史料

【史料】1920年代末期における海軍志願兵募集難とその解決策としての海事思想の普及(「昭和3年9月地方官会議ニ於ケル谷口呉鎮守府司令長官挨拶覚書」より)

旧字は適宜改め改行を施した 概要 1920年代末期、呉鎮における問題の一つに志願兵募集難があった。これに対し谷口呉鎮司令長官は地方官会議において海事思想普及の必要性を訴えている。地方長官に対し、国民を啓発することの重要性を説き、その協力を求めて…

【史料】1920年代末における呉海軍人事部の海事思想普及政策 (呉海軍人事部「地方官会議ニ於ケル人事部長口述覚書」昭和3年、昭和4年より)

旧字は適宜改めた。 概要 1920年代末期の地方官会議においては、海軍の志願兵徴募が問題になっている。特に呉鎮守府では、横須賀や佐世保が選抜採用しても余裕綽々であるのに比べ、身体・学力の面で充分に志願兵として適さない者たちが合格者に相当数含まれ…

【史料】『呉軍港案内』(呉郷土史研究会、1933年)に見る「軍港都市観光」による海事思想の普及

第一次世界大戦が総力戦となったことを見た日本は、帝国民を動員する必要性を感じ、総力戦体制の構築に努めた。海軍では海事思想の普及が求められることとなり、ワシントン軍縮後には海軍軍事普及委員会が設置され、ロンドン軍縮の際には海軍軍事普及部とし…

【史料】観光客・旅行者から見る満洲国新京市

満洲国新京市については既に論文の草稿を報告した。h30shimotsuki14.hatenablog.com その時の指導教授のコメントは、満洲国における現地住民の活動にクローズアップせよというものであった。このことは研究室訪問をした際に、研究計画書を見てもらった時から…

【史料】観光客・旅行者から見る満洲国哈爾濱市

旅行記・紀行文から満洲国の都市社会を分析するシリーズの哈爾濱編 この間、打ち込んだ史料を整理・体系化したもの。 哈爾濱市概観 植民地的都市の性質 哈爾濱の地形と建物 松花江 松花江 舟渡し 松花江の遡上 夜の松花江 松花江での淫行 埠頭区 キタイスカ…

【史料打ち込み】旅行記・紀行文のうち満洲国哈爾濱市に関する記述

※作業中 とりあえず、片っ端から打ち込み。 日付は打ち込んだ日付。これを整理体系化する。新京、奉天ときて、次の演習での報告は哈爾濱です。 11月末の演習で哈爾濱、12月の演習で論文全体の要旨の報告、1月の頭に提出という流れ。製本の事とかを考えると、…

【史料打ち込み】旅行記・紀行文のうち満洲国新京市に関する記述

作業中 とりあえず片っ端から打ち込み。日付は打ち込みをした日。あとで整理体系化する。11/15打ち込み完了 公園 吉林から新京に向かう気車内 新京銀座 売買しているのが非日本人 満人妓楼 長春浴地 未整理 関東軍司令部 新京商埠地 11/11 夜の新京情緒 新京…

【史料】観光客・旅行者から見る満洲国奉天市社会

作業中・史料づくり メモ 主査曰く、満洲研究では都市社会において日本人と中国人、露西亜人、その他民族は分断されており没交渉だったというイメージであるとのこと。そのため、鉄道や百貨店なども非日本人は日本人経営のものを利用しなかったという。また…

【史料】『満州観光連盟報』に見る満洲国の観光国策

満洲国の観光国策は、1937年に国務院総務庁情報処(のち弘報処)内に設置された観光委員会が統率した。観光委員会は鉄道総局旅客課内に事業機関として満洲観光連盟を設置し、各地の観光協会を加盟させた。観光委員会は満洲観光連盟を指導することによって満洲…

【史料】90年代末期~ゼロ年代前半における当時の新聞報道の『北へ。』に関する記事

コンテンツツーリズム論演習で使う用のメモ。 当時の新聞報道を読んでいると、拓銀の経営破綻により深刻な不況となった北海道経済を再生するため他都府県からの観光客誘致を狙ったゲームだったことが分かる。 【目次】『北へ。』に関する各新聞記事 1998年 …

