江島絵里『対ありでした。』1巻の感想・レビュー

「綺麗なゲーミングお嬢様」との俗称で有名な作品。
格ゲーと決別するため全寮制のお嬢様学校に入学した庶民が主人公。
だがそこで隠れて格ゲーをする深窓の令嬢「白百合さま」に遭遇する。
瞬時に主人公を格ゲーマーと見抜いた白百合さまは対戦を挑んで来る。
白百合さまの情熱に絆された主人公は再びアケコンを握る。
接戦の末主人公は白百合さまを負かすが速攻リベンジを食らう。
そこには長年主人公が求めていた自分を負かしてくれる存在がいたのだ!

小学生の時に誰もが持っていた「理由なく全力になれる」心意気

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  • 格ゲーに対する熱意の喪失
    • 主人公は小学生の時に格ゲーに嵌った「男子と遊んでた系女子」。しかし成長するごとに男友達の興味は格ゲーから離れていき、孤独を深めていく。自分だけがこんなにも格ゲーに拘っていたのだ。対人戦こそが主人公を格ゲー沼に落としていた原動力。それ故、周囲に「遊び相手」がいなくなると次第に格ゲーへの熱意が冷めていった。自分の打ち込んでいたものに対する興味の喪失。主人公は心機一転するために、格ゲーとは無縁なお嬢様学校に飛び込み新たな生き甲斐を探そうとする。しかし格ゲーの魔の手から主人公は逃れることは出来ない。なんと空き教室にPCとアケコンを持ち込み格ゲーするお嬢様と遭遇してしまうのだ。彼女は『マリみて』でいう所の祥子様のように(キャラデザ的には志摩子様)抜きんでたお嬢様として崇拝の対象となっていた。その名も「白百合さま」。白百合さまは主人公の弁論を一切無視し、対戦を挑んで来る。第1巻では白百合さまを潰そうと対戦を重ねることで、主人公が喪失した格ゲーに対する情熱を取り戻していく。

 
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  • 小学生の時に持っていた情熱
    • なぜ白百合様はこんなにも主人公に立ち向かってくるのか。情熱を失った主人公はその根源を知りたがる。結論をあらかじめ述べれば、それは「小学生」であった。主人公は「小学生」のままでありたかったのに、それを否定された側の人間。ある意味それは成長として正しい。だからこそ、生きることに必死でアレコレと生きる目的を探していたのだ。だが遅ればせながら小学生から脱皮しアイデンティティの確立を模索する主人公に対し、白百合さまは小学生ココロで挑んできたのである。なぜ白百合さまは小学生ココロを保ったままここまでこれたのだろうか。それは1巻では語られないが、主人公は自分がかつて持っていた情熱を白百合さまの中に見出していく。「小学生なんだこいつは だから思い通りにいかないと無くしー 明日のことは考えてない "今"勝つことがすべて 明日のためじゃなくて なにかのためじゃなくて 理由(わけ)もないのに全力だった(勝ちたかった)」。主人公が熱意を喪失したのは、同志の欠如。だからこそ白百合さまという存在が主人公を滾らせるのである。格ゲー世界大会のパキスタン人の逸話を思い出した。突如無名のパキスタン人が優勝をかっさらった背景には、パキスタンが対人戦のメッカとなっていたってやつ。接戦を制した主人公が思わず勝利の雄叫びをあげるところは最大のクライマックスとなっている。また、速攻で白百合さまにリベンジを食らったことで、自分を負かすために努力し実際に負かしてくれるという長年求めてやまなかった存在であることを知るのである。感動。


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