雑録

【史料】観光案内・パンフレットにおける奉天に関する記述

満洲事情案内所 編『まんしう事情』満洲事情案内所、昭11(1936)、89-90頁 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268420/56

  • 地理
    • 奉天省の凡そ中央、渾河の右岸数粁の平地にある。大連から397粁、新京へ305粁、満鉄本線の中央よりやや北である。安東へは276粁、山海関まで419粁、地理的にも凡そ満鉄の中央になる。別名瀋陽清朝時代には盛京奉天府ともいつた、清朝における復京制の福京だつた。瀋陽の名は渾河支流の瀋水から来て居る。」
  • 奉天
    • 奉天の旧市区を囲む一区域が奉天城である。満洲及び支那では城内に民戸を包容すること日本の築城とは異なる所で、日本では境界を濠を以てするが満支では瓦磚を築いて以てする。城壁の四面に各二門を開いて居るが、西南部には商埠地、それから鉄道附属地が接して居るので、自ら大、小西門の筋が繁華になつて居る。城壁は高さ約二丈、副は壁上に於て約一丈、砲車が運行出来る。城区の中央に前清の宮殿、その東南部に諸官衙があり北部は住宅地。繁華の中心は小西門と大北門路と交叉する四平街で、それから大西門迄の間である。(南部を商区とするは支那の築城の恒例)今は官衙としては奉天省公署、奉天市公署、瀋陽県公署(奉天市を管轄せず)満洲国交通部が委託する所の満洲の鉄道全部(極めて少数の私鉄を除き)の為に満鉄はその経営本部として鉄路総局を置いて居る。今の處満鉄の鉄道運輸営業本部である満鉄鉄道部と対立して居るが、運用上不便もあるので11年中には鉄道部を奉天に移転し、幹部は後方兼務といふやうな予定とか。」
  • 邦人集団都市
    • 「首都を望んで得られなかつたものの、水と石炭に有利な奉天は建国後満洲一の工業地とせられ、日本の対満工業投資の大部分が奉天に集中されるやうになり、極めて内容のある発展を遂ぐるに至つた。自然商業も盛に、邦人の移住者も多く、関東州の大連を除けば満洲国内では第一の邦人集団都市である。」
  • 日本側諸機関
    • 「日本側の機関は総領事館、満鉄地方事務所其他がある。邦人教育機関は8個の小学校と、二女学校、二中学校、一医科大学がある。」
  • 奉天
    • 奉天駅は人口密集地帯の中心にあつて南北への満鉄幹線、東西に安奉線(分岐は蘇家屯)奉山線それに奉吉線及満鉄撫順線(鉄道線路としては渾河から分岐)といふ路線の要地であるから、其乗降客は満洲第一であるのみならず、これを日本に比較しても、電車客を除いた東京駅に準ずる日本四五位に匹敵する盛大さ示して居る。要するに奉天は最も古い半面と、最も新しい半面とをもつた満洲での大都会である。
  • 観光資源
    • 「見るべき所は宮殿、博物館および東陵、北陵がある。小河沿も荒廃から救はれた。」

『鮮満支旅の栞』南満洲鉄道東京支社、昭和14(1939)、73-79頁 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122541

