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  • 岩間一弘「『旅行満洲』に見る都市・鉄道・帝国の食文化―「満洲料理」・「満洲食」の創成をめぐって」(『『旅行満洲』解説・総目次・索引』不二出版、2019、67-83頁)

    • この論稿の趣旨
      • 満洲国では国民料理・国民食の創出が目指されたが、それは日本人が主導したものであったため、満洲帝国崩壊後、日本には焼き餃子やジンギスカンが料理が定着した一方で中国東北部では痕跡を残すことすらなかった。

    以下、参考になった箇所

    • 満洲料理創成による満洲国の正当化
      • 「〔……〕満洲国独自の食文化が作り出されようとしていたことは、今ではあまり知られていない〔……〕満洲国という新たな国家の「国民料理」「国民食」(国民国家の枠組みのなかで体系化・制度化された料理や食品)の創成を目指そうとしていたといえる。ただし、満洲国は日本の「傀儡政権」「植民地国家」という面があり、満洲食文化の創成も日本人の主導で進められることになり、とりわけ南満州鉄道株式会社が重要な役割を果たした。」(67頁)
    • 満鉄食堂車に求められた満洲料理
      • 「〔……〕列車食堂において、満洲および内蒙古の豊富な牛・豚・鶏・大豆・高粱などの材料を取り入れた「満洲料理」を考案して提供すべきだという意見が、根強く存在していた〔……〕満鉄の食堂車は〔……〕満洲の豊富な素材を用いた「満洲料理」を考案したり、満洲国各地方の名物を紹介したりすることも求められていた。こうして、満洲国の「国民料理」「国民食」が食堂車から創られようとしていた。」(72-73頁)
    • 支那料理とは異なる満洲独自の郷土料理
      • 「〔……〕満洲国の建国後には、まず名称の上で「満洲料理」を「支那料理」と区別し、それに内実を伴わせる取り組みが始まっていたことに注目する必要がある。〔……〕このような「満洲料理」の象徴になれたのは、餃子・饅頭(包子)・餅をはじめとする日常的な主食類、そして雉・ウズラ・羊・スッポンといった豊富にとれる珍しい食材を使った料理である。なかでも有名になったのは、ジンギスカン料理であった。〔……〕1913年10月に満鉄第二代総裁の中村是公が北京を訪れた際〔……〕「成吉思汗時代の鋤焼鍋なるもの」の珍味に驚かされた。大連にもどった中村総裁は、1913年11月8日夜、官民の名士を「満洲館」に招待して「鋤焼会の饗応」を行った。これが満洲の日本人社会にジンギスカン料理が伝わった最初の記録である。〔……〕満洲国建国の頃までに、ジンギスカン料理が満洲に広まり、日本でもそれが満洲の料理であると認知されていた〔……〕1935年9月には、大連の星ヶ浦ヤマトホテルが、「ジンギスカン鍋」を「満洲名物」として呼び声をあげている。さらに1938年には、新京ヤマトホテルの納涼園が「ヤマト成吉思汗鍋」を始めて、「国都名物」として観光客を喜ばせようとしている。このように満鉄の経営するヤマトホテルが観光客に向けて、ジンギスカン料理を「満洲」「国都」の名物に仕立て上げていった。それによってジンギスカン料理は、建国後間もない満洲国で創成されるべき「満洲料理」に欠かせない一品となったのである。」(74-76頁)
    • 満洲土産の創出と観光業
      • 「〔……〕JTB大連支部は、満洲の名物、土産物を創り出すことにきわめて熱心に取り組んでいた。1934年夏には、JTB大連(満洲)支部主催の「満洲土産展覧会」が、大連三越奉天貿易館などで数日間開催された。〔……〕また、1937年3月には、満鉄の鉄道総局が各鉄路局、鉄道事務所に「満洲における名産物及び土産物に関する調査」を実施させている。〔……〕このように各地方の名物、土産物を体系的に調査して改良することが、すなわち「満洲食」の発展を促して、満洲国および帝国日本の外貨獲得や国威発揚につなげる意図をもっていたことはいうまでもない」(77頁)
    • 満洲国崩壊後の満洲料理
      • 「〔……〕中国食文化の中心地は北平(北京)や上海であり、満洲はその周縁と認識されていたのである。だからこそ、とりわけ満洲国の建国後、独自の「満洲料理」「満洲食」を創成、発信することが試みられた。『旅行満洲』『観光東亜』の誌面では、ユニークな名称の満洲名産品、土産物、さらにはヤマトビフテキジンギスカン料理のような名物料理があちこちで目にとまる。しかし、中国料理(「支那料理」)と区別される「満洲料理」「満洲食」は、満洲国を建国した日本人が日本人旅行者のために創り出そうとしていた面が強い。この過程において「満(洲)人」はその主体的な生産者としてではなく、追従する消費者として時折登場するにすぎない。その意味で「満洲料理」「満洲食」は、戦後の日本でジンギスカン料理や焼き餃子が普及した一方、中国東北部では満洲国崩壊後にほとんど痕跡をとどめないこととなった。」(78-79頁)