雑録

アフリカ史 高校世界史におけるアフリカの歴史(エジプトを除く)

1.アフリカの古王国とイスラーム

(1)ナイル川流域

(2)サハラ以南の西アフリカ

  • ②マリ王国 (1240-1473)
    • a.建国:1240年、マンディンゴ人が建国 → 支配階級がイスラーム教受容
    • b.都市:トンブクトゥムスリム商人が居留し、交易・文化の中心として繁栄
    • c.最盛期
      • 14世紀前半:マンサ=ムーサ王…メッカ巡礼を行う (※大量に金を使用し相場混乱!)
      • 14世紀後半:イブン=バットゥータが来訪(※『三大陸周遊記』で有名な人物)
    • d.滅亡:ソンガイ王国に滅ぼされる。

(3)チャド湖周辺

  • ネム=ボルヌー王国(8世紀頃~1846)
    • 建国:8世紀頃、チャド湖東岸のカネムにおいて建国。
    • イスラーム受容:11世紀末にイスラーム教を受け入れた。
    • 遷都:内紛を避けて14世紀にチャド湖西岸のボルヌー地方に遷都し、16世紀後半に最盛期を迎えた。

(4)東アフリカ

  • ①アフリカ東海岸
    • 10世紀以降インド洋貿易の発展で赤道以南の海港都市が発展→内陸部から象牙や奴隷を入手し売る。
    • スワヒリ文化…原住黒人のバントゥー語とアラビア語が混在してスワヒリ語が発生→商業用共通語
  • ザンベジ川流域
    • ジンバブエ遺跡…巨大な石造建築の遺跡。「ジンバブエ」とはショナ語で「石の家」の意味。遺跡からは交易によるインド産ガラス玉や中国産陶磁器などが出土している。
    • モノモタパ王国…ザンベジ川流域を支配。内陸部の鉱産資源とインド洋貿易によって繁栄。

(5)北西アフリカ

(5)-1.イドリース朝(789~926)
  • ①地域:アッバース朝の支配が及ばない北アフリカの西端モロッコ
  • ②特徴:第4代カリフ・アリーの子孫がベルベル人の支持を得てモロッコに樹立した王朝。史上最初のシーア派王朝ともいわれるが、シーア派としての主張は前面に出さなかった。ファーティマ朝により滅亡。
  • ③対外関係:アッバース朝カリフの権威を尊重。
(5)-2.ムラービト朝(1056~1147)
(5)-3.ムワッヒド朝(1130~1269)
(5)-4.ナスル朝(1232~1492)

     ※1492年にはスペイン女王イサベルの援助を受けたコロンブスバハマ諸島に到達。

2.十字軍及び明朝とアフリカ

3.大航海時代のアフリカ

ポルトガル海上進出

  • エンリケ航海王子がセウタを攻略してアフリカ西岸探検を開始。
  • ※彼自身は船酔いがひどく、ほとんど航海をしなかった。
  • ②1488年、バルトロメウ=ディアスがアフリカ最南端に到達
  • ※ディアス自身は最南端を「嵐の岬」と命名したが、ジョアン2世が「喜望峰」とした。
  • ③1498年、ヴァスコ=ダ=ガマがインド西岸のカリカットに到達 → インド航路開く

4.大西洋奴隷貿易の展開

(1)アシエント

  • アシエントとは?
    • スペイン領ラテンアメリカに対する奴隷供給権。スペインは奴隷供給地のアフリカ西海岸に拠点がなかったので奴隷購入のため、外国商人に奴隷供給の特権を認める。
      • →利益が大きかったので、18世紀の諸戦争の一因となる。
    • ユトレヒト条約 (1713)でイギリスが西アフリカから西インドへの黒人奴隷輸出独占権(アシエント)を獲得。

(2)アフリカ社会への打撃

  • 奴隷貿易積極的参加国…ポルトガル・イギリス・フランス
  • ②大西洋三角貿易
    • ヨーロッパからアフリカへ…火器・雑貨
    • アフリカから南北アメリカへ…黒人奴隷
    • 南北アメリカからヨーロッパへ…砂糖・綿花・煙草・コーヒー
  • ③奴隷狩り
    • アフリカ西海岸には、ヨーロッパ人から手に入れた武器を用いて、奥地で奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売り渡すことで発展するダホメー王国やベニン王国などが出現!
  • ④アフリカが低開発である要因
    • 奴隷貿易で連行されたアフリカ人奴隷は数千万人にのぼり、働き盛りの労働力を奪われたアフリカ社会に深刻な打撃を与える。