  • 歴史
    • 奉天は、遼河の支流渾河の抱く沃野にたち、満洲主要都市の一として、住昔から此の地を相して城を置き、遠く渤海の時代から元、明、清の諸代を経て、瀋州、瀋陽、盛京、奉天と呼ばれ今では欧洲・北支に通じる鉄路の結節点として満洲交通網の枢軸をなしてゐる」
  • 区画
    • 「大奉天は旧満鉄附属地、旧商埠地、城内、工業地区の四つに大別され、何れも大奉天都市計画に基き近代性を加えた明朗な商業都市として躍進を示して居る」
  • 人口
    • 「総人口73万9906人中、日本人10万4905人(内訳、内地人86987人、鮮人17918人)欧米人1100人である(昭和13年6月調)」
  • 旧満鉄附属地(74頁)
    • 「旧満鉄附属地は総面積約409万坪、大体に於て長方形をなし鉄道の東を市街地、鉄道の西を工業地として分つ。市街は秩序正しい直角形式をなし駅前より千代田通、浪速通、平安通の三大道路を放射せしめ、浪速通の中間に大広場、平安通の中間に平安広場がある」
    • 「浪速通、千代田通は商業地区にして浪速通には邦人の商店多し。附属地東南部は医科大学其他諸学校立ち並び学校街を形成してゐる」
    • 「現在大市街をなす附属地も30年前には荒涼たる原野で然もその大部分は墓地であり、日露戦役の狼穿、塹壕等があり血腥き戦場に駅と守備隊があるばかりで日本居留民は商埠地10間房方面に居を構へてゐるに過ぎなかつた。かくて今日の如き発達の緒に就いたには明治41年満鉄が市街計画に着手してからの事で当時全人口は日支人を合して二千名に過ぎなかつた」
  • 商埠地(74頁)
    • 「城内と旧附属地との中間に介在する一帯を曾ては商埠地と称し各国民の居留地で我が総領事館を首め英、米、独、仏、伊の各領事館があり各国の商売が集り特殊の雰囲気を作つてゐる。然しこの地域も昭和12年12月1日より実施されたる満洲治外法権撤廃で商埠地の名称は無くなつた」
    • 「この地域は昔日頗る繁栄せるも漸次旧附属地にその殷賑を奪はれて、今ではその面影もないが満洲国立博物館瀋陽公園、喇嘛の黄寺、西塔等がある」
  • 鉄西工業地区(75頁)
  • 奉天城(75頁)
    • 「市内交通機関には電車、バス、自動車の外、露治時代の馬車、人力車があり、奉天駅前から電車、乗合自動車を利用して城内に至れば奉天城は美しい往時の宮殿を中心として、方形の内城とそれを囲む辺城からなつてゐる満洲第一の平城である」
    • 「内城は、甎築で周囲6粁、高さ11米、厚さ5.4米、8門を開き中心には宮殿を始め奉天の首脳をなす諸官衙が蝟集し城門に通ずる大道は商業極めて殷賑、小西門から小東門間の四平街は大商店が櫛比して居る」
    • 満洲事変まで中国陸、海、空軍の各福司令、東北辺防軍総司令としてときめいた張学良の公館は国立図書館となり、日露戦役に大山大将奉天入城の大南門も吉順絲房(百貨店)から望見される」

名勝地

  • 宮殿(75頁)
    • 「駅より4粁、大西門から入れば真直ぐに宮殿の前に出る。奉天城は清の太祖及び太宗の宮居した處で宮殿は金鑾殿と称し東西100米、南北269米、その境域は大内宮闕、大政殿、文溯閣に分れて正面には、皇帝が政を聴いた崇政殿がある。文溯閣は一名図書楼と言つて有名な貴書四庫全書6052函を蔵して居る。以前は参観を許されて居たが昭和11年5月以降宮殿の拝観は禁止された」
  • 市場(76頁)
    • 「内城の外側城壁に沿ふて、大西門から大東門に至るまで狭長な市場が構成されて居て、古着、鍛冶金具、雑貨、骨董品、野菜、獣肉、家具、等の店が夫々軒を並べて居る」
  • 同善堂(76頁)
    • 「本堂は光緒7年(1881年)左忠荘公の設立に係る社会救済事業の一施設で貧民、医務、孤苦、工芸の四部に分れ相当整備された方法で経営されて居る。私生児の捨子を受取る救生所、逓入した娼婦を収容する済良所、乞食を収容する棲流所等は珍しい施設である。」
  • 法輪寺(76頁)
    • 「西塔と共に護国寺塔の一つである喇嘛の北塔は此の寺に聳えて居り、寺境にある天地廟には涅槃寂静相を表現した奇怪な男女交歓の像(天地仏)が併置されて居る」
  • 北陵 奉天駅の北方6粁 (76-77頁)
    • 「陵は清朝第二代太宗文皇帝の陵墓で、境域の周囲約8粁、外壁1.7粁、内壁の高さ6米余で入口には一大牌楼が立ち前三門(正門)を潜って進めば碑楼がありこの間は両側に獅子、走獣(白澤)麒麟等の石獣が並び、内二頭の馬の石獣は太宗の乗馬を形どつたものとして著名である。更に三層楼を為す陸恩門を潜れば廟の拝殿である隆恩殿がある。拝殿の後方には明楼と寝陵があり、半円形の壁に囲まれた寝陵は太宗文皇帝の霊枢が葬られてゐる。寂静の奥津城に競ふ結構の荘と配合の妙は清朝の全盛期を偲ばすものがあり奉天人士の行楽地となつて居る」
  • 東陵 城内から東方約14粁 (77頁)
    • 「奉吉線の東陵駅に下車するが便利である。別に奉天駅前から総局経営の奉撫線乗合バスによれば約1時間で往ける。東陵は天桂山福陵と称し、清の太祖高皇帝を葬つたもので渾河の右岸に臨み老松の中に、朱壁縁瓦聳え附近の天然風水の勝は又特別である。(観覧料は北陵、東陵共、大人国幣三角若は金三十銭、学生、小児二角又は金二十銭、普通団体十人以上一角五分又は、金十五銭、小児一角又は金十銭、制服軍人及び6歳以下無料)」
  • 国立博物館 (77頁)
    • 「建物は湯玉麟の私邸を改造したもので白亜三階建の高壮なものである。仏像、服飾類、陶磁器書画、古代遺品等多数が二十一室に分類陳列され見学価値多いところである。」

