【感想】鬱ごはん 第151話「のど飴と流星群」を読んだ

労働は全て虚無。知識の習得も全て虚無。生きることも。
どんな仕事でも対人関係は避けられない。第三次産業だと尚更そうである。
人によって価値観は違うものであるのだから万人受けすることなどあり得ない。
100のうち99良いことがあっても、1つでも悪いことがあれば気分は下がっていく。
こうして心は死に虚無となり淡々と動作をこなすだけ機械人形と化す。
それは営業でも宅配でも事務でも同じなのかもしれない。

他者からのクレームはどんなに努力してもつく時にはつく

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  • 労働疎外・働く事の意義・虚無・手を動かしていれば終わる
    • 今回の鬱ごはんは仕事の評価について。出前の配達のバイトをしている主人公は客の評価に一喜一憂。しかし接客に正解など無く、どんなことをしてもクレームは必ずつくものである。そんな時、どれだけメンタルをやられないことが資本主義社会で生き抜くコツだが、そう割り切れるものでもない。主人公は営業職に想いを馳せ、ひたすら断られるためだけに営業をかけることについての虚無感を抱く。契約に成功しても自分が何かを生み出すわけでもない。おそらくそんな虚無感はどんな仕事にも通ずることでしょう。仕事の意味や内容など自分とは全く関係が無く、ただ与えられたタスクを時間内でこなす。この全てのことは虚無に帰すという思想は、主人公を次第に蝕み、全ての事が虚無と感じられるようになる。かつて主人公は星座を覚えようとしたし、花言葉も誕生石も覚えた。しかし誰かに話すことも無く、全てを忘れ去ったと述懐するのである。生きていることの全てが無意味なのかもしれない。

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