5.オスマン帝国属州下のアフリカ

(1)北アフリカ

(2)モロッコ

  • ①独立王朝…16世紀中頃からシャリーフ(ムハンマドの子孫)政権が支配。スペインやポルトガルの侵攻を撃退。。
  • ②立憲政への動き…日露戦争における立憲政の勝利にモロッコも影響される。
  • ③フランス保護国化…モロッコ事件(タンジール事件→アルヘシラス会議→タンジール事件)を経て、1912年に保護国化。

6.ヨーロッパとアフリカ分割

(1)アフリカ分割

  • ①1870年代→アフリカ沿岸部の支配に限られていた。
  • 1880年代→内陸部にも支配が展開 「アフリカ分割」
    • 植民地化を免れた国
    • (a)エチオピア帝国…名君メネリク2世のもとで対仏援助を引きだし、伊軍の侵攻を撃退。列強対立を利用して、巧みに独立を守る。しかし1935年の伊のムッソリーニに侵攻を受け、翌36年併合された。
    • (b)リベリア共和国…1822年以降アメリカ植民地協会の援助で入植した黒人解放奴隷が1847年に独立を宣言した共和国。国名リベリアはliberty(自由)からきているとの説がある。
  • ③アフリカ分割が激化した契機
    • ベルリン=コンゴ会議…ベルギー王レオポルド2世によるコンゴ領有宣言にイギリスなどが反発した際ビ スマルクが仲介して開かれた。アフリカは「無主の地」とみなされ「先占権」と「実効支配」の原則が決められた。
    • コンゴ…レオポルド2世がスタンリーのアフリカ探検を援助。ベルリン=コンゴ会議で1885年にコンゴ自由国を設置(実態はレオポルド2世の私有領→1908年にベルギーの正式な植民地となる)。

(2)アフリカ分割をめぐる英仏対立

  • ①イギリスの縦断政策…エジプトとケープ植民地を結ぶ。カイロとケープをさらにインドのカルカッタにつなげる3C政策を追求。
  • ②フランスの横断政策…アルジェリアチュニジアを拠点に、サハラ砂漠の南辺に沿って西アフリカから東海岸(ジブチ)に至る。
  • ③ファショダ事件…スーダン南東部のファショダで英仏が衝突。当時スーダンはエジプト統治下にあったが、フランスが占領したため、イギリスが進軍した。英仏が独の強大化を警戒して妥協が成立。
    • ⇒1904年英仏協商エジプトにおける英の支配的地位と、モロッコにおける仏の支配的地位を認め合い独に対抗

(3)南アフリカ戦争(1899~1902) ボーア戦争 ・ブール戦争とも

  • ①ケープ植民相セシル=ローズの侵攻政策
    • ボーア人(ブール人)はケープ地域のオランダ系子孫。ウィーン会議でケープ地域が蘭領から英領となって以来北に移住し、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国を建てた。金とダイヤモンドが発見されたため、セシル=ローズは帝国主義侵略戦争開始。
      • 1906年イギリスがボーア人に先住民への優越権を与えたことがアパルトヘイトの先駆けとなった。
  • ②第三次ソールズベリ内閣(任1895~1902)
    • 南アフリカ戦争( 1899~1902)…植民相[20. ジョゼフ=チェンバレン ]が、ケープ首相セシル=ローズの業績を引き継ぎ、アフリカーナ(蘭系白人)を侵略!

(4)ドイツのアフリカ分割

  • 1880年代 ⇒カメルーン・南西アフリカ・東アフリカなどを獲得するが、経済的価値に乏しい
  • ②20世紀 ⇒ 新たな植民地獲得を目指して、2度のモロッコ事件を起こす。
    • 1905年 第一次モロッコ事件…英仏協商によるモロッコにおける仏の優位に独が抗議。ヴィルヘルム2世がタンジールに上陸し、列国会議を要求。1906年のアルヘシラス会議で独の要求は却下。
    • 1911年 第二次モロッコ事件…独が砲艦をアカディールに派遣して仏を牽制。独は仏領コンゴの一部が与えられるにとどまった。モロッコは1912年仏の保護国(一部スペイン)。

(5)イタリアのアフリカ分割

  • ①東アフリカ進出…エリトリアソマリランド獲得
    • エリトリア…エチオピア北部の紅海に面する地域。ベルリン=コンゴ会議(1884~85)でエチオピアから分離され伊領。
  • ②アドワの戦い…エチオピア侵略戦争をしかけるも敗退。フランスから武器貸与を受けたメネリク2世がゲリラ戦で完勝した。イタリアは無力を露呈したと言われる。
  • ③伊土戦争(1911~1912)…列強の関心が第二次モロッコ事件に向いている中、トルコからトリポリ・キレナイカ(現リビア)を奪う

(6)ポルトガル領アフリカ植民地帝国

(7)アフリカ社会・文化への打撃

  • ①アフリカの内部対立がヨーロッパの軍事支配により利用される。
  • ②植民地化の区分けは現地社会を無視。帝国主義列強の力関係で決まる。
  • ③土地と資源が収奪され、人頭税・小屋税(世帯単位の税)が課される。
  • ④過酷な労働(商品作物の栽培、プランテーション、鉱山など)