【視察の順序】(77-79頁)

〇半日行程の場合
  • 駅(旅館)-忠霊塔-国立博物館-北陵(又は北大営)-城内-吉順絲房(百貨店)-帰着
  • 遊覧バス(18人乗)5時間 普通団体 18円 中等学生以下 15円 但し大型(25人乗)の場合は前記料金の3割増、5時間以上使用の際は右何れの場合共1時間に附金3円
  • 馬車 9-10時間(一日行程と同じ) 普通団体 2円 中等学生以下 1円90銭
〇一日行程の場合
  • 駅(旅館)-奉天神社-忠霊塔-国立博物館-同善堂-城内-故宮殿前通過-吉順絲房-満蒙百貨店(又ハ七福百貨店)-帰着
  • 遊覧バス(18人乗) 8時間 普通団体 24円 中等学生以下20円 但し大型(25人乗)の場合は前記料金の3割増 8時間以上使用の場合は何れの場合共1時間付金3円
  • 馬車の場合は半日行程の欄参照されたし
〇順路外割増料金
  • 半日及一日行程でも左記箇所を追加した場合は1ヶ毎に2円の割増料金を要す(大型車使用3割増)
  • 鉄西工業地区廻り、大東門以東兵工廠方面廻り、北飛行場廻り、北塔廻り、小東辺門廻り
〇時間貸料金
  • 1時間5円(大型3割増)但3時間を経過1時間に附3円(大型3割増)
〇定期遊覧バス
  • 毎日駅前発車、期間は5月から10月迄、駅前を10時出発7時間(午後5時)頃帰着、料金は1名2円50銭(北陵、博物館観覧料を含む)、小学生以下1名1円50銭、女子案内人附でコースは駅-奉天神社-忠霊塔-鉄西工業区-国立博物館-同善堂-北陵-城内故宮殿前通過-吉順絲房-北大営-満蒙百貨店(又は七福屋百貨店)-帰着

【旅館】

  • ヤマトホテル(洋式)、瀋陽館、大星ホテル、平和ホテル、温泉ホテル、大丸旅館、マルナカホテル、日満ホテル、昭和ホテル、松島旅館、東亜旅館、武蔵屋旅館、九州館、常盤旅館、日進旅館、平安ホテル、身上旅館、一力旅館、満洲旅館、浮月旅館、住吉旅館、奉ビルホテル、七福屋ホテル

鵜木常次『最新大奉天市街案内圖』滿洲日日新聞専賣所、1939.4 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122585

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観光奉天の全貌(7コマ)

  • 「躍進満洲国の国策的な基礎の上に樹つ商工業都市として又鉄道交通網の中心地としての奉天は、総面積270平方粁、人口80万を擁する全満一の大都市である、更に12年12月1日治外法権撤廃並に満鉄附属地行政権移譲と共に都邑拡張五ヶ年計画の下に従来の附属地、商埠地、城内、工業地区を撤廃して新たに大和区(旧附属地と商埠地)瀋陽区(旧城内)鉄西区(旧鉄西工業地区)等の11区に別れ、将来人口150万を抱擁する大都市の計画が着々として実現しつつある、斯くて奉天は日満移輸出入の貿易及満洲主要工業の中枢地等の経済的諸条件を具備し、一面又近代文化の諸施設も敢て国都に劣らざるものがある。」

名所古蹟(10-12コマ)

