倫理 西洋思想【10】個人と社会のかかわり②人間存在の地平(実存主義)

【目次】

0.実存主義の背景

0-1.大衆社会の成立

  • ①資本主義 → 人間疎外の状況(画一化) → 無力感・不安感・孤独感を日常の惰性的生活で癒す →大衆化
  • ②大衆の特性
    • 「個性的で主体的な真の自己」を創造していくことを放棄して、安易で怠惰な日常性(マイホーム主義、家族生活、大衆娯楽)へ逃避する。
    • 無気力に世間的常識や流行に自分を順応させ、きびしい自己創造の自覚的努力を放棄し、一般的な平均人として生きる。

0-2.実存主義とは何か?

  • 現代社会の疎外状況を直視し、各個人の内面的な自覚・決断・努力によって、誰とも取り換えのきかない、かけがえのない主体性を確立し、このことによって人間の自己疎外を克服することを目指す思想。

  • Cf.人間疎外を社会体制の変革により克服しようとしたマルクス主義と対比せよ!

1.キルケゴール【超越者との出会い】

1-1.思想的背景

  • 父親が貧しさにより神を呪う&父がメイドを結婚前に孕ませてしまう(大地震)
  • 10歳年下のレギーネに対して婚約を破棄

 

1-2.例外者と主体的真理

  • a.現代はニンゲンが画一化・平均化している「水平化の時代」⇒個性的、主体的に生きる人間、真に実存する人間が必要 ⇒単独者、例外者として生きる人間!!
    • たった一度しかない自分の人生を納得のいくように生きること・自分を見失わずに独力で己が人生を切り開くこと・自由な主体として生きること
  • b.ヘーゲル批判
    • ヘーゲルは、客観的真理・普遍的真理の重要性を主張するが・・・そんな真理はホントウにあるの?
    • 「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見する」ことが重要。
      • ※私だけに当てはまる真理=主体的真理

1-3.宗教的実存

  • 実存の三段階
    • ①美的実存…官能的で享楽的な生き方 →絶望 → 倦怠、虚無、不安
    • ②倫理的実存…良心に従う、あれか、これか → 絶望 → 自己の無力、有限性
    • ③宗教的実存…単独者として神の前に立つ
  • 絶対者と実存
    • 自己の自由な決断(理性ではなく信仰の熱情)によって、絶対者としての神と結びついたとき、真の人間性の主体性が実現される。

2.ニーチェ【神の死と超人】

2-1.ニヒリズム(虚無主義)の時代

  • 力への意志
    • 人間はもともと「力への意志」(自己の弱さにうちかって、より強くより高くなろうとし、新しい人生の価値を作り上げていく意志)をもっていたが・・・
  • キリスト教は奴隷道徳
    • 富裕階層は社会的弱者を虐待する。社会的弱者は宗教により自己の人生を正当化する。
      • 「カネモチになりたい。でもなれない」⇒キリスト教:天国は貧しき者のもの(無能さの正当化)
    • 強者へのルサンチマン(怨恨)から、想像の世界で復讐する(キリスト教の創造)

2-2.超人

キリスト教道徳(奴隷道徳)からの人間性を解放せよ!!

②「神は死んだ」:既成の道徳や価値観、人間が支えとしてきた一切の価値を破壊。

③では、神に代わって何を目標とし、何を支えとすべきか?

④「超人」…力への意志に燃え、イキイキとした人生をおくり、新しい価値を創造する人間

⑤現実世界を「永劫回帰」と認識。(世界には目的もなく、意味もない、永遠の繰り返しであり、同一の姿・順序での生成流転の世界であるとする考え方)

⑥運命愛…ニヒリズムの世界を直視、肯定し、愛し、「これが人生か、ならばもう一度」と運命を受容する。無意味な人生の悲惨さを乗り越え、ニヒリズムを克服しようというのが、神無き世界を生き抜く超人の姿。

