここで「VRゲーの追加シナリオ」要素を視聴者に提示するためだけにロボット(キラーマシン)との戦いが挿入されるのです。妖精の村へたどり着くとオーブ交換イベントでドラゴンオーブを手に入れ、プサンが復活し、大神殿へ向かってラストバトル。ビアンカも何故かストロスの杖で復活し、ゲマ率いるモンスター軍団と戦うのですが、ここで何故かヘンリー率いるラインハット軍及び改心したブオーンが助けに来るという謎の大団円イベントが無理やり挟まれます。ジャミやゴンズは瞬殺され、実質ゲマとの戦いがラストバトルと言っても過言ではありません。
    • ゲマ撃破後、ミルドラース召喚となった所で、VRゲーだったオチが発動します。作中の時間が止まり、この映画はドラクエ5のリメイクVRゲーであることが明らかにされ、「レトロゲーのノスタルジックに浸っていないで大人になれよ懐古厨」と説教されるのです。一応、主人公が叫ぶ「例えゲームの中の出来事だとしても、それは無意味なんかじゃないんだー!!」というのがメッセージとなっています。しかし突如スラリンがしゃべりだし、修正するワクチンであったとか言ってウイルスを除去してハッピーエンドとなるのでした。

  • 「例えデータだとしても無意味ではない」ことを示すためには現実世界編の描写が必要
    • 映画版ドラクエの予告編でマトリックスとハローワールドが流れたので、始まる前に全てが終わった感がありました。「この世界は、コンピュータによって作られた仮想現実」という設定の粗製濫造的オンパレード。映画版ドラクエもその被害にあってしまったという感じです。
    • そしてドラクエ5に釣られて映画を見に行った原作ファンたちを蔑ろにする説教。いつまでも子供の頃のノスタルジーに浸っていないでレトロゲーの幻影など捨て去り大人になれという強烈なメッセージが叩きつけられます。一応、その反駁として「例えゲームのデータに過ぎなくても無意味ではない」という主張がなされ、その主張が通るのですが、そうだとすると現実世界の描写の掘り下げが全然足りないように感じてしまいます。ドラクエが現実世界において思春期の少年少女の拠り所となる作品として「Ⅲの勇者たち」がありますし、ゲームそのものを肯定する作品としては『ハイスコアガール』などがありますしね。もし今回の映画で表現したい主題が「ゲームが無駄ではない」ということならば、もっとドラクエによって人生が深まった?ことなどのエピソードが必要かと感じられました。
    • ドラクエ5を単純に映画化するだけで十分だったところ、制作者が主題やテーマ性を持たせようとした結果、ラストにVRゲーオチを無理やりくっつけるというような展開になってしまったのではないでしょうか。