  • 概要
    • 奉天清朝興亡の地で古蹟に恵まれてゐるが、自然的な景勝、名所の遊地に乏しい、然し俗塵を避けて汽車で1、2時間行けば、そこに世界的に有名な撫順の炭田があり、又鉄嶺の龍首山、遼陽の白塔、本渓湖の駱駝山、歪頭山の彼蔭寺跡、橋頭の清流等の山岳細河の景勝地が多い。」
  • 忠霊塔 
    • 奉天駅前の千代田通りに面し、魏然として中空に聳へ立つ壮麗な六稜ピラミツト型の忠霊塔は、日露戦役に護国の神と化した戦没勇士を初めシベリア事件、鄭家屯事件、寛城子事件、満洲事変等の英霊3万5038体を合祀する由緒ある記念塔で、毎年春秋2回盛大な招魂祭が執行される。」
  • 北陵
    • 奉天駅の北方6粁、陵は清朝第2代太宗文皇帝の陵墓で隆業山昭陵とも称されてゐる、270余年前崇徳8年の築造にかかり翌順治元年太宗皇帝の霊枢を祀り、越へて順治8年陵の完成を俟るて孝瑞文皇后を合祀した、境城の周囲約8粁、外壁1.7粁、内壁の高さ6米余、境内には昭陵聖徳神功の碑、隆恩殿、寝陵があり、老松鬱蒼として四季緑をたたへてゐる、北稜の周囲は公園で又国立競馬場もある、春夏の季節には遊覧バスを運転し、奉天に来る観光客の誰しもが杖をひいている。」
  • 東陵
    • 「天柱山福陵が正称であるが普通東陵と呼ばれてゐる、清の太祖高皇帝を祀り城内から東方約14粁のところにある、陵城は周囲約16.3粁その結構は北陵と酷似してゐる。」
  • 宮殿
    • 奉天城内に在り、清の太祖及太宗の宮居として有名である、天命10年太宗高皇帝が遼陽から遷都して以来北平に遷都するまでの19年間の皇城で、宮城は金鑾殿と称される、太祖の時工を起し太宗の天聰6年完成したが後ち乾隆帝が増築した、東西100米、南北269米の甎壁で囲まれ、大内宮闕、大政殿、文遡閣があり、正面の崇政殿に玉座が設けられ又歴代の宸筆扁額などあり、殿後にある日華楼は皇子、霞綺楼は皇女の勧学所である。又、永總、關雎、衍慶、麟趾の各宮があり、その後方に清寧宮がある、また図書には有名な四庫全書6千752函を蔵してゐる、満洲事変後暫く拝観を許されてゐたが今日では禁止されてゐる。」
  • 国立博物館
    • 「古代文化、支那文化を一堂に集めた国立博物館奉天の持つ誇りである。旧三経路十緯路にある、その白亜の三層楼は旧東北軍閥の巨頭湯玉麟の私邸であつたもので壮麗を極めてゐる、陳列品は遼、宋、金時代の陶磁器を初め宋元以来の名所画、北魏以後墓誌契丹文字、哀冊その他刻絲、刺繍等珍宝三千五百点に及んでゐる(拝観料大人10銭、学生5銭、軍人学生3銭、子供1銭である。)」
  • 北大営
    • 満洲事変の発端地で、昭和6年9月18日午後10時30分張学良麾下の王以哲軍が、奉天文官屯間の柳条溝に於て満鉄線を爆破し対日戦線の挙に出た、当時虎石台守備隊第三中隊の河本中尉は数名の巡察兵を率ひ夜間警備演習中突如この爆音に接するや、直ちに其の一名を虎名台に急報せしめ一方支那兵を追撃し、寡兵よく応戦し、程なく急行軍して来た援隊と共に猛襲を加へ北大営攻略の作戦に出た、この時兵営内精兵約1万は猛然起つて我軍に迫つたが大隊本部及第一第四中隊の援隊を得て、午後11時50分敵兵舎爆撃の戦法に出で我軍は撫順鉄嶺両部隊の到着により一層優勢を加へたので、流石の支那兵も悉く浮足となり兵舎の猛火煙を見つつ御前5時20分完全に我軍に占拠された、この戦闘に於て我軍は戦死2名負傷者22名を出したが支那兵は三百廿の死体を残してゐた(奉天駅より馬車で約10時間馬車賃往復2円、自動車で30分特定料金4人乗4時間貸切10円)」
  • 同善堂
    • 奉天で最も完備し且つ古い歴史を持つ社会事業であると共に観光奉天で欠くことの出来ない所である、小西關高豪廟に在り光緒11年の設立で貧民、医務、孤苦、工芸の4部に分れ貧困児老衰者の救済、孤児の養育、授産場等も完備し、殊に私生児の捨場である救生所、遁入せる娼婦を収容する済良所、乞食を収容する楼流所などは特に珍風景である。」
  • 鉄道総局