3.ヤスパース【実存的交わり】

3-1.限界状況

①限界状況(死・苦・戦い・罪)に直面

②自己の有限性を認識

③包括者(超越者)との出会い

④他者との実存的交わり(愛しながらの戦い)

⑤実存に目覚める(理性的思考により解明)

3-2.自己の有限性の自覚

  • 限界状況に突き当たることで、人は包括者を知ることができるようになる。
  • 実存は、ともに生きる他者との全人格的な交流(実存的交わり)によって解明される。

4.ハイデッガー【死への存在】

4-1.「存在とは何か」

①事物や人間が存在するとはどういうことなのか?←フッサール現象学の影響

②現存在(ダーザイン)…「存在するとは何か」ということや「そもそも何かが存在するとはどういうことか」を問うことが出来る存在。事物的存在(モノ)は単に存在するだけだが、現存在(ヒト)は存在の意味を問うことができる。

③世界内存在とは?…人間は世界の外部から世界を客観的に眺めることはできない。常に世界の内部から世界を解釈して生きている。現存在は世界の中に投げ出され(被投性)世界のうちで世界にかかわる。

4-2.「ダス=マン」への頽落

①世界内存在としての人間は、周囲に合わせて行動し、主体性を喪失

②没個性的な、誰にもあてはまる既製品のような人間へと頽落した人間=「ダス・マン」となる

③人間は本来的に死へと投げ出されている存在であるが・・・

④不安から目を逸らし、逃避や気晴らしのため、日常生活に埋没し、おしゃべりにふけり、好奇心の虜になり、曖昧さに安住している。

⑤存在の忘却(「存在」とは何かなど問わなくなる)と故郷の喪失(本当の自分とその拠り所を見失って生きる)

⑥人間は「死への存在」であることを自覚せよ。「死への先駆的決意」

⑦現存在としての人間は「死への存在」であり、死という有限性を自覚することによって、本来の自己の生き方である実存に達する。

5.サルトル【自由と責任】

5-1.「実存は本質に先立つ」…人間はまず存在し、そのあとで自らを作り上げていく。

①投企的存在…人間は将来を選ぶ自由をもち、自分自身を作り上げていく存在

②事物はそれ自体で存在する「即自存在」だが、人間は未来に向かって新しい自己を形成しようとする「対自存在」である

5-2.「人間は自由の刑に処せられている」

・自己の人生は自己の自由な意志によって決められるが・・・その責任はすべて自分にある。
・自由であることは、きわめて厳しく、重荷のように私たちに覆いかぶさってくる。
・人間は自由から逃げられないので、不安を乗り越え、自由にともなう責任を貫く必要性がある

5-3.アンガージュマン(社会参加)

①我々の日常的な選択が他者関係に影響を与える。

②私たちがある生き方を選択することは、自分を選ぶと同時に全人類を選び取ること

③全人類という集団に自己を参加させる(アンガージュマン)

④自覚して自己の在り方を選択することは、社会や全人類の運命や将来に対して、各自が道徳的責任を持つ。

⑤人間の自由や尊厳の保障のためには、社会的に連帯することが必要!!

【補】カミュ『シーシュポスの神話』【不条理の哲学】

  • シーシュポスとは
    • ギリシア神話においてゼウスの怒りをかい地獄に落とされ刑罰を受ける。その刑罰とは山の頂上に大きな岩を運ぶことだが、運び上げると転がり落ち、その繰り返しが永遠に続く。絶望的で無益な刑罰を受け続けることがシーシュポスの人生。
  • カミュの不条理哲学
    • カミュは人間の人生をシーシュポスの刑罰のようなものであるする。人々がこの世界に生まれたことには何の必然性もない。この世界で生きることには意味も目的もないのだ。不条理とは、不可思議と矛盾に満ち何ら意味も目的もないこの世界のなかで生きる意義を求めなければならないことである。
    • カミュは、不条理に向かって人生は生きるに値するかと問い続けることが哲学であるとする。不条理のなかで、自分として人生を生き続けることに人間としての存在を求めた。