2020-06-24 近現代東南アジア史【1】英領マレーと英領ビルマ 受験世界史 近現代東南アジア史 1.英領マレー (1)マレー半島・ボルネオ島北部の植民地化 (2)戦後の英領マレー 2.英領ビルマ (1)植民地化 (2)独立運動 (3)戦後ビルマ 1.英領マレー (1)マレー半島・ボルネオ島北部の植民地化 ①マレー半島周辺 18世紀末~19世紀初め…ペナン・マラッカ・シンガポールをイギリスが獲得。ジャワを占領。 1824年 英蘭協約…ナポレオン戦争後、東南アジアの勢力範囲を確定。マラッカ海峡を境界として、北側のマレー半島がイギリスの勢力圏、南側のジャワ島・スマトラ島などがオランダの勢力圏となった。 1826年 海峡植民地…ペナン・マラッカ・シンガポールをあわせて成立させた植民地。 1870年代 港市支配から領域支配 へ転換。 錫の利権をめぐる中国人とマレー人ムスリムに介入。 1895年 マレー連合州 …マレー半島を保護領化して組織。 20世紀 インドから大量の移民(印僑)を導入し、広大な未開地をゴム・プランテーションとして開発。 ②ボルネオ島北部…1888年保護領 (2)戦後の英領マレー 英領マレー→マラヤ連邦→マレーシア連邦 英領マレーは1957年にイギリス連邦内の自治領としてマラヤ連邦となり63年にマレーシア連邦を形成。しかしマレーシアを構成するシンガポールは華僑の力が強く離脱して独立(1965)。 1957:マラヤ連邦として独立 1963:マレーシア成立;マラヤ連邦+シンガポール+英領ボルネオ 1965:シンガポール分離独立…マレー人優遇政策に対し、中国系住民の多いシンガポールが反発。 2.英領ビルマ (1)植民地化 併合…アッサムに進出したコンバウン朝を三次にわたるビルマ戦争でインド帝国に併合。 開発…南部のデルタ地帯の水田稲作開発を進めて世界市場に組み込む。 (2)独立運動 ☆1920年代から民族運動が始まる。1935年の新インド統治法でインドからの分離が決定(37年分離)。30年代後半から本格的な反英独立闘争が進展した。 ①タキン党 「われらビルマ人教会」。30年代半ばからビルマの即時完全独立を要求し、おもに都市部で活動した。 ②アウン=サン ビルマ独立運動の指導者。太平洋戦争中は日本軍に協力したが、44年反ファシスト人民自由連盟を組織して、抗日に転じた。 (3)戦後ビルマ 1948年 イギリス連邦から離れて独立 → 62年以降ネ=ウィンにより社会主義化