奉天遊覧バス-奉天交通株式会社- (13コマ)

  • 全コース
    • 発車場・奉天駅前
    • 時間・午前10時発午後4時帰着
    • 走行粁・50粁
    • 所要時間・6時間
    • 遊覧コース 
      • 奉天駅-忠霊塔-国立博物館-北陵(昼食)-北塔-柳条湖-北大営-天斎廟-城内-同善堂-奉天神社-鉄道総局-鉄西工業地区-南部住宅街-奉天
    • 説明・明朗ガイドガール案内付
    • 料金 大人2.20 小人1.10
  • 短コース
    • 発車場・奉天駅前
    • 時間
      • 午前9時発午後0時半帰着
      • 午後1時発午後4時半帰着
    • 走行粁・33粁
    • 所要時間・3時間半
    • 遊覧コース
      • 奉天駅-忠霊塔-同善堂-北陵-北塔-柳条湖-北大営-城内-奉天神社-奉天
    • 説明・明朗ガイドガール案内付
    • 料金 大人1.50 小人0.75

奉天交通株式会社 編『奉天観光案内. 康徳6年度』奉天交通、1939、http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122553

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奉天遊覧バス案内

  • 全コース
    • 運行期間 自4月1日至11月30日
    • 発着時間 奉天駅前
    • 時間 毎日午前10時発 午後4時帰着
    • 所要時間 6時間
    • 走行粁 50粁
    • 料金 大人二円二十銭 小人一円十銭
    • 遊覧コース
      • 奉天駅ー忠霊塔ー国立博物館ー北陵(昼食)ー北塔ー柳条湖ー北大営ー天斎廟ー城内ー同善堂ー奉天神社ー鉄道総局ー鉄西工業地区ー南部住宅街ー奉天
  • 短コース
    • 運行期間 自3月1日至11月30日
    • 帰着場所 奉天駅前
    • 時間 毎日 午前9時発 午後0時半帰着 午後1時発 午後4時半帰着 
    • 所要時間 3時間半
    • 走行粁 33粁
    • 料金 大人一円五十銭 七十五銭
    • 遊覧コース
      • 奉天駅ー忠霊塔ー同善堂ー北陵ー柳条湖ー北大営ー城内ー奉天神社ー奉天
  • いづれも定評ある明朗ガイドガールの案内説明付
  • お申し込みは