7.アフリカの民族運動

(1)南アフリカ原住民民族会議(1912) → のち南アフリカ民族会議(ANC)

(2)パン=アフリカニズム

在外アフリカ系知識人による、アフリカ系諸民族の主体性回復・独立と統一をかかげる運動

  • ①パン=アフリカ会議
    • パン=アフリカニズム推進のための会議。1919年にアメリカ合衆国の黒人解放指導者[26. デュボイス ]がパリにおいて第1回会議を開催した。
    • デュボイス…アメリカ人の黒人解放運動家。ナイアガラ運動を組織してアフリカの黒人の市民権確立を目指した。

(3)西アフリカ国民会議

  • 年譜
    • 1920年  イギリス領ガーナで開かれた民族主義運動のための会議
    • 1940年代 エンクルマがゴールドコースト会議人民党をつくり民族運動を進める。
    • 1957年  最初の黒人アフリカ独立国ガーナを誕生させる
  • 主導権の推移
    • パン=アフリカニズムの主導権はアフリカ現地の人々に移り、ガーナのンクルマ(エンクルマ)が指導者となり、アフリカの統一と独立を目指した。
      • ンクルマ…パン=アフリカニズム運動を推進してガーナを独立に導いた。アフリカ合衆国構想を唱えたが、軍部にクーデタを起こされ失脚した。

(4)19世紀末~20世紀初頭のアフリカ民族運動まとめ

  • ①マフディーの乱(1881~98)
    • マフディー(救世主)を称するムハンマド=アフマドに率いられたスーダンのイスラーム教徒による反英抵抗戦争。
  • ②サモリ=トゥーレの対仏抗争(1891~98)
    • ギニアの民族運動家サモリ=トゥーレがイスラーム信仰を背景にサモリ帝国を建て、フランスの侵略に対抗した。サモリはギニア独立の父:セクトゥーレの曽祖父。
  • ③アドワの戦い(1896)
    • イタリア軍のエチオピア侵入で起こった戦闘。エチオピア皇帝メネリク2世がフランスから武器を提供されゲリラ戦で完勝。しかしエチオピアは1936年にイタリアに併合されている。
  • ④マジ=マジ反乱(1905~07)
    • ドイツ領東アフリカ(現・タンザニア)で綿花強制栽培への反対から起こった対ドイツ反乱。白人の力を弱めると信じられた「魔法の水」(マジ)を飲んで戦ったことからの呼称。

8.アフリカの独立

※アフリカの年…1960年のこと。17の新興国がいっせいに独立したのでこう呼ぶ。

(1)英領アフリカ

(2)仏領北アフリカ

(3)エチオピア情勢

9.独立後のアフリカ問題点

  • ポルトガル植民地
  • コンゴ動乱
    • 独立直後のコンゴ全土で反白人暴動が発生。経済的利権の維持をねらうベルギーは重要鉱物資源の豊富なカタンガ州を分離独立させるために軍事介入。アメリカも分離独立派(モブツ派)を支援して武力介入。激しい内戦となり、コンゴ独立運動の指導者ルムンバは殺害された。
      • cf.新植民地主義…旧来の政治・軍事支配を避けて、経済支配を維持して実質的な支配を続けようとするもの。先進国の多国籍企業開発途上国に進出し、莫大な利益を得続けている構造。コンゴは地下資源に恵まれ戦略的要地でもあったので多くの欧米諸国の介入を受け、新植民地主義に翻弄された。
  • ③経済的な問題
    • 新興独立国の経済は、植民地保有国の経済的利益に沿って開発されてきたので自立の基盤が弱い。
    • 交通網、電気、水道などの社会的インフラストラクチャーや教育、医療などの社会制度がほとんど整備されていない。
  • ④独立はしたけれど・・・
    • 軍事独裁政権…独立後の政治、経済は不安定で部族主義の対立による内戦やクーデタが頻発。武力により支配を行う政権が諸地域で登場。
    • 先進国の援助に依存…新興独立国家当初の勢いは喪失。先進国の援助による近代化を目指す。
  • ⑤多発する地域紛争
    • 米ソ冷戦体制の規制力の衰退の影響
    • 1980年代~地域的覇権をめざす国際紛争民族主義や宗教対立による内戦やテロ活動、地域主義の動き
    • ルワンダブルンジ内戦(1990~94)…ツチ族フツ族の部族対立が内戦に発展。現代アフリカ史上最悪といわれるフツ族によるツチ族の大量虐殺、難民の発生、難民キャンプでの伝染病の流行など悲惨な状況に陥った。