【史料】観光案内・パンフレットにおける哈爾濱に関する記述

新京、奉天と史料作成が進んだので、最後は哈爾濱。日本が建設した新京、清朝の古都奉天、そしてロシアが建設した都市である哈爾濱。これら3都市が満洲国の観光事業においてどのような役割を果たしていたか、各都市の観光資源・地域資源にはどのような機能を…

【史料】観光案内・パンフレットにおける奉天に関する記述

満洲事情案内所 編『まんしう事情』満洲事情案内所、昭11(1936)、89-90頁 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268420/56 『鮮満支旅の栞』南満洲鉄道東京支社、昭和14(1939)、73-79頁 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122541 名勝地 【視察の順序】(7…

【史料】満洲国における各観光事業団の年度別事業(昭和13年度~昭和16年度)

満洲国の観光政策は、国務院総務庁弘報処内に設置された観光委員会が担い、満洲観光連盟を設けて各都市の観光協会を加盟させこれを統制した。ここでは昭和13年度~昭和16年度に行われた満洲観光連盟及び奉天・新京・哈爾濱各都市の年度別事業をまとめておく…

【史料】『満洲グラフ』における京図線・北鮮三港に関する記述

分類 京図線関係 「日満最短交通路の完成へ 拉濱線新設工事」 「日鮮満直通幹線成る」 「満洲鉄道巡り 京図線の巻き」 羅津港関係 「羅津開港祝賀の日」 「日満捷路の大関門・羅津港」 「日本海中心時代来る!羅津港の出現」 「若き大羅津港」 「羅津の双翼 …

【史料】北鮮航路日本海ルートを利用した満洲国の旅行記・紀行文の記述

満洲国の旅行に北鮮航路日本海ルートを使った人々が、どのような心象を抱いたか。 四ツ橋銀太郎『満鮮を旅する』自家出版、1934 山形県教育会満鮮視察団編『満鮮の旅(視察報告)』山形県教育会満鮮視察団、1935 東海商工会議所聯合会視察団鮮満視察団編『満鮮…

【史料】満洲国旅行記に見る満洲国三大都市(新京・奉天・哈爾濱)

進捗メモ 史料づくり中。 最初、国会図書館デジタルをそのまま直打ちしていたが、時間がかかりすぎるうえ、17時で大学図書館が閉まってしまう。市立図書館なら20時までやっているが、遠い。早くしないと雪が降ってきてしまう。そのため多少カネがかかるが、…

【史料】各種パンフレット及び観光案内に見る新京に関する記述

※作業中 終わる気がしない 『観光地と洋式ホテル』、鉄道省、1934 「新京」(87-88頁) 「新京は満洲国の首府で、松花江と遼河の両流域に跨る沃野の枢軸に地位を占め、夙に満洲に於ける農産物の一大集散地として知られ初冬から晩春にかけて運パされる大豆、雑…

【史料】『満洲グラフ』における新京に関する記述

※作業中復刻版は複数の雑誌を編纂したものであり、発行当時の各巻のページ表記ではなく、復刻版通してのページ数となっている。 『満洲グラフ』復刻版第1巻 「国都建設」(8-9頁)/(『満洲グラフ』第1巻第1号(1号) 昭和8(1933)年9月15日発行) 内容 見開き2頁…

【史料】『満支旅行年鑑』における新京の記述について

ジャパン・ツーリスト・ビューロー(東亜旅行社、東亜交通社)から出版されていた『満支旅行年鑑』は昭和14年版~昭和19年版まであるが、そこでは各都市の紹介及び戦跡に関する解説が掲載されている。各版ごとに記述内容は若干異なるが大筋はほぼ同じである。…

【史料】新聞報道された満洲国の紀行文・旅行記について

【随時追加】コロニアルツーリズム×コンテンツツーリズム。 1932年~1945年における満洲国の小説・紀行文・体験記を分析することで、何が観光資源となっていたのかを明らかにするという。 1932年 「中村少佐慰霊の旅」、『朝日新聞』、東京/朝刊、1932年3月1…