掲載写真・キャプション解説

  • 国立博物館
    • 「古代支那文化を一堂に集め聚めた此の国立博物館満洲国文化の歴史を語るに相応しく世界に誇るものである。贅美を尽くした白聖の三層楼は、もと熱河の阿片王と謳はれた旧東北軍閥の巨頭湯玉麟華やかなりしと当時の私邸であつたものを事変後の康徳2年5月に改修、博物館として再生したもの、館内の室数は22に及び、陳列せる珍宝3千5百余点の中には遠く千六百年前の土器もあり、刻絲1枚に20万円の評価を下されてゐる等、一片の土瓦にも古を偲ぶ文化の跡が想像されて、終日飽くことを知らざる名宝が収められている。」(8コマ)
  • 室生犀星「北陵の石仏」
    • 「石仏と云つても奉天の北陵にある石獣のやうなものを見ると石仏の本格的なものであつて燦然として見惚れ、驚きと讃嘆を深くするばかりである。私はああいふ立派な石獣を見たことがない、獅子、走獣、麒麟、馬、駱駝、像、などの石獣は本物よりも大きく丸彫りにされ、石質は腐食しないでこのごろ作つたばかりのやうに見え、壮麗といふよりも、厳めしい美しさである。そのうちの二頭の石馬は太守の乗馬を形どつたものに稱はれてゐる。永年の風雨に石の肌が一さう滑らかになり、各々の石獣の首や手足の円みは製作当時よりも一層円く、柔しくなごやかに見えるー私はもつと永い間、kれらの石獣を見て居れば宜かつたと思ふくらゐであつた。帰来、どういふ石仏を見ても、これらの石獣を見たときのやうに美しさを感じたことがないからである」(9コマ)
  • 北大営
    • 「我軍僅かに五百の寡兵で、敵精鋭一万余を算する北大営に迫つた。此の夜の兵舎は何と思つてか舎内には昼をあざむく様な電燈が煌々と輝き敵状は手に取る様に明瞭に見ることが出来たので、敵機関銃の猛射をものともせず突撃を敢行、弾丸尽きも銃剣の白兵戦に次ぐる肉弾戦の苦闘の結果、遂に午前5時20分完全に日章旗を翻すことが出来た満州事変最初の激戦地で、兵舎の屋根は飛び、壁は打破かれ、今になほ残る銃痕は当時の激戦を眼のあたりそぞろ想はすものがある。」(10コマ)
  • 柳条湖
    • 「此の日昭和6年9月18日午後10時30分張学良麾下の王以哲軍は南満鉄道奉天天文官屯間北大営附近の柳条湖に於いて鉄路を爆破し、対日戦線の挙に出た。当夜虎石台守備隊第二大隊第三中隊の河本中尉は6名の兵を引率、夜間警備演習中で、北大営西の鉄道線路に沿ひ、北より南へ奉天駅の方向に向つて前進して来ると、約2百米後方の此の地点に於て大爆音を聞き、事態重大とみて直ちに部下1名を虎石台に急報せしめ、一方爆破作業の支那兵を追撃射殺し、北大営附近に迫ると塔つじょ東側の高粱畑より2百余と思はれる支那伏兵から一斉射撃を受けたので、直ちに応戦程なく急行軍して来た援隊と共に猛射を与へ、北大営攻略の戦に出たもので満州事変発祥の地として永久に記念さるべき地点である。」(10コマ)
  • 天斎廟
  • 城内
  • 同善堂
    • 「光緒7年当時天然痘が流行を極めた際、後に日清戦役の猛将、左宝貴氏が私財数万円を以つて、天然痘予防、育児、保護、貧民救済のため、開設したに始まり、現在では満洲唯一の慈善事業として堂内の収容人員も一千名を超えてゐるが、特筆すべきは救生門(捨児を受取る窓)済良所(逃避し来れる娼婦を収容する所)等で、世界各国にも類なきものと謂われてゐる。」(17コマ)
  • 奉天神社
    • 「日露戦役の故局を告ぐるや当地に移住する者年を追ふて増加発展するに至り、我が国風を維持し、国体の精華を発揚せんが為め、大正4年11月大正天皇御即位大典を機として、在奉邦人が一致協力して、その経営を進め、翌5年鎮座祭を行ひ、天照大神、明治大帝の御二柱を合祀、現在に至つてゐる。境内数万坪には樹木繁り参拝者自ら神々しさを覚える。」(17コマ)
  • 躍進途上にある鉄西工業地区
  • 東陵
    • 「東陵は旧名を福陵と云ひ、北稜並に、與京城に在る啓選山永陵と共に清朝三陵の一つで、清の太祖高皇帝を祀れる陵である。太祖高皇帝(ヌルハチ)は、満洲の山林草河が生んだ一代の英傑で、殆んど功を収めたが、惜しくも天命11年寧遠城の戦ひに敗れ、永眠されたものである。陵境たる天柱山は周囲四邦里余、四囲鬱蒼たる松林に囲まれ、剰へ渾河の清流を臨み、山を環つて流るる山紫水明の景観は北陵にも優るものである。」(18コマ)

奉天遊覧バス案内

  • 全コース
    • 運行期間 自4月1日至11月30日
    • 発着時間 奉天駅前
    • 時間 毎日午前10時発 午後4時帰着
    • 所要時間 6時間
    • 走行粁 50粁
    • 料金 大人二円二十銭 小人一円十銭
    • 遊覧コース
      • 奉天駅ー忠霊塔ー国立博物館ー北陵(昼食)ー北塔ー柳条湖ー北大営ー天斎廟ー城内ー同善堂ー奉天神社ー鉄道総局ー鉄西工業地区ー南部住宅街ー奉天
  • 短コース
    • 運行期間 自3月1日至11月30日
    • 帰着場所 奉天駅前
    • 時間 毎日 午前9時発 午後0時半帰着 午後1時発 午後4時半帰着 
    • 所要時間 3時間半
    • 走行粁 33粁
    • 料金 大人一円五十銭 七十五銭
    • 遊覧コース
      • 奉天駅ー忠霊塔ー同善堂ー北陵ー柳条湖ー北大営ー城内ー奉天神社ー奉天
  • いづれも定評ある明朗ガイドガールの案内説明付
  • お申し込みは

各種案内(19コマ)

戦跡案内
  • 概要
    • 奉天附近には至ると処に幾多の戦跡がある。祖国が興廃を賭した日露の戦ひ、近くは満洲事変に、当時の激戦を秘めて、静かに尊い英霊が眠つてゐる」
  • 大南門
    • 奉天を最後と死守する露軍32万を撃破して、3月10日大山総司令官以下の我が勇士が威風堂々奉天城に乗込んだ由緒深い関門である。」
  • 北陵
    • 「陵墓として知られているが、乃木第三軍の歩兵第28連隊の苦戦したところとして忘れることの出来ないところである。」
  • 受降ケ丘
    • 「3月10日よりの激戦で11日払暁には、丘も畑も累々として横田たはる彼我の死傷者の中に、敵も味方も疲労困憊の末、ただ茫然とし、白旗を立て、降伏する敵捕虜の数は一万を超え、軍旗一旋火砲30余門の日露戦役中、最大記録の鹵獲を得た。第6師団長はこれを永遠に記念すべく碑を二台子に建設して受降ケ丘と題した。」
  • 干洪屯(李官堡)
    • 「第二軍の苦戦したところで竹内連隊長の率ゆる歩兵第六連隊は干洪屯方面より、吉岡連隊長の率ゆる歩兵第33連隊は南方三軒家より攻勢に出たが、敵の大群の逆襲を受け、第33連隊は全滅吉岡連隊長は壮烈な戦死を遂げ、第六連隊も又竹内連隊長以下戦傷者二千数百名に及び、残る者僅かに三百克く占領地を死守して奉天大会戦の勝因を作つたところで僅か一日の戦ひに小銃弾26万を消費したと云ふ激戦地である。付近には武人の亀鑑として謳はれてゐる大越中佐自刃の地が今に尚残つてゐる。」
  • その他
    • 「沙佳子には歩兵第42連隊堀江中佐以下の墓標があり。日露戦役の関ヶ原とも称されてゐる三台子には記念碑が建てられ。萬寳山には歩兵第40連隊鵜澤大佐外29名下士以下812名の戦死者のために記念碑が建てられてゐるが、露国側に於ても特に同地には記念碑が建てられてあり、その激戦の程がそぞろ戦はれる。」
社寺と史蹟案内
  • 黄寺
    • 「本名は宝勝寺と云ひ、皇寺とも謂はれてゐる黄喇嘛教の寺である為にこの名があるが、満洲に数多くある勅建喇嘛教寺中の総本山とも称すべき名寺として知られ建物の結構荘厳なことは随一で、毎年陰暦1月14日の祭典には近郊在から、此処の有名な打鬼祭(喇嘛踊り)をみに来る人達で、さしも広大な寺内も埋め尽くされて了ふ程である。この打鬼祭は日本に於ける節分の豆撒きに匹敵する催しで、奇妙な面を被つて悪魔払いを面白く踊るものである。(小西辺門外)」
  • 太清宮
    • 満洲に有名な道教寺廟此の寺の教派は37宗12派の多きに及び、その信徒の数も全国的に広がつてゐる。」
  • 珠林寺
    • 「此処は同善堂の事業の一つとして霊柩の保管を掌つてゐる。同寺に郭松齢夫妻、張作張学良の子息等の霊が所謂呉越同舟の形で保管されてゐたが、張作霖の霊柩は康徳4年6月2日に協和会主催の下に盛大な超渡式が行はれ今は母堂並に夫人の眠る墓地、錦州鸚鵡山麓に葬られ、安らかな永遠の眠りについてゐる(小東門東へ一粁)」
  • 天壇
    • 「天壇は太祖皇帝が即位の時、此の地に来たり遥かなる天に向つて、それを告げた処で、又出征に際しては戒衣の将卒を檀下に集めて香を焚き、生贄を供へて武運長久と戦勝を天に祈つた所で、昔は丘の上に高さ9尺径9問の台が築かれてあつたと伝えられてゐるが、今はただ朽ち果てた寄り木に囲まれて、崩れかけた瓦壁によつて、やつと位置を残してゐる程度であるが、不思議なことはこの中に立つて物云ふと、遠く天とも地ともなく木霊となつて返つて来ることである。(大南辺門東へ二粁)」
近郊名勝案内
  • 元帥林
    • 張作霖の陵墓として知られてゐる。作霖の子学良が工事費150万円を以つて着工、完成直前に満洲事変となつた為、そのまま放置されてゐるがその石階、人像、獣像等はいづれも大理石を以つて作られた豪華なもので、清流渾河を臨んでまた風光にも恵まれてゐる。汽車賃・奉天より片道1.50」
  • 湯崗子
    • 「近郊唯一の温泉として有名である。天下の絶勝干山を背にして鞍山河を望み、美しき眺望に富む古城趾等の古蹟を加へてまた、旅情を慰めるには絶好の浴地である。 汽車賃 奉天より片道 1.60」
  • 龍首山
    • 「鉄嶺の龍首山はその名の如く龍首、龍尾の観に山が起伏してゐるところよりその名があるので、眼下には柴河に浮かぶ白帆は遠くみることあり、今も尚残る日露役当時のそのままの露軍の陣地や塹壕の跡もあつて、尽きぬ情緒は、千九百年の歴史を神秘な伝説に秘めてゐる8角13層の白塔と共に、奇勝地として有名である。 汽車賃 奉天より片道鉄嶺まで 1.10」
  • 遼陽
    • 「遼陽は白塔があるので有名である。神秘的な古城趾、古墳墓、城楼と太子河の河川美が長く調和して美しい風雅を持つた満洲的な景勝地として知られてゐる。 汽車賃 奉天より片道 1.00」
  • その他
    • 「橘中佐戦死の地として名高い古戦場橘山のある首山があり。(汽車賃奉天より片道1.15)分水には教育資料として有名なドルメン(石欄)がある。覆石縦横1丈3尺、厚さ1尺3寸、高さ1丈6尺の巨大なもので、石質は花崗岩で原形が完全なだけに素晴しいものである。 汽車賃 奉天より片道 2.35」
盛り場
  • 花柳街
    • 「その名も、柳町に10間房に大東区に数多い芸妓と酌婦が美を競ふてゐる。代表的な家を挙げれば、金龍亭、金楽、金白館、蔦家、菊文、梓山、湖月、松鶴、泉、よね家等がある。」
  • 平康里
    • 奉天でなければ味へない満人紅燈街で、旅の徒然に『開盤子』も一興と云ふべきである。学良華やかなりし時代には時の満人高官達が夜毎通つたと云はれてゐる。艶楽書館はその代表的なものである。」
  • ダンス
    • 「明星、スターブロード、ウエー、と三軒のポールルームがある。時局柄まり派手にやつてゐないが、内地では味はへない異国的な雰囲気だけは失はれない。」
  • カフエー
    • 「五彩に輝いたネオンに包まれて芳酵な和洋酒と美女が縫ふクツシヨンの陶酔境は、正に此処が随一、銀鈴、グランド祖国船場会館、改良軒、上陸、みち草、等、此の他に異色カフエーとしてロシア美人ばかりのボルガがある。」
  • 喫茶
    • 「最近はシークな近代的喫茶店の叛乱である。明治製菓、紫雲荘、三羽荘、アラスカランチヨン、サニー、青い鳥、羅生門、椰子園ハトヤ、美園等でロシア風としてビクトリヤがある。」
  • 食堂
    • 「簡素に手軽にそして低廉な安心して食事の出来るところは、満毛食堂、ガスピルグリル、オリエンタルその他で、高級なものにヤマトホテルグリルがある。」
  • 映画館
    • 「大陸劇場、新富座、平安座、南座奉天館、演芸館、奉天劇場、銀映劇場が満洲国策映画協会の配給下のもとに映画封切を行つてゐる、城内外には別に満人向映画上映館として、光陸電影院、雲閣電影院、亜洲電影院その他3、4館がある。」
  • 満洲芝居
    • 「北市場に中央大戯院、共盆舞台、大観茶園、場内に奉天大舞台、南市場に商埠大舞台等がある。」